第27話 祝宴

 「霞寂カジャク殿、臥神殿に共に勝利の祝杯を挙げるために、こちらに下りてきてくだされとお願いしては頂けぬか」

 ゴルドバ将軍は、霞寂と臥神を受け入れることに決めると、上機嫌で二人を祝宴に招き入れることにした。

 「閣下、あのわらしが本当にアマラ神殿を崩壊させたという証拠はどこにもないのですぞ」

 ラモンは、まだ不服を申し立てるように言った。

 「分かっておる。わしに任せておくがよい」

 ゴルドバ将軍は、声をひそめてラモンに耳打ちした。

 ラモンは、将軍の意図を理解できなかったが、将軍に何か考えがあるのだろうと察し、それ以上何も言わなかった。

 「さあ、霞寂殿も、あちらにお座りくだされ」

 ゴルドバ将軍は、霞寂に、用意された祝宴の席を勧めると、霞寂は臥神を一瞥いちべつし、臥神が下りてくるのを確認してから席についた。

 「おお、臥神殿も、ようやく下りてきてくださったか。では、あちらの席にお座りくだされ」

 ゴルドバ将軍は、臥神にも席を勧めた。

 「誰か、すぐにここへ酒を持ってまいれ」

 ゴルドバ将軍は手を叩いて部下に命じると、霞寂に視線を移した。

 「臥神殿は、酒は飲めますかな?」

 「はい。少しは」

 霞寂が控えめな声で答えた。

 「おお、そうであったか。子供とはいえ、いける口でしたか。それは結構」

 兵士の一人が酒を運んできて、臥神と霞寂のさかずきに酒をぎ始めた。

 「ラモンも座るがよい」

 ゴルドバ将軍がラモンにも席を勧めると、ラモンは渋々席についた。

 酒が全員に振舞われると、ゴルドバ将軍は、アバトやティナのことを忘れたまま、さかずきを掲げて上機嫌で乾杯した。

 アバトは、母親のことが心配で黙り込んでしまったティナのことを考えると、将軍たちが陽気に酒を交わす場の近くにはいたくないと思い、ティナを立たせて、陣地の入り口近くまで移動し、ロイやリディアが戻るのを待つことにした。

 「ところで、臥神殿、わしは最近、珍しい野鳥の収集に凝っておってのう。これまでに、数十種類の珍しい野鳥を捕獲して飼育しておるのだが、まだフリージアという鳥だけは捕獲できていないのだ。何とか、貴殿のお力でフリージアを生きたまま無傷むきずで捕獲してはもらえぬか」

 「この時期に、フリージアを生きたまま無傷でと申しますか。それはまた、難しいご注文をされますな」

 霞寂は、ゴルドバ将軍の唐突な依頼に驚いた。

 「霞寂殿はフリージアをよくご存知なのですかな?」

 「はい。フリージアは、初夏の繁殖期に、美土奴国からトラキア公国に渡ってくる渡り鳥ですが、この時期は、非常に警戒心が強いことで知られています」

 「さよう。それゆえ、今まで誰もフリージアを捕獲したことがないのです。そのフリージアを、わしは飼いたいと考えておるのだが、捕まえることが出来ますかな、臥神殿」

 ゴルドバ将軍は、臥神に挑戦的な視線を投げかけた。

 「容易たやすいことだ」

 臥神は、ゴルドバ将軍の子供だましの挑戦を嘲笑あざわらうかのように、かすかに鼻で笑って答えた。

 「おお、出来ると申すか。では、雄と雌のそれぞれ一羽ずつ、生きたまま無傷で捕獲してはくださらぬか」

 「閣下、これからグランダル軍が、全軍を挙げて攻め込んでくるというときに、そのようなことをされている場合ではありませんぞ」

 「ラモンよ、わしの話をよく聞いておれ。おぬしにも、この課題には挑戦してもらうのだからな」

 「私にもですか?」

 ラモンは驚いて、持っていたさかずきを落としそうになった。

 「そうだ。わしは、臥神殿とお主の知恵比べをしたいと考えておる。この知恵比べに臥神殿が勝てば、わしは臥神殿を軍師に迎えることにしようと思う。そうなれば、お主の参謀としての地位は剥奪するが、逆にお主が勝てば、今のまま参謀を続けてもらうつもりだ。どうだ、受けて立つか?」

