第8話 少年の日常―後


 こちらから姿を目にすることは出来ないが、妖精女王と言われた声の主には少年の様子が見えているようだった。


「どうやら傷は治ったようじゃな。感謝するが良い。其方を癒したのは、この泉に棲む草花ぞ」


 言われて自分の身体を確認する。

 確かに先ほどまで殴る蹴るされていた痛みはどこにもない。それに土埃にまみれていた服も、身体ごと綺麗に洗われている気がした。


「無礼者め、さっさと服を乾かせ。ずぶ濡れのまま女王の御前に出るつもりか?」

「……乾かす? どうやって?」

「手間のかかるヤツめ。こうするんだ」


 面倒そうに小人の男が手を上げると、それを合図に火と風が少年を包み込んだ。


「うわっ!?」


 よく見れば、手の平に乗るくらいの小さな妖精が自分の周りをクルクルと飛んでいる。


 ……火と風の妖精か。


 話に聞いたことはあるが、目にするのは初めてだった。赤と緑の光がキラキラと煌めき、その様子を眺めていると、いつの間にか髪と服は乾いていた。


「指輪を外して御前で名を名乗れ」

「!!」


 思いも寄らない男の言葉に、少年の表情は険しくなる。


「……なぜ、それを」

「ワシは変身の魔術具には詳しくてな。そんな隠されてもいない物なんぞ、見抜けん方がおかしいわい」


 ざっくりと短く切った白髪から土色の眼光を覗かせ、男はこともなげに告げた。


「ワシがここに喚ばれたのは、大方お前の面倒を見ろということだろうよ。陛下の気まぐれにも困ったもんだ」

「聞こえておるぞ、パケルスよ。気まぐれなどではない。妾の恩恵がそうさせたのじゃ。愛し子よ、早うこちらへ。その姿を近くで見せるが良い」


 自分と同じか、あるいは年下くらいの声に『子』と呼ばれ、少年は複雑な心境となる。

 広い湖の真ん中で無数の槍に囲まれ、自分の常識が通用しそうにない空間で、どこへ逃げればいいのか見当もつかない。

 いろいろと思うところはあるが、少年は諦めた顔で渋々指輪を外した。


 しかし。


「逃げるぞ!!」


 指輪を外した途端、パケルスと呼ばれた小人族の男は少年の腕を掴み、槍を押し退けて一目散に走り出した。


「──な!?」


 訳も分からず、もつれた足のまま目の前に現れた黒い穴の中に蹴り入れられる。

 ウサギの掘った巣穴を転がるように落ち、どこかの地面に着いたと思ったら、ドスンとパケルスが重なるように降ってきた。

 思わず「ぐぁっ」と変な声が出る。

 小柄なくせに、かなり重い。


「ふぃ~~、危なかったわい」

「……いいから、早く退いてくれ……ッ」


「よっこいせ」と下りたパケルスから距離を取り、少年は今いる場所を見回した。


 さっきまでいた変な空間ではなく、少なくとも見知った世界のようだ。天井が低いから、恐らくサンキシュにあるどこかの建物の中だろう。

 書庫と物置と応接室をごちゃ混ぜにしたような、散らかっているようで必要な物しか置いていないような場所だ。


 少年はひとまず息をつき、少し落ち着いたところで、突然の逃亡の理由を尋ねた。

 あの声が本当に女王のものだと言うのなら、助けてもらっておいて挨拶もしないまま逃げ出して良かったのだろうか。

 しかしパケルスは『あの場から離れるのは女王の臣下として当然の務め』と言って胸を張った。さっぱり意味が分からない。


「お前みたいなヤツを側に置いとけば、女王は内政をほっぽり出すに決まっとる。お前も自分の知らないところで国を傾けた罪人として裁かれたくはないだろ?」


 …………何の話だ?


 納得はいかないが、パケルスの話す口ぶりからすると、何かのピンチから救ってくれたように聞こえた。


 ……何からだ?


 とそこへ、『ようやっと見つけたぞ』と、ドスの利いた妖精女王の声が響いてきた。


「陛下、この者はワシが責任を持って面倒を見るので安心してくだされ。ではまた──」

『待てい! そこな節くれ! 勝手に通信を切ろうとするでないわ!』


 やや苛ついた調子の女王の声は、部屋の奥の方から聞こえてきていた。そこにあったのは、少年の背丈よりも大きな鏡だ。


『人の楽しみを奪いおって。よくも──』


 そこで少年は初めて、妖精女王の姿を目にした。


 七色に彩られたアゲハ蝶の大きなはねを背に持つ、可憐な少女姿の妖精。

 緩く波打つ長い髪は見る角度で淡白く色を変え、瞳の色は深い森を思わせる深緑色だった。

 花びらを重ねたようなドレスに身を包み、頭には水晶の粒で出来た王冠が載っている。


 パケルスが手で示す合図を受け、少年は女王と目が合う前に鏡の前に跪いた。頭を深く下げ、顔を伏せる。


「陛下。例え女王と言えど、他国より流れてきた少年を愛玩物として拉致監禁、都合よく飼い殺すのは犯罪ですぞ。忠実な臣下としては見過ごす訳にはいきませんな」


 ──なッ!? 拉致……監禁!? オレはそんな目に遭うところだったのか!?


