闘技試合

第32話 酒宴での計略

 「閣下、本当にあんなわらしに軍師の地位を与えるおつもりなのですか!?こんな子供だましの対決に勝利しただけで軍師の地位を与えるなど、私にはとうてい納得出来ません」

 このままでは、臥神が軍師になるだけでなく、自分の参謀としての地位が奪われてしまうラモンは、必死にゴルドバ将軍に訴えた。

 「ラモンよ、見苦しいぞ。お主もしかと見たであろう。臥神殿が、アマラ神殿を崩壊させて、グランダルの海軍を撤退させたところを。臥神殿には、武力ではなく、智謀をめぐらした奇計で敵を撃退できる、すばらしい頭脳があるのだ」

 「ですが、閣下。軍師といえど、策略だけでは実際の戦場では生き残ることは出来ません。戦場では、想定外のことも起き得ることを常に考えておかなければなりません。あらゆることが起き得るのです。たとえば、戦場では部隊が孤立することは、よくあること。常に大勢の部下たちに守ってもらえるとは限らないのです。軍師といえど、敵兵に襲われることもあり得ます。そのような場合でも、自ら己の身を護れなければならないのです。軍人であれば、誰もが、自ら戦って敵を倒し、己の身を護ることのできる能力ちからが必要とされるのです。しかし、あの臥神という童には、その能力ちからが欠けています。子供などには、とうてい軍人は務まらないのです」

 「では、お主はどうしたいのだ?お主がこのまま参謀を務めても、迫りくるグランダルの全軍を相手にしては、とうてい勝ち目はなかろう」

 「ですから、今度は、あのわらしの兵士としての能力ちからを見るべきではないかと思うのです。どんな敵兵と遭遇しても、自分の身を護ることの出来る能力ちからがあるかどうかを確かめるのです」

 「つまり、何を言いたいのだ?」

 「あの童を闘技試合に出場させるのです」

 「闘技試合にだと?」

 「そうです。今行われている闘技試合では、グスタル軍曹とアシュベル少将が、リディアという小娘との対戦で失態を演じ、勝利を譲ってしまいました。ですが、彼らに敗者復活の権利を与えて、あの童と戦わせるのです。彼らは、この提案を喜んで受け入れるでしょう。そして、もし、あの童が、グスタルや、アシュベルとの戦いで勝利することが出来れば、そのときは、私もあの童を軍師として迎えることを認めましょう」

 ラモンの提案は、子供を相手にしたまったくの大人気おとなげないものだった。実際の戦場では、たとえ敵兵に襲われたとしても、その場の機転でどうにでもしのぐことは出来るが、ひらけた闘技場では、身を隠すことも、策略を講じることも出来ず、完全に己の力のみが頼りになるのである。臥神が闘技試合で、グスタルとアシュベルに勝てるわけはないのである。闘技試合に出場すれば、臥神が命を落とすことになるのは明白である。そのような提案を、ゴルドバ将軍はむわけにはいかなかった。

 「ラモンよ。お主は本気でそのようなことを申しておるのか」

 「もちろんです」

 ラモンは、ゴルドバ将軍への提言を、わざと臥神に聞こえるように話した。さすがに臥神といえど、闘技試合への出場ともなれば、臆病風に吹かれるだろうと考えていたのである。

 しかし、ラモンの思惑おもわくは外れた。

 「よかろう」

 臥神が躊躇ちゅうちょなく言った。

 「今何と申したのだ!?」

 ゴルドバ将軍は、自分の耳を疑った。

 「よかろう、と言ったのだ」

 「まさか、ラモンの提案を本気で受け入れると申すのではあるまいな」

 「面白いではないか。私も、これまでのような子供だましの対決には退屈していたところだ。そのグスタルとアシュベルという者に闘技場で勝利することなど造作もないことだが、闘技試合の方が、少しはましな余興になろうというものだ」

 臥神は、またしても無茶な要求をあっさりとんでしまった。臥神には、恐れる心など微塵みじんもないかのようだった。

 「見上げたものだ。その勇気だけはめてやろう」

 ラモンが不敵な笑みを浮かべながら言った。

 ラモンにとって、臥神の返答は想定外のものではあったが、思いがけなく事が自分の都合の良いように運んだため、闘技場での臥神の試合をいかに面白くするかについて、すぐに考えをめぐらし始めた。対戦相手の命を故意に奪ってはならないという闘技試合の決まりに反することなく、事故にみせかけて命を奪う方法を考える必要があったが、相手が子供とあれば、たとえ木製の武器を使用していたとしても、たった一撃で簡単に命を落とすことになるだろう。それよりも、むしろ、簡単には命を奪わずに、いかにして苦しみを与えて、軍師の地位をあきらめさせるかを考えていたのである。

