(7)

 二日が経った。ロキは夢の中でずっとイロハを想っていた。黒装束の男たちに自分がやられたあと、イロハは無事なのか、それだけが気掛かりで、夢の中ではイロハが苦しんでいる様子でずっと自分を呼んでいる場面が繰り返し流れていた。

 ロキは「うう……」と声にならない唸り声を上げると、


「イロハ!」


 と、叫んで飛び起きた。はあはあと息を切らして、汗をびっしょりかいたまま額に手を当てる。それを見ていたミルコが、


「ロキ! 気が付いて良かったよ……」


 相変わらずフードで表情は取りにくいが、ミルコはどこか泣き出しそうな顔をしていた。ロキはミルコに気が付くと、隣の簡易ベッドで横たわっているアディーを見た。アディーは未だ呼吸器を付けてモニターされていた。


「ミルコ、イロハは!?」


 ロキが鬼気迫る様子でミルコに放つ。ミルコは静かに首を横に振ると、


「……連れ去られた。おそらく本部の奴らが拐った。最悪処分されているかもしれない」


 言いにくそうにして伝えると、ロキは「くそ!」と言って、ドンとベッドを叩いた。それからベッドから降りると、ガレージを出て行こうとした。


「ロキ! まだ動いたらダメだよ!」


 ミルコがそれを制すと、ロキは思い切りミルコの手を振りほどき、


「イロハが捕まってるなら俺が助けにいかなきゃダメだろう! 構わないでくれ!」

「ロキ!」


 言って、ミルコがパシンとロキの頬を叩いた。ロキは頬に手を当てた。それからミルコが、神妙な面持ちで、


「……冷静さを無くしたままひとりで敵地に乗り込んでも何も出来ないってくらいわかるでしょ……。それにアディーだって、ロキを助けようとして怪我をしたんだ。仲間の犠牲を無駄にしてもいいわけ」

「でも、イロハが!」

「そんなことは分かってる! だから、僕たちだってジェイドと作戦を練っていたんだ。万が一処分されてしまっていても、ロキがしたいことはもっとでかいことでしょ? アマテラスプロジェクトを潰さなければ何も変わらないんだ」


 そこまで言われて、ロキはぐっと歯を食いしばる。


「でも、俺はイロハを助けないといけないんだ。イロハはきっと俺を必要としてる。だから……」

「分かってる。希望は捨てずに前を向こう。さっき僕は最悪処分されてるって言ったでしょ。なんで最悪の場合かっていう根拠はあるんだ」

「……どういうこと?」


 ロキの呼吸が少し整った。ミルコはふう、と息を吐くと、手を腰に当て、


「つまり、黒装束の奴らはビルを爆破させるだけの武器を持っていたのにも関わらず、イロハをその場で殺さなかった。もしかしたら処分とは別の理由で連れ去ったと考えられる。アマテラスプロジェクトにとって、イロハの存在が何か必要なのかのしれない。そういう推理が成り立つわけ」

「なるほど、一理あるね……」

「でしょ。だからロキは身体を回復させることを優先して。アディーの方がやっぱり人間だし、銃弾を内臓に受けていたから回復は遅いと思し」


 言って、アディーの方を見る。ロキもアディーの方に近づくと手を握った。……ちゃんと温かい。それを感じると、守れなかったことが悔しくて手をぎゅっと握りしめると、


「分かったよ。俺は本当に弱い……。大事なものを何一つ守れない……。アディー、ごめん」


 言って、項垂れた。するとその様子を見ていたジェイドがキッチンからカレーライスを運んで来た。


「ロキ君。お腹が減ってるでしょう。カレーライス、作ってあるから、食べて。2日目のカレーライスは美味しいんだよ」

「ありがとうございます……」


 言って、ロキは皿を受け取った。添えてあったスプーンでカレーライスを一口食べた。ピリリと口の中を刺激する。じゃがいもや肉を咀嚼すると、甘かった。ロキは、


「早くアディーにも食べさせてやりたい……イロハにも……」


 と、零し、瞳を潤ませながら、カレーライスをかきこんだ。


 ミルコが食事を摂っているロキを見ると、少し安心をして、テーブルの上に広げていた地図を覗いた。


「ロキ、食べながらで良いから聞いて。ジェイドが取引先用に制作した地図があるんだ。それで、僕はもうひとつの過程を推測してみた」

「何?」

「D補給地区に入るとき、管理者は僕たちを何も警戒しなかった。それに黒装束の奴らと揉めたのはロキたち手配犯だ。なのに、管理者がロキたちを探す様子もない。つまり、管理者にはアマテラスプロジェクトからロキたちを放置するように伝達されているのかもしれないんだ」