 パケルスの思わぬ言葉に少年は愕然となった。


『何をたわけたことを言うておる。妾はたまたま強い魔力反応を感じ、その場にいた其の者を保護しただけじゃ。傷ついた者を癒しただけの人助けであろう』

「……先ほど『人の楽しみを~』とか言うておりませんでしたかな?」

『気のせいじゃ』


 きっぱりと言い切りながらも、女王は熱い視線を跪いている少年に向けた。

 そういう対象として見られているのであれば、身の危険しか感じない。そんなジリジリとした熱線を受け、少年の首筋を嫌な汗がじわりと伝った。


『……妾の予定を狂わせたのは「それ」じゃな』


 口元を扇子で隠し、誰にも聞こえないように呟いた女王は、少年の手首にあるお守りに視線を向けた。


 身に着けた者が生命の危機に晒された時、一瞬で周囲を凍りつかせて身を守る『氷結リザリーの守り』。

 これは誰にでも手に入れられるような物ではなかった。地上界にあることすら珍しい。

 それこそ王族や貴族が何かの付き合いや取引で手にするような、神殿のエルフ──その正統な血筋にある者が作る魔術具だ。獣人の少年が持つには不相応な代物と言えた。


 少年がこの国に来ることを知っていた女王は、本来であれば奴隷商に売られた少年を買い、自分の城で側仕えとして働かせるつもりでいた。

 辛いことや故郷のことなどを全て忘れさせ、骨の髄まで甘やかし、ずっと妖精の国に留めておこうと……そう考えていたのだ。


 しかし、思わぬ所で邪魔が入った。


 ……妾の恩恵を超えてくる、か。


 面白いではないか。

 女王は扇子の裏で笑みを深めた。


『其方を不逞の輩から救ったのは、手首にあるその魔術具ぞ。それがなければ生命も危うかったであろう』


 他人の手柄を横取りするような器量の狭さは女王にはない。告げられた真相に驚いた少年は、自分の手首を驚きの目で見つめた。


 ……これが!?


 あの少女の作ったお守りが、まさか本当に自分を守ってくれていたなんて。


『作った本人にしか魔力を込められぬ物じゃ。魔力を使い切った今では、ただの飾りじゃな。その店におる業突く張りに渡せば、買い取りくらいはするであろう。それを当面の資金とすれば良い。パケルスよ、あとのことは其方に任せる』

「は。確かに請け負いましたぞ」


 女王があっさり少年から手を引いたことをパケルスは意外に思った。

 てっきり難癖をつけ、無理やりにでも城に連れてくるように言われると思っていたのだ。


『少年よ。自らの口で名とこの国に来た目的を告げよ。さすれば手を差し伸べてやらぬこともない』


 女王は今までとはガラリと雰囲気を変え、厳粛な声音で少年に語りかけた。圧倒する存在感は、間違いなく一国の主のものだ。


「……クレイドル。それがオレの名だ。この国には、ある魔族に復讐する手段を得るために来た。……オレは魔族だ」


 顔を上げ、まっすぐに向けられた瞳は焔のように紅く染まっていた。


 まだ少年だというのに、恐ろしいほどの美貌。

 人の心を惑わせ狂わせる、そんな類いの美しさは女王の耳に届いていた噂以上だった。

 人の美醜になど興味のないパケルスが、ひと目見て『女王には見せまい』と即断したのも頷ける。


 クレイドルは自分の故郷が他領の魔族に滅ぼされてしまったこと、双子の妹がその領主に捕らえられていることを女王に話した。


「オレの望みは、その領主への復讐と妹の奪還。それから故郷を取り戻すことだ」

『ほう……「双子」とな。あの鳥女が目の色を変えて其方を手中に収めんとしたは、そういうことか』


 音もなく女王の艶めいた口端は上がり、紡がれた声は深い森色の瞳よりも遠い所にあった。


『良かろう。パケルスよ、其の者を騎士団で鍛えてやるが良い』

「御意」


 女王は優しく目を細め、愛し子を見つめる。


『クレイドル、妾の元に来たからには無駄死には決して許さぬ。生きて目的を果たすと誓うのであれば、この国を其方の止まり木とすることを認めよう。ただし──』


 声に陰を含ませ女王は続ける。


『もし途中で諦めたり、戦いに敗れでもした場合は、その身を妾に捧げると誓うのじゃ。さすれば辛いことも苦しいことも、全て溶かして忘れさせてやろうぞ』


 鏡に映る女王がクレイドルに向けて指し示すと、目の前に契約の魔法陣が浮かび上がった。


『覚悟あらば手を重ねるが良い』


 クレイドルは試すような女王の目をまっすぐに見据える。


「……元より、この身を捨てる覚悟の上だ」


 力強く魔法陣に手を乗せ、クレイドルは女王と契約を交わした。




 その後、クレイドルは妖精の騎士団で身体を鍛え、剣術と魔法を学ぶようになっていった。

 早朝から夜遅くまで、時間があれば外へ働きにも出ている。人族や獣人の姿では、さすがに騎士団への入団は難しかったため、今は妖精の姿に変身している。

 この国に来た時に持っていた物は全て売り払い、今では周りに馴染む服装となっていた。


 しかし、ただ一つだけ。

 手首に着けた何の役にも立たないお守りだけは、今でも手元に残している。

 亡くした故郷の仇を討つため、己を捨てて一心に剣を振る。


 それが、少年クレイドルの日常だった。


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