 「閣下、臥神も申し入れを承諾しましたので、明日のリディアと閣下との決勝戦を行う前に、グスタルとアシュベルの敗者復活戦を行わせてください」

 ゴルドバ将軍は、返答にきゅうしたが、臥神がラモンの申し入れを受け入れた以上、ラモンの提案した敗者復活戦を行うしかないと思い、やむなく承諾をした。

 「では、閣下、私は、グスタルとアシュベルに、このことを伝えなければなりませんので、これで失礼させていただきます」

 ラモンは、部下を連れて馬に乗ると、臥神の方に振り向いて、「明日の朝、円形闘技場で楽しみに待っておるぞ」と一言言い残して、トラキア城へ帰って行った。


 すでに夜が深まりつつある頃、リディアは、トラキアの城下町を馬で歩いていた。

 ティナのことが気になって、日暮れ前にロイの学舎に立ち寄ったのだったが、学舎で再び会ったティナは、リディアが心配していた、母親を失って悲しみに暮れていたティナではなく、美璃碧姫という別人になっていた。リディアは、エドの通訳を介して、その人格と話したのだったが、トラキア城への帰路の道中、ずっとそのことが頭から離れず、ぼんやりと考えながら、馬の歩みを進めていた。

 ティナの体に現れた美璃碧という人格は、美土奴国に帰りたがっていた。そのことに興味を持ったリディアが、その人格にランドルの森のことを尋ねると、彼女は、自分は美土奴国の姫なので、自分がランドルの森に入っても、誰も自分を襲うことはないと言っていた。皇族や僧侶は、美土奴国では国を統治する者として崇められているからである。

 もしかすると、ティナという人格がいなくなってしまった今、その美璃碧という人格の現れたティナを、グランダルに向かうために、ランドルの森に入るときに同行させれば、無事にランドルの森を通り抜けることが出来るのではないかと、リディアは考えていた。しかし、たとえティナが、美土奴国の姫の人格に変わってしまったとはいえ、ティナの体はそのままであり、ティナはティナなのである。

 そんなことをしてもよいのだろうかと、リディアは心の中で自問し、悩んでいると、酒場のある通りにさしかかり、リディアの対戦相手の一人だったアシュベル少将と共に、ラモンが店から出てくるのが見えた。アシュベルとは対照的に、ラモンはかなり酔っているようだった。

 アシュベルはこれから帰るところだったようで、仲間との別れの挨拶を交わすと、ラモンが上機嫌でアシュベルを見送った。

 あまり会いたくはない者たちだったので、リディアがこっそりと路地を曲がって見つからないようにトラキア城へ戻ろうとすると、リディアに気付いたラモンが声をかけてきた。

 「そこにいるのは、リディアではないか。そんなところで何をしておるのだ?ここに来て、私と一緒に飲もうではないか。今日の試合の健闘を称えて祝ってやるぞ。まあ、どうせ明日の決勝戦では、将軍には勝てぬのだからな。明日の試合で将軍に存分に痛めつけられて、体を動かせなくなってしまう前に、今のうちに今日の祝い酒を飲んでおくがよい」

 ラモンは、リディアを嘲笑あざわらうような態度だったが、そんな彼女とも酒を飲み交わしたいと思うほどに機嫌がよいようだった。

 リディアがラモンを相手にせずに、そのままそこから去ろうとすると、二人の人影が店の前に現れた。

 「おお、これは、これは。臥神殿ではござらぬか。こんなところまで、何用ですかな。もしや、明日の試合が怖くて、酒でも飲まなければ眠れないのかい、坊や」

 ラモンは、高々と笑い声をあげた。酒の勢いもあってか、増々態度が無礼になっているようだった。

 臥神が明日の試合に出るだと?

 リディアは、ラモンの言葉に、馬の足を止めた。

 店の前に立つ二人の男に目を向けたが、一人は子供で、一人は初老の男だった。親子連れのようにも見えるその二人のうち、初老の男が臥神なのだろうかと考えた。しかし、ラモンは「坊や」と言っていた。初老の男に対して、果たして「坊や」などという言葉を使うだろうか?しかし、もう一人の子供が臥神であるはずはない。すると、やはり臥神という人物は、あの初老の男なのだろうか?もしそうだとしても、臥神が闘技試合に出るというのはどういうことなのだ?

 リディアが考えを巡らせながらラモンたちを眺めていると、再びラモンが声をかけてきて、明日の試合で体の自由がきかなくなる前に、最後の酒を酌み交わそうではないかとリディアを誘った。

