第二章

2-1 回復

詐欺と旅路


 かつては立派な姿をしていたのであろう大きな館。

 カーテンが破れ、調度品は一つとして残されておらず、ただ、廊下の壁と床は泥で見事に汚されていた。

 そんな有り様で長い時がすぎたのであろうその館は、今は罪人たちの棲家。であるにもかかわらず、ひっそりと静まり返っている。

 館はまるで何者の侵入をも拒むようで、しかしそれを拒む家主はいない。

 その館の最上階で、三人の男女が対峙していた。


「こうやって、彼女を殺したんだな」


 苦しそうに、しかし憎しみを込めて唸る男の瞳が彼を貫いた。


 彼は何も言わずに男に背を向けた。

 それが、とてつもなく悲しいと思いながらも、その背中にかける言葉を見つけることができずにいた。


「俺が怖いか」


 彼が、そんなことを言う。


「そんなわけ、ないでしょ」


 即答すると、彼は見たこともない不思議な表情を一瞬少女にさらした。

 少女は思う。


 ──ああ。なんてかわいそうな人なのだろう。



◇ ◇ ◇





「あの……ここはどこでしょうか……」


 その言葉を聞いた青年と少女は、同時に顔を見合わせた。



 草原を抜け、森を抜け、いくつかの村をすぎたところで古びた馬車を見つけた。

 馬はおらず、うち捨てられたそれを引く者はいない。

 さて、何か使えるものはないか荷馬車のなかを物色しようとした矢先、一人のボロをきた男にそのように話しかけられた。


 顔を見合わせた状態から先に動いたのは少女であった。

 美しいビロードのような質感の黄金の髪。透き通った泉のような青い瞳。真っ白な肌を惜しげもなく晒しているが、色気のようなものを感じさせるにはまだ幼さが残る。

 それでも絶世の美女と呼んでも差し障りはないだろうその少女は、外見に合わないくすんだ茶色のローブをひるがえして、ボロ姿の男に尋ねた。


「どこって、地図もってないの?」


「はぁ、地図ですか……いえ、それは持っていませんで……。ここがどこなのやら」


 あわれみを誘う姿で男が不安そうに言うと、少女は「そうなの」と、さらりと返した。

 それからそっと後ろの連れ合いの青年を見やる。


 青年は全身黒であった。

 すっぽりと被ったフード付きの外套がいとうは真っ黒で、その下に着込んだ防具も靴も何もかもが黒い。背は高いが、見たところ中肉のよくいる旅人の姿だ。しかし妙に立ち振る舞いに堂々たるものがあり、貫禄かんろくのようなものをうかがわせる。


 ボロをきた男は、美しい少女と、漆黒の青年を交互に見た後、離れた場所に置かれた馬車を見てこう言った。


「すみませんが、一番近くの街まで乗せて行ってやくれませんかね」


 男の問い、願いに返事を返したのは少女の方。


「あの馬車、私たちのじゃないの。だからあげる」


 次いで、漆黒の青年が言葉を続ける。


「しかも馬いないけどな」


 ボロをきた男は戸惑った様子で二人を交互に見るのをやめない。

 漆黒の青年が馬車の中を覗いてため息を吐き出した。それから振り返る。


「しかも何も入ってない」

「食料も?」

「ない」

「何も?」

「ない」

「だってさ」

「つまり、盗めるものはないぞ、あの馬車には」


 そこまで二人が言葉を重ねると、男は困惑ぎみに眉をさげる。


「何も盗もうってんじゃないんですよぉ」

「と、言ってきた奴が、この三日の間に六人ほどいてだな。しかも全員おなじ言葉を使って話しかけてくるんだこれが」


 漆黒のローブ越しに後頭部に手をやって青年が言うと、少女が続きを受け取るように頷いた。


「ところで、背中に隠したナイフはどうしたの? 盗人ぬすっとさん」


 少女が無邪気に尋ねたその瞬間、男はころりと態度を変えた。

 隠していたナイフを取り出し、ドズの効いた声で汚らしく吐き捨てて曰く。


「知られてんならしかたねぇ、生かしちゃおけねえ。それに、物がねぇなら、そいならお前らからぬすむだけだぁ!」


「うわぁ、他の人と全く同じ台詞だわ」

「そういうもんなんだろ。おまえに任せる」


 そんな会話の末に、少女が一歩前にでる。

 ボロをきた男、盗人が少女にナイフを向けてその柔らかな肌を刺そうとした瞬間、男は「あっっちぃぃ」と悲鳴をあげてのけぞった。


 少女の手のひらの上には炎をまとった球体。火の玉が浮かんでいた。

 少女がつぶやくと、さらに一つ。二つ。三つ。そして増えに増えた、合計十の火の玉。


「ま、魔術師かぁ⁉︎」


 そんな間抜けな声を上げる男に向かって、少女はまるで投げるような動作で火の玉を放った。

 その動作に従うように、ふわふわと浮いていた火の玉十個が、同時に男に向かって飛んでいく。

 男は悲鳴をあげると、ナイフを放りなげ、くるりと反転し、脇目も降らずに叫びながら走りだした。追いかける火の玉。

 まさに、脱兎のごとく、あわれな後ろ姿を火の玉が追いかけていく。

 時々「アチッ!」っと悲鳴を上げながら、男は走り火の玉は追いかけ続けた。


 男の姿が豆粒のようになり、やがて見えなくなった。青年がそう思って視線をはずしても、青年よりずっと目のいい少女はその後もしばらく男が逃げていった方向を見つめている。

 数秒後、くるっとふりかえる。

 満足気にほほえんで、少女、カレンはいった。


「こんな感じでどう?」


 言葉を受けて、漆黒の青年が外套のフードを取り払う。

 鮮やかな夕焼け色の髪がふわりと風で浮き上がり、それを青年、ロイスは雑に撫でつけると、肩をすくめた。


「まあ、及第点だな」


 カレンが膨れっつらでろいすを睨む。ロイスは再度肩をすくめて、さくさくと先に歩き始めた。それをカレンが追う。


「魔術の発動が遅いな」

「厳しい!」

 

 ロイスとカレンが神聖都市から逃亡して数日、ロイスはカレンに魔術を教えていた。

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