第25話 臥神現る

 その頃、ゴルドバ将軍が布陣する場所に、霞寂カジャクが馬車でようやくやって来た。

 馬車を止め、陣地の入り口まで歩いていくと、入り口を警護する兵士に自分の名を告げて、ゴルドバ将軍にお目通し頂きたいと伝えた。

 警護兵は、霞寂をそこに待たせて、ゴルドバ将軍のところまで行き、将軍にその旨を伝えた。

 「おお、霞寂殿が来られたか。すぐにここへ通してくれ」

 霞寂が将軍の前に現れると、ゴルドバ将軍は、早速、霞寂にアマラ神殿での戦況を伝え始めた。

 「霞寂殿、残念ながら、このままではアマラ神殿は、もうじき陥落するであろう。部下の報告によると、昨夜から未明にかけて、何やら不思議なものが闇夜に紛れて空から現れたかと思うと、我が軍の気付かぬうちに、グランダルの兵が神殿に侵入したらしいのだ。そして、神殿の地下から崖下の海岸の隠された港まで続く地下隧道すいどうを通って、港門を護る警護兵の背後から攻撃をしかけてきたらしい。意表を突かれた我が軍の兵士たちは、またたく間にグランダル兵にやられてしまい、港門が突破され、港の近くに潜伏していた海軍の兵士たちが神殿内に押し寄せてきたのだ。アマラ神殿は、トラキアにとっては最重要拠点の一つ。その拠点がグランダルの手に落ちてしまえば、トラキア公国の存続は、非常に危うくなるのだ。すでに放念殿からお聞きになっているとは思うが、我が軍は、天下の奇才と言われる臥神殿を軍師としてお迎えしたいと考えておるのだが、臥神殿はお連れくださったか?」

 ゴルドバ将軍は、霞寂に請うように尋ねた。

 「閣下、そのような身元も知れぬ東洋の人間を軍師に迎えるなど、とんでもありません」

 そばにいた参謀を務めるラモンが突然、保身に走るように不満の声を上げた。

 「では、お主にこの状況を打開する良い策があると申すのか」

 ゴルドバ将軍は、語気を強めた。

 「はい。リディアという小娘をグランダルに差し出して、和平交渉を申し込むのです」

 「何?トラキアの第二公女と称するリディア様をか?」

 「そうです。グランダルのクベス王は、ある預言を信じて、その娘を探しているそうなのです」

 「ある預言?」

 「はい」

 ラモンは、霞寂を一瞥いちべつし、将軍を手招きして、霞寂の耳に入らないところまで移動させてから、声をひそめて説明を始めた。

 「グランダルには、ある預言が流布しています。クベスは、その預言で語られている刻印を持って生まれた嬰児みどりごを探しています。私が部下に命じて調べさせたところでは、クベスは、媸糢奴シモーヌという美土奴国の妖術師まで使って、その嬰児を探したようなのですが、結局、嬰児は見つからなかったようです。そして、現在、その嬰児はすでに成長し、グランダルを滅亡に導くと言われているのです。それが、あのリディアなのです」

 「しかし、彼女は、クベスとライーザ公妃との間に生まれた娘ではないか。いわば、彼女にとっては、グランダルは母国。その彼女がなぜグランダルを滅亡に導くというのだ」

 ゴルドバ将軍の疑問はもっともであったが、ラモンがその理由を手短に説明すると、ゴルドバ将軍も納得し、将軍は指揮官用の椅子に腰をかけ、部下の兵士に霞寂を天幕の外で待たせるように指示した。

 「あの娘の体のどこかに、預言が語る、あざか何かの刻印があるに違いありません」

 「だが、まだ確かめたわけではないのであろう」

 「はい。しかし、あの娘が突然トラキアにやってきて、自分がトラキアの第二公女だと名乗り、トラキア軍の指揮権を握ろうとしているのは、母親であるライーザ公妃のかたきを討つためです。トラキア軍を利用してグランダルに攻め入り、クベスを討つことだけが目的で、トラキアの第二公女として生き、国を治めようなどとは考えてはいないのです」

 「クベスを討つつもりなのであれば、少なくとも彼女は我々の側に立つ人間なのであろう」

 「しかし、あの娘がクベスの娘だということに変わりはありません。もしかすると、我々の味方だと思わせておいて、間者かんじゃとしてグランダルにトラキアの情報を流しているということもあり得ます。ですから、彼女がクベスの敵であろうとなかろうと、彼女を信用するわけにはいかないのです」

