(3)

 ロキは夢を見ていた。朧げな記憶のような夢。優しい父と大らかな母が微笑んでいる。ロキ自身は幼い子どもになっていて、二人が手を広げて抱き寄せようとしているところに、そっと手を伸ばした。


「ロキ、愛してるわ」


 手を掴んだところで、母の顔がよく見えなくなり、消えた。父がどこか冷めた表情でロキを睨んでいる。


「僕が何かしたの、ママはどこ行ったの? ねえ、パパ――」


 言った瞬間、ロキの目の前から業火が迸り、父の姿が消えた。ロキは急に刺すような頭痛に見舞われた。


「パパッ!」


 叫んだ。手を上にあげて、汗をびっしょりかいて、パイプベッドから飛び起きた。……夢だ。まだ頭が痛いような現実味を帯びているただの夢だ。

 ロキは両親の顔を知らない。だからあれはただの、夢で、自分の理想かなにかの妄想で作り上げた家族なんだ。そう言い聞かせ、首を左右に曲げて思いきりあくびをした。


 ビービービービー!


 あくびをしたときだ。腰にある端末からけたたましい音が鳴り響いた。


「ビーナスかよ! こんなタイミングで……! 起きたばかりだよ、勘弁してくれよ……」


 チッ、と舌打ちをすると、ロキは靴を履き、窓から外を窺った。このビーナス対応のサーマルセンサー探知機は、対象のビーナスが1キロ範囲に入ると鳴る仕組みになっている。おそらく、今鳴ったということは、1キロの範囲に入ったのだろう。まだ距離はあるが、その間にどこかへ身を隠すか、移動しなければならない。


 ロキは腕時計を見ると、今は午後四時。もうすぐ日も陰ってくる夕方になる。気候が夏とはいえ、あまり遅くなると、目が利かなくなってしまう戦闘は避けたい。


「よし、補給区域まで走るか」


 言うと、ビルの一階まで素早く降り、素早く方角を確認し、補給区域のある北へと向かった。ビーナスがどの位置にいるかわからないのが、この探知機のずさんな設計である。ただ探知するだけで、GPSなどという衛星電波を使った機器は今はもう使うことはできないのだ。

 今の技術で、察知できるものも作れなくないだろうが、これも「アマテラスプロジェクト」の陰謀の仕組みの一環な気がしていた。


 ロキは路地を走りながら、左右をしっかり確認していく。どこから何が飛んできてもおかしくはない。

 ビーナスはサーマルセンサーで、人の体温を察知して男たちを見つけるのだが、ほとんどが直接攻撃である。だが、中には学習したビーナスもおり、投擲や、銃を使ってくるものもいる。

 心の中で、慎重に努めないと、もう攻撃手段がないロキにとっては、とにかく逃げるが勝ちという戦法しかなかった。

 しばらく走っていたときだった。どこからともなく一発の銃声がした。ロキは足を止めて、耳を澄ます。


「あっちか」


 北西のほうから音がした。あちらにビーナスがいるとみていいだろう。だけど、銃声がするがこちらに飛んでいないところを見ると、だれかと戦闘しているのだろう。

 ロキは悩んだ。助けに行くか、それとも、見なかったことにするか。もちろん、逃げるが勝ちだ。人がおとりになってくれているのなら、これは好機でしかない。

 パンッパンッ、と乾いた弾丸の音がまた連続した。

 ロキは北西の方向を見て、足を踏ん張った。顔をしかめ、悩む。はあ、と嘆息し、北西を苦々しく見つめた。


「くそっ!」


 ロキは、拳を作って足を叩き、顔を歪めたまま、走り出した。北西の銃声の方向へ。


「死ぬもんか、死ぬもんか、死ぬもんか!」


 呪文のように唱えながら、ロキは走る。自分でもほとほと飽きれる。お人よしも程がある。こうやって助けてくれる人間なんて今までどれくらい会った? ほとんどいなかったじゃないか。だからこそなのかもしれない。助けなかった末路は、苦しい道しかない。

 はあはあと息が荒れるのを鼓動と合わせながら、ロキは目視できる範囲にビーナスと男たちがいるのを確認した。――そう、男たちがいたのだ。

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