 リディアは、ラモンの目の前にいる二人の男のことが気になったが、ラモンを無視して、馬を進めてトラキア城へと向かった。


 リディアが去ると、ラモンは、臥神と霞寂を店の中に案内した。

 彼らが店の中に入ると、店の中の空気が急に一変した。見慣れない東洋人がやって来たというだけでなく、子供を連れた男が入って来たからである。

 陽気に酒を飲み交わしていた客たちは、持っていたさかずきを置くと、入り口に立つ二人の方に好奇の視線を送った。店内が一瞬静まり返った。

 「坊やがこんなところに何の用だい?母親でも探しにきたのかい?」

 客の一人が冗談を言うと、他の客たちがどっと笑い声を上げた。

 「ちげえねえ。あの親父は、別れた女房を探しているんだろう」

 他の客も大声をあげて嘲笑した。

 店内の客は、ほとんどが軍人たちのようだった。グスタルとアシュベルの敗者復活戦が行われることになり、その前祝として、軍人たちが酒を飲み交わしていたのである。

 ラモンは、臥神と霞寂を、グスタルのいる席へと案内した。

 「おお、そこの二人はラモン殿の知り合いでしたか」

 グスタルが酒臭い息を吐きながら言った。

 「さよう。お主の明日の対戦相手だ」

 「俺の対戦相手?その老いぼれの男がですか?」

 グスタルは、霞寂を見て笑い声を上げた。

 「こんな老いぼれの男と俺は明日対戦しなければならないのですか?」

 「いや、勘違いするな。お前の対戦相手は、その男ではない。その隣だ」

 ラモンは、グスタルが当然そのように反応するであろうことを分かった上で、わざと店の客たちの前で笑いものにするかのように答えた。

 「その隣って、その坊やが俺の相手なのですか?」

 グスタルが、あきれたような声を出した。

 「こりゃあ冗談がきつ過ぎますぞ、ラモン殿」

 グスタルが大声で笑いだすと、周りの客たちも一斉に笑い声を上げた。

 「軍曹殿も随分と見下されたものですなあ」

 部下の一人が言った。

 「俺はまだそこまで落ちぶれてはおらんわい」

 グスタルが笑いながら反論すると、他の部下たちも続いた。

 「しかし、ラモン殿が軍曹殿の対戦相手として子供などを選んだとなると、明日の試合はある意味難しくなりますぞ。なんといっても、闘技試合には、対戦相手の命を故意に奪ってはならないという決まりがあるのですからな」

 「確かにその通りだ。たとえ木製の武器を使うとはいえ、軍曹殿が、どれだけ力を抜いて剣を振るえば、その坊やは死なずにすむのでしょうねえ」

 部下たちが酒の勢いで次々に冗談を言い始めたが、そんなことは全く気にもとめていないかのように、霞寂は、テーブルの上に置かれていた、彼らの食べている酒のつまみや食事を、何かを確認するかのように一瞥いちべつした後、持参した酒瓶をグスタルの飲んでいるテーブルの前に置いた。

 「これは、グスタル軍曹殿への差し入れです」

 霞寂が差し出した酒は、見るからに高級な酒瓶に入った酒だった。

 「おお、軍曹殿、差し入れとはありがたいではありませんか。そんな高級そうな酒なんて、一生に一度飲めるかどうか分かりませんから、私にも一口味見をさせてくれませんか?」

 部下たちがグスタルの席に集まって来た。

 グスタルは、酒瓶を手に取り、瓶の貼り札を眺めた。

 「確かに、これは高級な酒だが、酒精度のかなり高い酒ではないか。こんな酒を飲ませて俺を酔いつぶれさせて、明日の試合を棄権させようという腹なのか?」

 「おお、これは危ない、危ない。知らずに飲んでしまえば、毒死ということもあり得ますぞ、軍曹殿」

 再び、店内は嘲笑の渦に包まれた。

 「グスタルよ、まあせっかくだから、もらっておくがよい。いずれ誰かを毒殺したい時があれば、使えるであろう」

 ラモンも、嘲笑あざわらうように皮肉を込めて言った。

 しかし、臥神も霞寂も、何も言わずに、落ち着いた態度のままきびすを返した。

 「もう帰られるのですかな?」

 ラモンが臥神と霞寂の不審な行動に疑問を感じて尋ねると、「もう用件は済みましたので、私どもはこれで」と霞寂が丁寧に答えた。

 「魂胆がばれてしまったので、早速退散だそうですぞ、軍曹殿」

 「差し入れに免じて、明日の試合は、少しは手加減してやってくださいな、軍曹殿」

 再び部下たちが冗談を言い始めたが、臥神と霞寂は、そのまま黙って店を出て行った。

 酒を渡しただけで帰って行った臥神と霞寂を見つめながら、ラモンは、彼らが一体何をしに酒場までやって来たのかを真剣に考え始めた。すぐに魂胆がばれるような酒など果たして持ってくるだろうか?それが目的でなかったとするならば、一体何をしにこんな時間に対戦相手のグスタルの飲んでいる酒場までやってきたのだろうか。

 酒に酔ってはいたものの、ラモンは参謀として、つい、敵の心情や心理、行動目的などを分析しようとする癖が出てしまったが、いくら考えても臥神の魂胆は分からなかった。

 臥神と霞寂が店を出ると、厨房ちゅうぼうの陰から様子を眺めていた給仕きゅうじが、裏口から出て行ったが、酒に酔ったグスタルたちは、誰一人、そのことには気が付かなかった。

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