 ラモンの話をここまで聞いた後、ゴルドバ将軍は腕を組んで考え始めた。

 しばらくの間、沈黙の空気が流れた。

 そして、意を固めると椅子から立ち上がった。

 「やはり、今は臥神殿のお力をお借りするしかあるまいな」

 ゴルドバ将軍の決断は、ラモンの予想外のものだった。

 「閣下、なぜですか?臥神などという男のことは、我々はまだ何も知らないのですぞ。それよりも、私が今申し上げたように、あの小娘をグランダルに差し出して、和平交渉を申し込んだ方が、最も少ない被害でトラキアを護ることができるではありませんか。仮に、小娘がクベスの間者ならば、クベスは和平交渉には乗っては来ないでしょうから、それで小娘の正体が分かるというものです」

 「いや、リディアという娘は、曲がりなりにも亡きライーザ公妃のご息女であり、トラキアの第二公女であることに変わりはない。その第二公女である姫様を、グランダルの手に渡すわけにはいかぬ」

 「では、閣下は、あの小娘を信じると仰るのですか?」

 「いや、しばらくは彼女の動きを監視して、彼女の意図を探るつもりだが、今はまだ、彼女が我々の敵だと決まったわけではない。ならば、アマラ神殿を護るには、他の手を考えるしかあるまい。それには、臥神殿に会うしかなかろう」

 ゴルドバ将軍は、ラモンに下がるように命じ、天幕の外に待たせておいた霞寂を再び通すように部下に命じた。

 「霞寂殿、臥神殿はお連れくださったか?我々は、臥神殿のお力をお借りしたいのです」

 「臥神先生は、すでにここに来ておられます」

 霞寂は、落ち着いた口調で答えた。

 「おお、お連れくださったか。早速お会いしたいのだが、今どこにおられるのですかな」

 「この天幕のすぐ上におられます」

 「この天幕のすぐ上?どういうことですかな」

 ゴルドバ将軍は、霞寂の言う意味が理解できなかった。

 「外へ出てくだされば、すぐにお分かりになります」

 霞寂は、ゴルドバ将軍と共に天幕の外に出て、上空を見るようにと手で指し示した。

 将軍の立つ位置の真上には、何やら見たこともない不思議なものが浮かんでいた。そこから、人影のようなものが、立った状態でゆっくりと下りてくるのが見えた。

 「あれが、臥神殿だと申すのですか?」

 「さようです」

 「何と、臥神殿は、妖術まで使われるのですか?」

 ゴルドバ将軍は、空を浮遊する見たこともないものから降ろされたつなの先端に付けられた馬のあぶみのようなものに足をかけた状態で、ゆっくりと下りてくる人影に、恐怖心と驚愕の入り混じったような念を抱いた。

 「いえ、妖術ではありませぬ。あれは、我々が気球と呼んでいる、空を飛ぶ乗り物でございます」

 「乗り物?あのような乗り物があるのですか?」

 「はい。先程将軍が仰っていた、昨晩から未明にかけてアマラ神殿の上空に現れた不思議なものというのは、あの気球と同じものかと存じます。グランダル軍は、すでに気球を発明しているのです」

 「もしや、あの狂人と噂される、グルジェフ=ベルンスキーという科学者が発明したのですか?」

 「はい。彼は、気球を戦場に投入するつもりで、量産を試みているようです」

 「あのようなものが量産されれば、三方を海で囲まれ、断崖絶壁で護られているトラキアといえど、容易にグランダル兵の上陸を許してしまうことになりますな」

 「それを防ぐために、臥神先生がお越しになられたのです」

 気球から地上に向かって下りてくる人影は、地上に近づくにつれて、人の様相がはっきりと見えるようになってきた。その人影は、背丈の小さい男のようだった。

 「まさか、あれは子供なのではありますまいな」

 「あのお方が、臥神先生でございます」

 霞寂は、ゴルドバ将軍が驚くのを予想していたかのように、将軍の顔を見ながら、落ち着いた声で答えた。

 「冗談を仰っているのですか、霞寂殿」

 ゴルドバ将軍は、憤慨した表情で、霞寂に視線を移した。

 「いえ、冗談など申してはおりませぬ。あのお方が臥神先生でございます」

 霞寂は、依然、冷静な姿勢を崩さずに同じ答えを返したが、これまで落ち着いて霞寂と話をしていたゴルドバ将軍も、これには怒りを抑えることは出来なかった。気球からゆっくりと地上に向かって下りてくる人影は、どう見ても十歳前後の子供にしか見えず、国の一大事という時に、こんな悪ふざけの相手をしている暇などなかったからである。

