1-3 襲撃

境界と襲撃


 

「魔物だ!」

 

 宿屋の階段をけ降りたところで、ロイスは叫び声をきいた。

 切羽せっぱ詰まった様子の声に、大通りへ走り出て、すぐに事態の深刻さをさとる。

 村の入り口から奥へ奥へ、人々の波が押し寄せる。そのむこうにみえる。黒いモヤ。

 目を見開く。

 

 ──魔界との境界だと? 昨日まではなかったのに、どうして⁉︎

 

 同じ場所に存在している魔界と人間界。

 二つの世界のさかい曖昧あいまいな場所、境界きょうかい

 

 それは、ゆっくりと発生し、発生すればそこにあり続ける。一度発生したら消す方法はない。そしていつ発生するかもわからない。ただ、突然巨大な境界が発生することはあり得ないと言われている。

 

「あり得なくはないよ。魔界から開くことはできるもの」

 

 背後から聞こえた声に、ロイスは驚いて振り返った。

 気づけばすぐ後ろにカレンが立っていた。その表情は深刻そうに歪められている。

 落ち着かない様子で手を胸の前で組んでいる。

 しかし、それ以上に木になるのは、まるでロイスの思考を読んだかのような台詞。ロイスは眉を寄せる。

 

「なら、あれは魔界から意図的に開かれたということか」

 

「……たぶん」

 

「魔族が境界を開いて魔物を送り出しているというのは、本当だったと言うわけだな」

 

「違う。でも、そういうことが可能なのは、本当」

 

 即答するが、悔しそうにカレンが言った。

 罪悪感でも感じているのだろうか。カレンの様子に一瞬意識を奪われて、しかし今はそれどころではないと目をそらす。

 ロイスは表情を強張こわばらせたまま、再び村の入り口方向へ視線を向けた。


 巨大な黒いモヤ。

 魔界との境界に発生する原因不明の霧。それが雨雲のように視界の一部を黒く染めていた。

 流れに従って逃げ走る村人たちのその顔は、恐怖に染まっている。

 何か、得体の知れない何かが起きているとロイスの勘が告げていた。

 

 「くそっ……」


 ロイスは弾かれたように走り出す。

 人波をかき分けて、村の入り口──モヤに向かって一心不乱いっしんふらんける。

 人の動きが邪魔だ。早く、早く、と焦るロイスを人波が阻む。


 あと少しで村の入り口というところで、不意に、視界を黄褐色おうかっしょくの物体がかすめた。


 咄嗟とっさ指印しいんを組む。


構築こうちく!』


 瞬間。

 ロイスの目の前にいた村人の前に透明な壁が築かれ、そこに巨大なカエルが激突した。

 ぐしゃり。と音をたててつぶれたそれに、村人が悲鳴をあげる。

 さらに奥からもう一体、カエルが跳躍ちょうやくしてきた。咄嗟とっさにそれも結界で防ぐ。カエルの魔物は透明な壁にぶつかって、その自らの勢いでひしゃげ、体液をぶちまけた。

 あまりにもえぐい絵面だ。

 の当たりにした数人の村人が「ひいい」と声をあげて腰を抜かす。


 ロイスもおなじく顔をしかめたが、しかしそれだけに留めて、ロイスは周囲を素早く見渡した。


 すでに人がまばらな村の入り口。ゲコゲコと妙にカエルらしい声をあげる黄褐色の魔物が、数メートル先、村の入り口付近に群がっていた。魔界から開かれた巨大な境界。その向こうから現れた魔物たちだ。

 数人の村人が何やら木の棒などを振り回しているが、当たる様子はない。ただ、魔物もまた、その動きに微妙に翻弄ほんろうされているようにも見える。

 見た目の通り、頭のいい化け物ではないらしい。

 それにしても。

 群れで行動する魔物ばかりに遭遇そうぐうするのは運が悪いと、ロイスは奥歯を噛みしめる。

 一番手前にいるカエルは村人のめちゃくちゃな棒振り回しに手を出しあぐねているようだが、その後ろの連中は人間を捕食ほしょくしようとしているのだろう。跳躍ちょうやくする準備をしているのか、脚をもぞもぞと動かす姿は目をらしたくなるほどに醜悪しゅうあくだ。

 しかし、ロイスはカエルどもから目を逸らさない。

 ともかく入り口に結果を張るため、走り出そうとした時。一匹、奥から跳躍してくる影があった。

 ロイスに向かってまっすぐ魔物が飛びかかってくる。それをさらっと結界でいなして、魔物を睨む。やっかいな跳躍能力だ。

 相手は弱い魔物。と言えど、村人たちからすれば恐ろしい化け物以外の何者でもない。


 ロイスは低い声で村人たちを叱咤しったした。

  

「いいか、とにかく村の奥へ。できる限りモヤから離れろ。いいな!」


 恐怖に震える村人が数人、ロイスの声に背中を押され、悲鳴を上げながら走り去る。それでも腰を抜かして立ち上がれない女に手を貸して、どうにか立たせる。

 つづけて魔物に向かって棒をふりまわしている村人に、ズンズンと近づいて強引に引っ張ると、とにかく後ろに下がらせた。もちろん、跳躍してくる魔物を村の外に弾きながら。

 村人はひたすら村の奥へ避難ひなんさせる。魔物はひたすら村の外に弾き出す。そうやって対応しながら、ロイスは必死に頭を巡らせていた。

 

 ──あの巨大な境界。閉じることができるか? いや、境界の閉じ方なぞ知らん。カレンの言う通り、誰かが意図的につくりだしたものならば、そいつなら閉じることも可能か?

 

 冷や汗がこめかみを伝う。

 今をしのいだとして、しかしヨウラ村にはもう魔物の脅威にさらされ続ける未来以外はない。

 村の崩壊を目にすることになるかもしれない。そんな思いがロイスの胸を締め付けた。


 ──とにかく、今は村の入り口を封鎖して……。


 ロイスが結界をはろうとしたその時。

 強烈きょうれつな圧力にも似た気配がロイスを襲った。

 背中が粟立あわだち、足元からヒヤリと寒気が全身を襲う。指先は震え、息すら吐くことができないほどの威圧的な気配。

 それはモヤの向こうからぴりぴりと肌を刺す。


 ロイスはのろのろと視線をモヤに向けた。

 

 ──何か、くる。

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