「そんなことをするメリットがないように思えるけど……」

「メリットはイロハの捕獲だよ。指名手配犯がビーナスを連れているのは知られていたわけだ。だから先回りをして本部の奴らがロキたちを泳がして捕獲したと考えるのが自然でしょ。戦闘フィールドは広い。だけど補給地区内なら管理者の目もあって本部は情報が掴みやすい」

「なるほど……」

「まあ、イロハを捕まえられたからもうロキたちに用はないのかもしれないから、また本部はロキたちの処分を狙うかもしれないけど、今のところ管理者が探している様子はないよ。それでなんだけど」


 ミルコは話をそこで区切り、地図を指さした。


「ジェイドによると、G地区まで行くには三日から四日はかかるみたい。隣のE地区は芸術の街らしい。そこまでは一日あれば着く。そして、F地区、ここは工業の街で海沿いの街。ここまではここから二日ほどかかる」

「それで?」


 ロキはカレーライスを全て食べた。ジェイドが皿を受け取ると、優しく微笑んだ。


「美味しかったかい?」

「はい、とても美味しかったです。ありがとうございます」


 言うと、ジェイドは満足そうに、キッチンへと皿を洗いに行った。それからロキは地図の前に立った。ミルコは続ける。


「つまりなんだけど、アディーの身体が回復したとは云え、いつ管理者から狙われるかわからないし、長期に渡って野営するのもリスクが高い。なら、G地区に近いF地区に行くのが良いと思ったんだ」

「でも、休憩しながら向かうならE地区にも寄った方がいいんじゃ?」


 言うと、皿を洗っているジェイドが、


「E地区はアマテラスプロジェクトに献上する美術品を取り扱ってる場所でもあるんだよ。だから、アマテラスプロジェクトの人間の出入りが多いと思う。だからそれを避けてF地区が良いと思ったんだ」

「なるほど……」


 ロキが顎に手を当てて言う。ミルコも深く頷いて、


「野営するのは免れないけど、確実に避けて行きたい。アマテラスプロジェクトにこれ以上僕たちの行動を読まれたくないしね。管理者の情報統制もどうなっているかわからないし。ここにいつまでいられるかわからないから、最悪の場合、車で移動するよ」

「車なんてあるの?」

「手には入るよ。D地区にいるし。運転はジェイドにしてもらう」


 言うと、ジェイドは皿を洗い終わり、こちらに来た。それから、ミルコの肩を寄せると、


「運転は任せて。でも、僕はF地区まで送ったらD地区に戻ってくるけれど。こちらの動きをミルコと通信して管理者の動向を探りたいしね」


 にこり、と笑って言った。ロキは自分を助けてくれる仲間を持ったことが嬉しくもあり、申し訳なくもあり、


「本当にありがとうございます……」


 言って、頭を下げた。ジェイドは、


「僕もこの世界が変わるのが見たくなったからね」


 言って、また柔和に微笑んだ。そのときだ。ミルコのパソコンからザザザというノイズが走った。ミルコはそれに気付き、パソコンの前に向かった。


「通信が開かれてる! なんだこれ……!」


 言って、パソコンを閉じようとしたとき、音声が流れた。男の低い声だった。ノイズではっきりと声が聞き取れない。


『 そこにいるのはロキか』


 男は言った。ロキは、それを聞き、ミルコに近づいた。


「だ、誰だ!」

『やはりお前だったか。こちらにハッキングをしたのは。記憶を消したはずなんだがな。知能は残っていたのか。しかし、もうお前のミッションは完了した。 ここに来るなら来たら良い。来たところでお前を殺すがな。ただ礼を言ってやろうと思ってこちらからわざわざ連絡をしてやった。お前の保護したビーナスをよく育ててくれた。礼を言おう。血は争えないようだったな。お前のような下等生物にでも役には立った。それだけを言いたかった。お前のお友達もまとめて一緒に処分してやろう。では、本当にさようならだ、ロキ 』


 そこで、プツリと通信が切れた。ロキは放心状態に陥った。その場でがたりと膝を折る。わなわなと震えて頭を抱えた。


「なんだ、なんだこれは……」


 ロキが悶えていると、ミルコはパソコンを閉じた。それから、神妙な顔つきで、


「今の男、もしかしてロキの父親じゃないの……?」


 言われて、ロキはキッとパソコンを睨む。


「俺の父親? まさか、そんな……」

「僕がハッキングしたと思ってないように思えた。しかもロキのことを知っている本部の人間。わざわざ殺そうとしているロキに対して礼を言うために通信してくるなんて、特別な関係にある者しかいないと思うんだけど……」


