第6話 後輩祈莉

「一緒にいきゃあいいだろ」


 五分とかからず玄関に到着すると、前髪を触っていた祈莉は慌ててこちらを向いた。


「いやぁ、なんかこの方が待ち合わせっぽくて良くないっすか?」


 きれいに並んだ歯を見せるように笑顔で言った。


「同じ場所から行くのに待ち合わせもクソもねーだろ」


「まぁまぁ細かいことはなしっす。じゃあ行きましょう」


 素早く俺の後ろに回ると優しい手で背中を押して言った。


「あぁ、今日は行きたい居酒屋があるんだった」


 向かった先は会社から十分ほど歩いたところにある居酒屋だ。魚料理を専門にしているお店で、中はすでに賑わっていた。何時から飲んでるんだよと心の奥底で思いながら個室へと案内される。


「すみません、生ビール二つで」


 祈莉は席に座るよりも前に注文を済ませる。こういうことは教えたわけではないが、先輩の背中を見て学ぶものなのだろうか。俺が新入社員の時には先輩が待つ時間をできるだけなくすためにこうやっていた。

 そして上着を脱いで着席すると同時に、祈莉は目を輝かせて聞いてきた。


「で、なんかあったんすか?」


 祈莉が聞きたい事とは昼に聞いてきた続きを聞きたかったのだろう。機嫌がよかった理由を。


「いや別にそこまで大きな話じゃないんだけどな……えっと」


「生二つになります!」


 ガラッと扉が開き、店員さんが入ってきた。なんとタイミングがいいのか悪いのか。


「あっ、注文いいですか?」


「はい、結構ですよ」


 お前もしっかり注文するのな。俺が話そうとしていたのに。

 祈莉は俺が好みそうな食べ物を聞くことなく注文していった。メニューを見ていないのだが、否定するものが見当たらないくらいの完璧な注文だ。

 ある程度の注文を済ませると祈莉はこちらを向いて話を聞いてくれた。昨日夢を見た出来事について。

 話し終わると祈莉は手に持ったジョッキの中身を半分まで体に注入して、そのまま勢いよく机に置いた。


「なんすか先輩その人のこと好きだったんすか?」


 まるで酔っぱらって絡んでくるおじさんだ。それでも少し気分がいい。こんな夢で見た妄想を恥ずかしがらずに話せるのはこいつくらいなもんだ。


「いや、当時は好きかどうかなんてわからなかったんだよ、今まで。高校の時は話したことなかったし、でも夢の中で出てきて好きになりかけた」


 恥ずかしげもなくそう言ってジョッキに口をつける。


「今でも実在する人なんすよね?」


「当たり前だろ」


「話したことないのに好きだったんすね」


「学生時代の話だよ。それにもう結婚して子供も生まれるんだぜ。なんかすっきりした」


 別に好きだったわけではない。というより好きという感情を持つほどの関係ではなかったというのが正しい。


「え、その人とは今でも連絡取ってんすか?」


「連絡先も知らねえよ」


「じゃあなんで、結婚とか子供とか知ってるんすか?」


 確かに高校時代全く話していないと言いつつも現在の詳細を知っている。その話を聞くだけでは未練があり、ストーカーとも思われかねない


「あぁ、母親同士が仲良くてな。それで娘と俺が同い年なもんだからよく話を聞くだけだよ。それが昨日に二人目の子供ができるって聞いたんだよ」


 まったくリアルタイムすぎるのも困ったもんだ。二人目の子供ができたって話を聞いた夜にその子との夢を見るなんて、まるで……


「未練だらだらじゃないっすか」

 

 バッサリ言ってくれた。


「言うなよ! そう思ってても口に出さなかったのに」


 こいつはこういう躊躇なく突っ込んできやがるところが、デリカシーないんだよな。

 まぁ、俺がこういう対応で怒らないっていうのも理解しているから言える間柄なんだけどな。


「でもそれはもう可能性0%もないっすね。むしろマイナス」


「確率にマイナスなんてもんはねえよ。それに俺は今から付き合ってとかそんなもんは考えてねえよ」


「そりゃそうでしょ。人妻な上にもうすぐ二児の母でしょ。そんなことしたら慰謝料とか離婚とか障壁はレッドクリフ並っすよ」


 こいつはよくこういうわからない例えを入れてくる。


「家庭まで潰すかっつの! その……なんだ……今更だけど友達になりたいなって思ってな」


「はぁ!? はぁーー!? はぁ!!!??」


 祈莉は顔を歪ませて反応した。そして、続けて言う。


「何言ってんすかほんと今更。高校時代から全く話していないのに、結婚して子供出来てから友達になろうなんて……おかしくはないけど無理でしょ! 無謀っしょ」


 祈莉の反応にほんの少しだけ正気に戻ったのかもしれない。昨日の夢のせいで、妄想と興奮を脳裏に焼き付けさせ、浮かれていたのかもと思わせる。普通に考えればおかしい。

 言ったことは本音だった。今更家庭を壊すつもりもない。でも小さな抵抗をしてしまう。


「いや、なんとなく、その、過去の自分に後悔してほしくないだけだよ。なっ、別に今の人生が失敗ってわけじゃないけどよ。今話しとかないと、将来後悔するぞってな」


 なにか言い訳をしているようで必死に訴えかけてしまっていた。


「まぁ、夢の中ですからね。できなかったこと全部やっといた方がいいすっすよね」


「あぁ、それ以上でも以下でもねえよ」


 そう言って二人同時にジョッキのビールを飲み干した。

 そのまま話は恋愛話や会社の話をしていると、あっという間に時間が経った。


「そろそろ行くか」


 祈莉はその言葉に時計を見る。


「えーまだ九時過ぎじゃないですか。もう一軒行きましょうよ」


 露骨に残念そうな表情で駄々をこねる。まるで子供だ。


「今日、月曜日だぞ。それにいつでも行ってやるからよ。今日はこれで帰るぞ」

 そういうと祈莉はしぶしぶだが納得したようで、ゆっくりと立ち上がる。


「今週もう一回行きましょうね……」


 今度は不貞腐れた子供になった。俺の袖をちょんと掴んで離さない。


「あぁ、いつでも」


「じゃあ明日っすね」


 俺の返答に対してすぐに晴れやかな顔になった。


「おいおい、早いな。ゲームですぐにいいカード使っちゃうタイプかよ」


「我慢できないタイプなんす」


 またきれいな歯をのぞかせて満面の笑みを見せてくる。


「次は俺が誘うから、今週のどっかでな」


「えー明日じゃないんすかぁ」


 またすぐに枯れた花のように元気がなくなった。

 ここまで露骨に感情がわかる奴も珍しい。でも、からかい甲斐があるってもんだ。

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