1-5 城壁の外

夜闇と憂慮





 その日の夕方。ロイスは宿を取った。

 この広大な街には似合わない、小さくて安い宿。決して質がいいとはいえないそこに、カレンは文句をいうことはなかった。それどころか、珍しいものを見るように彼女は宿を見回していた。

 魔界にはあれだけ木があるのに、木の構造物がみられなかったことをロイスは思い出す。もしかしたら、大工は人間の方が進んでいるのだろうか。

 そんなどうでもいいことを考えながら、ロイスは買い出しに向かった。

 購入するのは食事だ。

 今後の保存食にあたる干し肉などを一式購入する。

 食料を購入した後、早足で宿に戻りながら、ロイスは街を出る算段をつけていた。

 ひとりで街を出る計画を。

 その方がいいと、判断したのだ。自分のためにも、カレンのためにも。

 

 そして日が暮れた頃。ロイスは酒を飲むと言って宿のそばの酒場に行くと、そこで静かに真夜中になるのを待った。

 

 カレンも誘いはしたが、実際に一緒に飲むきはなかった。

 彼女は人間界でいうところの未成年で、酒を飲める歳ではない。そのことを伝えた上での誘いだったから、彼女自ら断ってきた。そうなるだろうとわかっていたロイスは、「そうか」と一言告げて、カレンを置いて酒場に向かった。荷物はほとんどおいたまま。

 

 そして真夜中。誰もが寝静まった頃。

 ロイスは一人宿とは別方向に足を進めていた。向かうは正門。

 この街の入り口であり、出口だ。

 

 大通りを走る抜ける途中、ロイスは掲示板の前を横切った。手配書が目に入る。

 手配書が貼られたのは早くても今朝のことだろう。

 しかし一日 あれば、ロイスの顔を見てすぐ「見おぼえがある!」となる者が現れてくるはずだ。

 そうなっては街を出るのも一苦労だろうから、今出て行くのは正解だと、ロイスはついでに手配書を剥がしてから、掲示板を通り過ぎた。

 

 一つ、気がかりなことがある。

 カレンのことだ。

 

 旅券のこともあるし、無責任かもしれないが、彼女を連れ歩いて、誘拐だのなんだのと罪を肯定して歩くこともないだろう。

 街にいること自体危険であることも言ってあるし、自分で逃げるだろう。そのあとの旅で困れば自分で魔界に帰ろうとするかもしれない

 運よくカレンの似顔絵はなかった。彼女一人ならなんとかなるだろう。とロイスはあえて楽観的に考えようとしていた。

 実際わずかに心配ではあった。

 これはまぎれもない事実。わずかばかりの間とはいえ、ともに行動した相手。そして現在も、一応は取引の途中ということで、ある種仕事相手のようなものだ。その相手の安全を考慮するのは、ロイスにとっては当然のことではあった。

 それ以外にも理由があることはあまり考えたくはなかったが、残念ながらロイス自身も認めざるを得ないほど明確な感情がそこにあった

 

 ロイスはそうした雑念を振り払うように歩く速度を上げる。

 事前にかけた魔術もなるべく長期的に作用するように魔力を優遇してやるくらいのことはしておこう。それだけはしておかなければと、ロイスとしてはめずらしく、心内でひそかに思っていた。


 ロイスは空をみあげてため息を吐いた。誰もいない街中だ。ロイスのため息もやけに大きく響き渡る。

 自らの身を隠さねばならないロイスは、その音にも過敏に反応してしまっていた。

 指名手配と言うことは、あちこちの街で保安を務める者たちに追われるといいうことであり。賞金目当ての連中が大量にやってくるということでもある。

 特に魔術師というのは腕試しで名のある魔術師を倒して名声をあげようとするものが多い。いずれそうした者が現れるだろう。


 そこにカレンがいたら……と尚もカレンのことを考える。

 カレンは、まきこまれただけだ。ロイスとレイとの確執に。——それを言ったらロイスもカレンの家出のせいで親子喧嘩に巻き込まれたようなものなのだが。だから意趣返しに彼女を巻き込もうと思うほど、ロイスの人格は破綻していない。つもりだった。

 今のロイスの頭の中にあるのは、すこしだけの罪悪感と憐れみだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 気温もすっかり下がり、肌寒い真夜中。

 ロイスは街の入り口である門にたどり着いた。ぴたりと閉じた門は、夜間に誰も通さぬと強く訴えてくるようである。

 その門の前を素通りして、人間だけが出入りする専用の小さな扉にロイスは向かった。 そのカギなど、魔術で簡単にあけて街の外にするりと身をさらけ出す。

 街の外には草原が広がり、遠くには森林がみえたが、そこにいくまではすがたを隠す術はなさそうである。

 街の外のつめたい風を肺に取り込んだロイスは、風にまじる魔力の気配を感じて顔をしかめた。

 

 エヴンズベルトにくる道中から、風に紛れた魔力があった。

 ぬるっと粘ついた水が背中にへばりつくような、ぬるま湯の中にいるような不快な感覚を与えるその魔力は、昼間よりもさらに強くなっている。それに、近づいてもいる。

 周囲を見渡し、それから気配の強い真上を見上げようとした瞬間、真後ろからすでに慣れてしまった別の生き物の気配がした。

 

「いつからいた?」

 

 静かに尋ねる。

 大きな門に背を預けて、一人佇たたずむカレンがいた。

 少しだけ疲れた様子で、ロイスをじっと睨みつける。

 

「ずっと。ロイスの思考なんて、わかってるんだから」

「置いていくとわかってて、酒場にはついてこなかったのか」

「どうせうまいことかれると思って。それなら、ここで待ってればいいかなって」

 

 ロイスは舌打ちしたい気持ちになった。

 索敵さくてき魔術の範囲内にいたというのに気づかないとは……。

 そうは思うが、彼女には害意はなかっただろうから反応がないのも当然。

 それ以前に、彼女にかけた魔術でカレンはロイスの庇護下に入っているため、魔力の気配でカレンの存在を察知するのが難しくなっていたらしい。

 実際この街にたどり着いた時、魔族のもつ強大な魔力の気配が消えていることを自分で確認したのだった。

 他の誰かに事象防御の術をかけたことはなかったため、このような問題が起きるとは知らなかったのだ。

 

 ──俺の研究不足。だな。

 

 そう悔いる。

 

「ね、取引はまだ終わってないよ。魔族について教えるから、人間界について教えてくれるって言ったじゃない……ついていかせてよ」

「……わかった。ならもう取引きは終わりだ。いま、全て教えてやるから、さっさと街に戻るなり、別の村に行くなりすればいい、一緒にいると俺が誘拐犯あつかいされて迷惑だ」

 

 ロイスは投げやりにいった。

 カレンを連れて歩く気はもう本当に微塵もなかった。

 しかし。

 

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