虚無と非道

 ロイスは静かに問う。


「指輪はない。呪文も使えない。それで? 終わりか?」


 男は焦った様子で目をぎょろぎょろと左右に動かす。


「指を落とされたくらいでなんだ。魔術をつかってみろ。こんなに近くにいるぞ。どうした。風で俺を襲ってみたらどうだ?」

 

 あおっても、風が周囲に巻き起こることはない。


 ──ああ、つまらないな。


「道具に頼るから、こうなる」


 魔術の基本は呪文。そして次に大事なのは指輪などのクライスを模した装身具。そう思っている魔術師は多い。が、実際に大事なのはそんな見せかけのものではない。

 呪文もクライスも魔術の媒介であり、どう解釈するかでいくらでも発動の形は工夫できる。

 ロイスが指と指を交差させてクライスをつくりだすのも、また一つの工夫なのだ。

 

 この男は呪文の詠唱をせずに術を使っていた。つまり。


「魔術を発動するには呪文はいらない。代わりに媒介となる輪があればい。それは分かっていたのは褒めてやってもいい」

 

 偉そうなことを言っているのが分かっていて、そんなふうにロイスは冷たく言う。


クライスはただの増幅装置じゃない。魔術の媒介だ。呪文と同じ。それに気づいたのはいいんだが、ただなぁ。知ってるか? 指輪も呪文もなくても魔術ってのは使えるんだ」

 

 男は目をまるくした。


「知らなかったか? 研究が足りなんじゃないか」


 ロイスは冷たく相手を見下す。

 長いこと跡をつけられて、長い事見張られて、正直男に対してはフラストレーションが溜まっていたのだ。


 せめてもっと上の使い手ならばロイスももう少し楽しめた。


 ──そうだ。もっと楽しめれば、こんな気持ちにならずに済んだのに……。


 ロイスはため息を吐き出した。

 どうして懇切こんせつ丁寧にこんな魔術のことを教えてやらねばならないのか。

 斜め上を見上げて心の内側でぼやき、それから再び男を見下ろす。


「まあいい、見せてやるよ。その方が早いだろう?」

「いっ……くそぉ、くそぉ」

 

 真顔でロイスは魔術師を煽る。

 その時。男の切断された手とは逆の指にはまっていた指輪が発光した。

 男が口元を掴まれた状態でにやりと笑う。

 それを退屈そうに眺めて、ロイスは思いっきりその手を指輪ごと踏み潰した。

 

「ぐぁっ!」

 

「二度も同じこと言わせるなよ。指輪に頼るなって。他にないのか?」


 残酷なことをしている自覚がぼんやりとあったが、ぼんやりとでしかなく、ロイスはもはや氷点下の目で男を見下ろしていた。

 魔術師はもう何も答えない。

 

 ──退屈だな。

 

 そのときだ。

 

「ロイス!」

 

 カレンが叫ぶ。

 頭上から魔力の気配。

 ロイスがそれに反応して顔をあげると同時に、男がロイスの腕から逃れるように体をひねって転がると、叫ぶように笑った。


「はっはははは!」


 空から、巨大な風の刃がロイスに向かって叩きつけられた。

 土煙が舞い、ロイスの姿が見えなくなった。


「どうだ! どうだ!」

 

 流血する片手を抱えて、魔術師が叫ぶ。


「ロイス! ロイス!」


 カレンが慌てた様子でロイスの名を呼んだ。

 その声に土煙の中から「なんだ?」とロイスが声を返す。


「え?」


 その声を出したのは、カレンであり、目の前にうずくまる魔術師でもあった。


「なに驚いている?」

 

 土煙が晴れたそこには、かすり傷一つ負った様子のないロイスが、悠然と腕を組んで立っていた。

 

「そ、そんな……」

「時間差の風の術。なんて言ったかな。いい呪文持ってるな。けど……不意打ちでなんとかなると思っていたのか? そもそも風の魔術使いなら、もっと離れたところから俺を狙えばよかったのに、それもせず律儀に目の前に姿を現した。そう考えるとその時点でお前は頭が弱いよなぁ。期待した俺が馬鹿だったかな」


 ロイスが好き勝手につぶやくのを男は呆然と見上げていた。


「俺の索敵範囲内に随分前からいたようだが、ここまで接近してから攻撃したのは何故だ? まさか、風を使うのに射程距離がこの程度ってことはないだろう?」

「ぐぅ、くそ、くそぉ」

 

 どうやら図星らしい。

 ロイスは呆れてものも言えずに黙り込んだ。

 こいつをどうしてやろうかと数秒考えて、ついと上空を見上げる。

 

「お前、空が好きなのか? 上にずっといたよな」

 

 ──それなら。

 

 ロイスは人差し指をすっと上に向けた。指で指印を作って輪を作り出したわけでもない。指輪もない。呪文もない。

 なのに同時に、男の体を覆う四角い結界が張られた。

 

「は⁉︎」

 

 驚く魔術師に答えてやる義理はないが、ロイスは笑う。

 

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