 ゴルドバ将軍は、大声を上げて部下を呼んだ。

 「この者を引っ捕らえよ!」

 天幕の出入り口の脇で控えていた部下の二人がすぐさま駆け寄って霞寂を拘束したが、それと同時に、空に浮遊する気球に気付いたアバトとティナが、指を指しながら駆け寄ってきた。

 「ティアンじゃないか!あれはティアンだよ!」

 ゴルドバ将軍は、アバトたちが、その人影のことを知っていることに驚いた。

 「何と、お前たちは、あの人物を知っておるのか?」

 「勿論さ。あいつは、ロイの学舎の卒業生で、劉天リュウ・ティアンっていうんだよ」

 アバトが答えた。

 「劉天リュウ・ティアンだと?臥神という名ではないのか?」

 ゴルドバ将軍は混乱して、再びアバトに尋ねた。

 すると、拘束されていた霞寂が代わりに答えた。

 「臥神という名はあざなです。その名が、臥神先生が、偉大な能力ちからを有する人物だということを表しているのです」

 外の騒ぎを聞きつけたラモンも、ゴルドバ将軍のところにやってきて、将軍たちが空を見上げているのを見て、同じように空を見上げた。

 「何ですか、あれは?まさか、東洋の妖術師ですか?」

 ラモンも上空の信じられない光景を目にして驚き、半ば恐怖心と共に半歩後ろへ退いた。

 「あれが、臥神殿だそうだ」

 ゴルドバ将軍は、改めて霞寂の話を聞くために、部下に命じて霞寂の拘束を解いた。

 「そのあざなは、どういう意味なのですかな」

 「はい。臥神とは、神ほどの能力ちからを有しながらも、その能力ちからをまだ顕現けんげんしていない者という意味でございます」

 「では、これから、このアマラ神殿での戦いで、その能力ちからを発揮しようと申すのか」

 「さようでございます」

 「面白い。それがまことであれば、ぜひ拝見させて頂きたいものですな」

 ゴルドバ将軍は、半信半疑で、半ば嘲笑するかのように言った。

 「閣下、あのようなわらしに何が出来ると仰るのですか」

 ラモンが、将軍を非難するように言った。

 「分からぬ。だが、劉天リュウ・ティアンという名は聞いたことがある。その名の者は、トラキアの公立図書館の蔵書をすべて二年で読破し、散水車などの数々の発明を行って大金を稼いだ後、人知れずどこかへ姿をくらましたのだそうだ。噂では、トラキアの極秘の軍事記録などにも、密かに目を通していたと聞く。その者が、今まさに目にしているあのわらしで、まことの臥神殿だというのであれば、どのようにグランダル軍を撃退するのか見てみたいと思ってのう」

 ゴルドバ将軍は、冷静を装ってそのように言っては見たものの、部下から刻々と報告されるアマラ神殿での戦況の劣勢に頭を悩ましており、その劣勢をくつがえす良い策が見つからずに、手をこまねいていたため、やむを得ず臥神に賭けてみることにしたのである。

 臥神は、地上付近まで下りてきたが、地上には下りずに、ゴルドバ将軍たちの頭上に滞空していた。

 「そなたが、臥神殿か?」

 ゴルドバ将軍は、臥神を見上げながら尋ねた。

 「いかにも」

 臥神は、表情を変えずに、鋭い目でゴルドバ将軍を見下ろしながら答えた。

 「おーい、ティアン。おいらだよ。アバトだよ。覚えているかい?」

 アバトは、ティアンに手を振りながら叫んだ。

 「おまえにそんな臥神なんていう別の名前があったなんて、おいら、ちっとも知らなかったぞ」

 アバトが、昔の同窓生の友人に話しかけるように叫んだが、ティアンは全く応えなかった。

 「なんだい、あいつ、おいらを無視するのかい。偉ぶったようにあんなところに立って、みんなを見下ろしてさ。何様のつもりなんだ」

 アバトは、腹を立てて、地面の石を蹴り飛ばした。

 「アバト、危ないわよ。そんな風に石なんて蹴ったら」ティナが、アバトの態度をたしなめる様に言った。「あの人、ティアンのように見えるけど、でも、本当にティアンなのかしら。私はまだ小っちゃかったから、あまりよく覚えていないけど、私の覚えているティアンは、あんな格好はしていなかったわよ」