 言われると、ロキは床を思い切り殴ると、拳に血が出た。その血を見ると、さっきの男の血が自分に混じっておるのかと吐き気がする思いだった。


「くそ! なんだって言うんだよ! 俺のミッションが完了した? 俺は、俺は……!」


 半狂乱になり自分の額も床に打ち付ける。それをジェイドが止めると、ミルコは静かに、


「ロキ、ひとつだけ確かなことが出来た。イロハは無事だよ。来たら良いっていうなら行けば良いんだ」


 それを聞いて、ロキは顔を上げた。それからごくりと唾を飲み込むと、頷き、


「……ああ、その父親を俺の手で殺す」


 言って、手に滲んだ血を舐めた。ロキは自分の父親と仮定するその男に、下等生物と言われたことを思い出す。自分に親の記憶は無いが、親というものは子どもに対してそんなことを平気で言えるのかと自分の産まれた意味がわからなくなっていた。

 その反面、自分を兵器として作られていた事実も同時に知った。おそらく、プロトタイプを殲滅するように仕向けたのはこの男だ。何故そんなことを息子にさせたのか。それに、自分のミッションとはなんだったのか。自分が今まで人間として生きて来て、仲間と出会い、こうして今も生きているのに、この男は自分の欲求を満たしたら息子であろうと殺すと言う。

 自分がもし、親ならばこんなことをするだろうか。恋愛もしたことがないロキには分からないことばかりだが、どうしてこの男はビーナスとの子どもを作ったのか。

 それを考えたときに、ふとイロハのことを想った。ロキはイロハに対して愛情を持っている。イロハとならそういう関係になっても良いとも思える。

 そう思うと、ロキはやはりこの男の息子であることが確信に変わったように思い、胸がはち切れそうになって、項垂れた。


 ロキがじっと動かずにいるのをミルコはしばらく見ていたが、声を掛けた。


「ねえ、ロキ。今でも制御装置欲しいと思ってる?」


 言われてミルコを見ると、ロキはかぶりを振り、


「……いらない。俺は俺自身で全てを壊してやる」


 目をぎらりと光らせてロキは言い放った。ミルコは頷くと、


「賢明な判断だよ」


 そう、言って口角をそっと上げた。



 同時刻、イロハは相変わらず同じ部屋にいた。

 イロハに架せられていた手錠は外されていた。イロハはこの部屋から何度も逃げようとしたが、ロキに似た虎柄の男に阻まれてしまう。

 この部屋には窓が無い。窓を壊して外に出ることも出来ない。イロハは虎柄の男に監視されながら、目の前に差し出された料理をじっと見ていた。


「食え」


 虎柄の男が指図する。イロハはステーキであろうその肉の塊を見て、B地区でロキたちと食べた肉のことを思い出していた。それを見ているとどうしてもロキたちのことが頭から離れず、食べることが出来なかった。

 指図に従わないイロハを見て、虎柄の男は、


「食わないなら口にねじ込むぞ」


 言って、ステーキを手に取ると、イロハの頭を抱え、口にぐちゃりと突っ込んだ。イロハは、口から滴る肉汁に溺れそうになり、顔を振って、肉を吐き出した。それから虎柄の男を睨みつけると、殴りかかった。


「あう!!」


 虎柄の男の顔目掛けて殴ったはずだが、パシンと音を立てて、虎柄の男は簡単にその拳を自分の手の中に収めた。虎柄の男は、冷ややかな目をして、


「ビーナスごときが俺に敵うと思うな。食事をしろ。俺の任務はお前の監視だ。ロキを殺されたくなかったら、指示に従え」


 ロキを殺す、という言葉がイロハにもよく分かった。それを聞くと、イロハは、ベッドに転がった肉の塊を手で掴むと、それを食べた。……B地区で食べた肉の方がうまかった。イロハは、何度も咀嚼すると、ロキと名前を呼びたくなった。

 虎柄の男はイロハが食事を摂ったのを見ると、椅子に腰掛けた。イロハは喉に全ての肉を通すと、男を見た。

 男はイロハの視線を感じると、憮然な態度で、


「お前みたいな存在を好き好んで俺が監視しているわけじゃない。次に抵抗したらボスの命令など無視してお前を殺す」


 言うと、イロハは視線を逸らし、ベッドに伏せた。


(ろき、ろき……!)


 イロハは、また溢れそうになる涙を堪え、目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る