 ラモンは返答に躊躇ちゅうちょした。

 「面白い。余興にはちょうどよいではないか」

 臥神は、にやりと笑いながら呟いた。

 「おお、受けてくださるか」

 ゴルドバ将軍は、喜びの意を表して、部下に馳走を振舞えと命じた。

 「ラモンよ、どうだ、受けて立つか?」

 ゴルドバ将軍は、もう一度ラモンに尋ねた。

 しかし、ラモンはすぐには答えられず、席につく全員の視線を感じながら遅疑ちぎ逡巡しゅんじゅんして視線を逸らした。

 今は、フリージアが最も警戒心が強くなる時期で、無傷で捕える方法など皆目見当もつかなかったのである。

 「どうした?お主の頭は子供以下なのか?」

 ゴルドバ将軍が発破はっぱをかけるように迫ると、引き下がることも出来ずに、ラモンは渋々承諾した。

 「そうか。受けて立つか。それでこそ、我が軍の参謀だな」

 ゴルドバ将軍は、わざとらしい言い方でラモンを褒めそやした。そして、さかずきの酒を飲み干すと、部下にさらに酒を注がせた。

 さかずきの酒に映る神々しい満月を見つめながら、ゴルドバ将軍は、ゆっくりと酒を楽しんだ。

 「臥神殿、実は、もう一つお願いしたいことがあるのだが」

 ゴルドバ将軍は話を続けた。

 「正直申すと、わしは、フリージアを捕獲出来る程度の智力があるくらいでは、全軍を挙げて攻めてくるグランダル軍をせん滅するのは難しいだろうと思っておるのです。恐らく、大国のグランダル軍を、この小さなトラキア公国の軍隊で撃退するには、神に匹敵するほどの能力ちからが必要であろうと、わしは思い、天下の奇才と称される貴殿をお呼びしたのです。そこで、貴殿には、さらなる難題に挑戦して頂きたいのです」

 ゴルドバ将軍は、ゆっくりと空を見上げた。

 「あの空に輝く月をご覧くだされ。わしは、あの美しい月を沢山眺めて酒を飲みたいと考えておるのです。最低でもとおの月を見たいと思っておるのですが、いかがかな?出来ますかな?無論、それが出来たあかつきには、軍師の位を授けるだけでなく、相応の報酬は用意させてもらうつもりでおりますが」

 「何と、何を申すかと思えば、そのようなことを。たとえ臥神先生といえど、そのような不可能なことを出来るわけがございません。それに、臥神先生は、金などには困ってはおりませぬぞ」

 霞寂が、やや立腹したような声で言った。

 「今回は、不可能を可能にすることが出来るくらいでなければ、トラキア公国を救うことは出来ぬのです」

 ゴルドバ将軍は、冗談を言っているのではなかった。それほど真剣に、母国を護ることを考えていたのである。

 「よかろう。それも容易たやすいことだ」

 臥神は、ゴルドバ将軍の二つ目の無茶な要求も、躊躇ちゅうちょせずにあっさりとんでしまった。

 「おお、これも受けてくださるか。では、明日の月夜の晩までに、今申し上げた二つの課題の答えを準備して、再びここにお越しくださらぬか」

 臥神は黙って頷いた。

 「ラモン、お主もだ」

 ゴルドバ将軍がラモンにもそう言うと、ラモンが言葉を返した。

 「閣下、おそれ入りますが、わらしとの知恵比べなぞ、一回の勝負だけで十分なのではありませんか?それ以上の勝負なぞ時間の無駄というものです」

 「ほお、頼もしいことを申すな、ラモンよ。だが、先程も申したように、フリージアを捕獲できたくらいでは、迫りくるグランダル軍をせん滅するのは難しいのはお主も理解できよう」

 「いえ、フリージアの捕獲ではなく、月を増やすという二つ目の勝負だけで勝敗を決するのです。いかがでしょうか?」

 「先程も申したであろう。わしは、フリージアを飼い馴らしたいのだ。そして、さらにフリージアと共に、とおの月を眺めながら酒に酔いしれる。このような手に入れ難いものを手に入れたとき、これこそ、まさに至福のひとときと言えるのではないか」

 「ですが、勝負が二回では、万が一引き分けたときはどうなさるのですか?」

 「お主は、一度でも敗けを喫するかもしれぬと考えておるのか?」

 「いえ、そうではありませんが、万が一のことを申したまでです」

 「心配せぬともよい。もし勝敗が決まらぬときは、三度目の勝負を考えるまでだ」

 ゴルドバ将軍が提言を受け入れてはくれないことが分かると、ラモンはしばらく考えてから、場所の変更を提言した。

 「では、明日の集合場所はここではなく、サパタの町の棚田にしては頂けませんでしょうか」

 「何、サパタの棚田だと?」

 「はい。そこで、月を増やしてご覧に入れましょう」

 ゴルドバ将軍は、臥神に目を向けた。

 「構わぬ」

 臥神は、ラモンの提言も、そのまま受け入れた。そして、席を立つと、霞寂に目で合図を送った。

 霞寂も席を立って、馬車の方に向かって歩いていくと、ゴルドバ将軍は、持っていたさかずきを置いて尋ねた。

 「もう帰られるのですか」

 「臥神先生は、フリージアを捕獲する準備をしなければなりませんので」

 霞寂は、臥神が馬車に乗り込むのを確認すると、馬を走らせて去っていった。

 上空に浮遊していた気球も、いつの間にかどこかえ消えてしまっていた。

 「お主も、のんびりとしている場合ではないのではないか?」

 ゴルドバ将軍は、酒を飲みながら明日のことを思案しているラモンを見て言った。

 「心配にはおよびません、閣下。あんなわらしなどに私が負けるわけなどありません」

 ラモンは、酔って赤らんだ顔をしながら席を立つと、自分の部下に、明日必要になるものを伝えて準備するように命じ、ややおぼつかない足取りで自分の天幕へと戻って行った。

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