 「そう言われると、そうだなあ」

 ティナの言うとおり、上空から現れた人物は、文官の着るような衣服をまとい、頭には頭巾、右手には羽扇うせんを持っており、アバトやティナの知っているティアンとは全く異なる容相だった。

 「臥神殿」ゴルドバ将軍が再び上空の臥神に話しかけた。「わしはトラキア軍の将軍、ゴルドバと申す。霞寂殿よりお聞きとは思うが、わしは、貴殿を我が軍の軍師として迎えたいと考えておる。もし貴殿がまことの臥神殿だと申すのであれば、貴殿の力量を拝見させて頂けぬか。今、アマラ神殿では、グランダル軍の侵攻により、激しい戦闘が行われておる。アマラ神殿は、トラキアにとっては重要拠点の一つだ。その神殿がグランダル軍の手によって陥落寸前の状態なのだ。ぜひともお力をお貸し願えぬか」

 ゴルドバ将軍は、目の前の子供を相手に、将軍としての自尊心を押し殺しながら、臥神に問いかけた。

 臥神は、黙ったまま、しばらくアマラ神殿を眺めていた。

 その場の空気に、言い表しようのない不思議な緊張感が走り、アバトとティナは、声をひそめて「どうしたのかなあ」と言って顔を見合わせた。

 臥神が再び、ゴルドバ将軍の方に向き直った。

 「我を信ずるのであれば、今すぐトラキア軍の兵をアマラ神殿から撤退させるがよい」

 臥神は、子供とは思えない威厳のあるゆっくりとした口調で言った。

 「何と、兵を撤退させよと申すのか」

 ゴルドバ将軍は、驚きを隠せなかった。

 「閣下、撤退などあり得ません。アマラ神殿がグランダル軍の手に落ちれば、海港付近に潜んでいる艦船から、グランダルの海兵たちが、さらになだれ込んできてしまいます」

 ラモンは、目の前のわらしの威圧的な態度に腹を立てながら、ゴルドバ将軍に訴えた。

 「分かっておる。お前は口を出すでない」

 ゴルドバ将軍は、ラモンに下がっているように命じた。

 「何故なにゆえ、兵を撤退させねばならぬのだ?」

 「もう猶予ゆうよなどない。今すぐ撤退命令を出さねば、取り返しのつかぬことになろう」

 臥神は、ゴルドバ将軍の問いかけには答えずに、同じことを繰り返して言った。

 ゴルドバ将軍は迷った。臥神を信じて撤退命令を出すべきなのか、あるいは、目の前にいる臥神と称するわらしは単なるはったりに過ぎぬのか、見極めることが出来なかったからである。

 臥神は、持っていた羽扇うせんを高々と掲げた。

 ゴルドバ将軍とラモンは、臥神が何をしようとしているのか分からず、茫然と眺めていた。

 すると突然、アマラ神殿のある方向から、地鳴りのような轟音ごうおんが鳴り響いてきた。

 「何だ!?何が起こったんだ!?」

 アバトは驚いて、震えながら辺りを見廻した。

 ティナも怖がって耳を塞ぎながら、その場にしゃがみこんだ。

 「大変です!アマラ神殿が崩れ始めています!」

 兵士の一人が、アマラ神殿を指差しながら叫んだ。

 「撤退命令を出さねば、神殿内の兵士たちは皆、神殿の崩壊と共に命を落とすことになろう」

 臥神は、轟音にたじろぐことなく、冷静な声で忠告を繰り返した。

 「神殿が崩壊するだと!?」

 ゴルドバ将軍は、神殿に再び目を向け、何が起こっているのかを確認するように凝視し続けた。

 アマラ神殿の壁や柱には、いくつもの亀裂が走り始め、神殿を構成している石材が割れ、次々に上部から落下し始めているのが見えた。

 「将軍殿、臥神先生のご指示通りに、撤退命令を出すのが賢明かと存じますが」

 霞寂も、臥神と同様に落ち着き払った様子で、ゴルドバ将軍に提言した。

 「ええい、やむを得まい」

 ゴルドバ将軍は、すぐに撤退命令を出すように兵士に指示した。

 撤退命令の太鼓が打ち鳴らされた。

 「将軍殿、太鼓では、轟音にかき消されてしまって、神殿内の兵士たちには聞こえないのではありますまいか」

 霞寂が再び冷静な口調で言った。

 「太鼓ではない!号音ラッパを使え!」

 ゴルドバ将軍は、すぐに兵士に命令を出すと、遠方まで届く甲高い音が鳴り響き始めた。


 その音は、神殿内で戦闘を繰り広げていたロイたちにも届いたが、轟音と共に激しく揺れ始めた神殿内で、兵士たちは、何が起こったのか戸惑い始めていた。その場に立ってはいられないほどの揺れが起きると、もはや戦闘どころではなくなり、グランダル軍の中には、恐怖におののいて剣を捨てて逃げ出し始める兵士たちも現れた。

