逃走と惨劇


 ふと、魔術師が帽子を踏みつけた。

 脱げたカレンの帽子だ。ロイスが買い与えた、あの。

 それが視界に入ったと同時にさらに首をおさえられ、窒息しかけて「ぐぅ」と唸る。

 呼吸すらできない中で、ロイスは思考を巡らせる。

 

 ──どうする?


 そう考えた次の瞬間。


 強力な魔力がカレンから吹き出した。


「んな!」


 ロイスの背にいた魔術師が、動揺して全身から力を抜く。

 それほどの、驚くほど濃密な魔力がカレンから発せられていた。

 魔術師が動揺したことで背中の圧か消え、息ができるようになったロイスは、身を強引に起こすと、魔術師の頭を両手で掴む。

 抵抗する魔術師。そんな慌てた状態の抵抗などうごめいている芋虫のようなもの。


「抵抗になってないんだよ!」

 

 一言吐き出して、その顔面に向かって膝をお見舞いした。


「げふ!」


 などという声が魔術師から発せられるが、それは捨て置く。ふりかえり、司教とカレンを視界にうつす。

 魔力を感知できない司教がこの状況に混乱して、ナイフをカレンの首からずらすのを目視したロイスは、短距離を滑るように走り、司教の鳩尾に蹴りをかました。


 軽く吹き飛んで向かいの檻に体をぶつけた司教がげほげほと咳き込むのを無視して、ロイスは小さな『ヴォルト』を作り出し、自らの両手を繋ぐ木手錠にを中央で切断した。

 あとはすることは一つだ。

 ロイスは開け放たれたままの牢屋から飛び出ると、カレンの腕を掴んで走り出した。



 ◇ ◇ ◇

 

 暗いジメジメとした一本道。いつのまにか両脇の檻も無くなって、狭い石造りの通路だけが続いていた。灯籠だけが、規則的に並ぶ道。そこをカレンの腕を掴みながら、ロイスは走っていた。

 ロイスの背後を走るカレンの吐息は荒い。それはおそらく走っているからではない。

 見開かれた目の中では、どこをどう見ればいいのかわからないかのように眼球が動いている。カレンの腕を掴む手がピリピリと痺れてくる。今もなお、カレンからは魔力が吹き出していた。

 

 ──なんつー魔力だ。

 

 ちらりと振り返り呆然としているカレンを視界に収めながら、ロイスは困惑していた。

 カレンは魔族だ。魔力があるのは当然だし、魔術だって使えるのだ。なのに今まで一度も使っているところをみたことがなかった。

 考えてみればおかしいとわかるのに。どうして何も気づかなかったのか。

 カレンのもつ、この強大な魔力。それに今まで気づかなかった己の目は節穴だったのではないかと、疑わざるを得ない状況だった。

 

 ともかく、今は街をでて逃げることを考える。そう思うのに、迷宮のような道は少しずつだが、下に向かって坂になっているようだった。そして近付いてくる魔物の気配。

 

 ──まずいな。このままだとさらに地下にいく。引き返すか? くそ、このままだと……。

 

 ロイスがしぶって足を止めようとした瞬間、カレンが「あ」とか細い声を上げた。

 

「どうし……」

 

 そこで気づく。

 足元にある大量の血痕。

 

「これは……」

 

 その血痕を追って、ロイスが見たのは、細い道に倒れ伏す、何人もの少年少女。否。

 

「魔族……なのか……」

 

 思わず呆然と呟く。

 その呟きに弾かれたように、カレンが走り出した。するりと腕の中から華奢な手が抜けていく。自然とそれをロイスの手が追いかける。

 時間差で体も動き、走りだす。

 

「待て! 待てカレン!」

 

 ──いけない。この先にある物を見てはいけない。おそらくこの先にあるのは……。

 

 その先にあったのは広い空間。

 あの魔界の遺跡に匹敵するだろうか、高さはないが、広さならカレンとであったあの部屋によく似ていた。

 今来た道の反対側に、おそらく地上に登る階段だろうと思われる小さな石の階段がある。

 それ以外何もない広い空間。

 そこに山のように積み上げられた、魔物と魔族の……。

 

 ──死体だ。


 そして、それを呆然と立ち尽くして見つめるカレンの後ろ姿。

 

「これは……」

 

 ロイスは思わずつぶやいた。

 折り重なるように倒れた魔族たち。

 魔物にやられたのか、体の一部が無い者もいる。

 魔物の死骸がすくない。ほとんど姿を消したのか。否、どこかにいったのか。

 ロイスは周囲を見渡した。

 ふと気づく。上に登る階段の方に向かって、魔族の子らがたおれている。


 ──逃げようとしたのか……地上に、でも……。

 

 それを魔物は追いかけ、彼らは逃げること叶わず魔物に食い殺された。

 魔物たちはおそらくその流れで階段を使って地上に行ったに違いない。

 ロイスとカレンが来た道の方に魔物が来なかったのは運が良かっただけなのだろうか。

 ロイスは痛ましい光景から目を背けることはせずに、それらを冷静に分析した。そして地上に行ったのだろう魔物が今どうしているかを想像する。

 次にすることは、地上の人間を襲うことだ。

 ロイスはゆっくりとカレンに近づいた。

 

「カレン、逃げるぞ」

 

 言って、肩に手を置こうとした瞬間だった。

 再び魔力がカレンの肩から、全身から立ち上った。目を見張った瞬間には魔力の波動がぶわりと周囲のあらゆるものを吹き上げ、ロイスもまた吹き飛ばされる。

 

「くっ!」

 

 受け身をとってころがったロイスはすぐさまカレンに視線を向ける。

 そして呆然と息をのんだ。

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