 「師団長殿、撤退命令です!」

 クロードは、馬上から激しく剣を振るってグランダル兵と戦うロイに向かって叫んだ。

 「何が起こったのだ!?」

 ロイは、グランダル兵たちが逃げ出し始めたのを見て、一瞬の間剣を振るう手を止め、辺りを見廻した。

 すると、天井に亀裂が走り、巨大な石材が割れて、そのまま床へと落下し、轟音を立てて床にめり込み、中央部が沈むようにして、ゆっくりと床が傾き始めた。壁や柱にも、次々と亀裂が走ったが、不思議なことに、それらはすべて、稲妻状のものではなく、すべてが一直線に延びる亀裂であった。

 「師団長殿、ここは危険です!お逃げください!」

 クロードは、轟音がとどろく中で必死に叫んだ。

 「だめだ!ノーラがまだ見つかっていないのだ!」

 ロイは、戦闘を止めて、馬の向きを変え、来た通路を直進して先を急ごうとしたが、次々に落下してくる巨大な石材の破片が行く手をはばんだ。

 「師団長殿!この神殿は間もなく崩壊するものと思われます!早くお逃げください!」

 クロードは、傾いた床から滑り落ちないように、腰を低くして、手足で安定を保ちながら、ロイのところに近づこうとした。クロードがロイの救出に向かおうとすると、神殿から脱出するための馬を奪おうとするグランダルの数名の兵士が、同時にロイに襲いかかってきた。

 「師団長殿、後ろです!」

 ロイの近くにいた元近衛兵の一人が叫んだ。

 ロイは、すぐさま馬を反転させて、背後の兵士二人を馬のひづめで蹴散らし、弓で狙い撃ちを定めていた右手前方の兵士に、持っていた盾を投げつけると、それと同時に馬で突進し、兵士を踏み倒した。

 しかし、再び先程の兵士二人がロイに襲いかかり、そのうちの一人は、倒れていた仲間の兵士の弓を床から拾い上げ、ロイに向かって矢を放った。その矢は、ロイの左腕に突き刺さった。一瞬、ロイが、持っていた手綱を離して落馬しそうになると、その隙を逃すまいと、体勢を崩したロイに向かって、もう一人の兵士が襲いかかってきた。

 元近衛兵の一人が、ロイを助けようと、怒声を上げながらその兵士に向かって行った。しかし、グランダル兵を一人斬り倒したものの、もう一人のグランダル兵に背後から斬り込まれ、糸の切れた糸吊り人形のように、ぐったりと床に倒れた。

 ロイが、体勢を整えて、自分の昔の部下を殺したグランダル兵に、我を忘れたかのように向かって行くと、他の元近衛兵の一人が絶命の悲鳴を上げるのが聞こえた。傾いた床から滑り落ち、その上に巨大な柱がゆっくりと倒れてきたのである。

 ロイは、その兵士を助けようと、再び方向転換をして、馬を全速力で走らせた。

 クロードは、ロイが馬で戻ってくるのを見ると、傾いた床を駆け上がり、馬が走り抜けようとした瞬間に飛び移った。

 「クロード!何をするのだ!?」

 ロイは、クロードの予想外の行動に驚いた。

 「師団長殿、いけません」

 クロードは、ロイの後ろに騎乗したまま、耳元で忠告すると、強引に手綱を奪って馬を走らせた。馬は、倒れてきた柱をすり抜けるようにして走り抜けたが、柱は兵士を下敷きにして崩壊した。

 ロイは、振り向いてその様子を見ていたが、どうすることも出来なかった。その兵士を助けるために馬から飛び下りようとするロイを、クロードが右手でしっかりと抱きかかえるようにして掴んで、そのまま馬を走らせ続けたからである。

 「師団長殿、兵士たちの死を無駄死ににしないでください」

 クロードは、後ろを振り向くことなく、崩れゆく神殿内を駆け抜けて、出口を目指した。

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