ACT2. 秘密基地、お借りします

「子供……?こんなところで何をしている」


 マスクの下からくぐもった男の声が聞こえた。

 太一たいちは思わず黙ってしまう。

 その異様な風貌ふうぼうからは、も言えぬ威圧感を感じた。


 黒ずくめの男は、肩をすくめると、ゆっくりと小屋の中に入り込んできた。





――ゴッ。






 小屋中に鈍い音が響いた。

 あ、欄間らんかんに頭をぶつけている。男がちょっと頭を抱えている。

 

 太一が見つめていることに気が付いたのだろう、男は手を離すと首を倒すようにして中に入り込んだ。

 かぶとの前頭部が少し削れて白くきずが付いた。


「ここには誰もいないと思っていたのだがね」


 男は厳格な口調で言った。


 強い。……心が。

 というか、声が、こもって聞き取りにくい。


 太一は、この数秒のやり取りで、目の前にいる男の格好が、デパートで見た特撮ショーの敵役の格好にしか見えなくなってきていた。よく見れば、兜のような被り物も、仮面もプラスチック製のようだった。

 しかし、明らかな不審者である。

 太一は最大の警戒を以て、男に話しかけた。


「あなたは誰ですか」


 リュックサックに手を突っ込み、懐中電灯を握っていた。その手が少し震えていることを自覚する。


「私からすると君は何者だ、といったところなのだが」


「僕の名前は野上太一のがみたいち……です」


「ほう。私に怖がらず、自己紹介ができるのは良いことだ」


 兜が上下にプルプル震えている。なんだろう。


「では私の名前を教えよう。私の名は……ダーク総帥そうすいだ!」


 そう言いながら彼は、右手で顔を隠すようにポーズをとった。




 しーん。




 小屋の中を一瞬で静寂せいじゃくが支配した。いや、太一とダーク総帥を自称する男の目線は絡み合ったままである。

 というか、ダーク総帥の仮面が黒くてどこが目なのか分からない。


「世界を代表する闇の大魔法使いにして、秘密結社・闇の教団の総帥である!」


 なんと言葉を続けてきた。

 ビシッ、と指を差されたが、太一には何を言っているのかさっぱりだった。静寂は、固まりすぎていよいよ沈鬱ちんうつへと進化しそうになっていた。その様子の異様さに気が付いたのか、自称総帥は言った。


「む。お前は闇の教団を知らんのか」


「ええと。はい。ごめんなさい」


「仕方ない、教えてやろう。闇の教団は世界を裏から牛耳ぎゅうじる、巨大な裏組織なのだ!」


 お巡りさん、ここに不審者がいます!


 太一はグッと出掛かった言葉を飲み込んだ。

 そして今のやり取りをよくよく振り返ってみる。

 ダーク総帥は、闇の教団という秘密結社の総帥。闇の教団は世界を牛耳る裏組織。うん。間違いなく作り話だろう。とすれば、彼の格好はコスプレだ。

 太一は合点がいった。彼は何かお芝居の役を演じているのかもしれない。


「えーと。ダーク……さん、は何かお芝居をされているんですか」


「総帥と呼べ!お芝居?お芝居とは何だ?」ダーク総帥は首をかしげる。「それより、君はここで何をしているのだ」


「えーっと」


 言いよどむ太一を尻目しりめに、ダーク総帥は部屋の中を見回し、あの横断幕を見つけた。


「一ノ瀬秘密結社、秘密基地……?なるほど、なるほど……」


 得心がいったように大きく頷くと、総帥は正体見たりと大仰おおぎょうな所作で太一に人差し指を突きつけた。


「つまりここで、君は世界征服の計画を立てているのだな!」


「いえ、違います」


 即座に否定の言葉が出た。


「何?ここは秘密基地なのだろう?」


「そうですね」


「では隠れて何か悪いことをしようとしているのだろう!」


 家出をして、こういった廃材置き場に小学生がひとりで来ることは、一般的に悪いことなのだろうか。

「よからぬこといえば、まあそれは……」


「言質を取ったぞ!怪人の研究や、悪逆非道な実験をここで繰り返しているのだな!」


「あ、違いますね」


「何!?ではここで何をしているのだ!」


「まあ廃材置き場を探検したり」


「なるほど、世界征服の資材集めか!」


「この小屋で寝転がったり」


「なるほど、世界征服の体力作りか!」


「ちょっと世界征服から距離を置きませんか?」


 太一はなんだかだんだん楽しくなってきた。それにしても、黒ずくめの男は総帥役にノリノリである。


「まずはこの街を征服する気か!一ノ瀬秘密結社!」


「あー。秘密結社って名前が良くなかったのかなあ」


「くっ。盲点だった。こんな片田舎にこれほど大きな秘密結社があろうとは……」


「とりあえずメンバーは僕だけですね」


「何!?君だけで世界を相手どれるほどの力を持っているのか!む!重いプレッシャーを感じる!」


 太一は頭を掻くと、意を決して家出をしてきたことを説明することにした。

 ダーク総帥は、太一の話を一向に信じてくれなかったが、太一は根気よく丁寧に説明し、ようやく誤解を解いてくれた。


「秘密結社、秘密基地。紛らわしい名前を付けるでない!」


 総帥はぷりぷりと怒っていた。兜が上下にプルプルと震えている。


「しかも疑ってみればただの家出少年だったとは!私の一生の恥だ!」


 総帥は両手で顔を覆っていた。

 

 太一は、自分は全く悪くないが、しかしすごく申し訳ないことをしたような気持になった。

 

「ご、ごめん」


 外を見ると、雨足は強くなっている。

 太一は、目の前の不思議な同室者に、もう少し話を聞いてみたい気持ちに駆られた。


「ダーク……さんは」


「総帥で良いぞ」


 総帥って呼び方は譲歩しているのだろうか。


「……総帥は、どうしてここに来たんですか」


「この山に仕事で来たのだ。そしたら、にわか雨が降ってくるではないか。手ごろなボロ屋があったので、ここに雨宿りに来たという訳だ」


 総帥は濡れた外套がいとうをパタパタとさせた。そして、ハンカチを取り出して兜の頭頂部を拭き始めた。太一は吹き出しそうになる。


「そう考えると、そうか。私は、君の秘密基地に上がり込んだ形になるのか」


 総帥は、手をポンとたたくと、外套のポケットをごそごそと探った。

 ひょいと持ち上げると、手には渦巻柄うずまきがらの棒付きキャンディが握られていた。


「どうだ。このキャンデーで、雨宿りが済むまでの間、君の秘密基地を貸してもらえないか」

 

 あまり有難くない提案だった。少し警戒感が薄れたとはいえ、目の前にいる自称総帥はコスプレをしたバリバリの不審者なのだ。何かもらうのは気持ちがはばかられる。

 その様子を見て総帥が得心したように言った。


「これでは足らないか。仕方ない。私も不可抗力とはいえ、君の秘密基地を荒らしてしまったのだ、世界の一部を君にあげよう――」


「飴をください」


 言って太一は棒付きキャンディをひったくった。

 雨がプレハブの屋根をたたく音を聞きながら、キャンディのフィルムを剥がし、ぺろぺろと舐め始めた。味はイチゴ味だ。

 窓から見える安馬山の山肌は、雨に晒され雨霞の化粧をし始めていた。

 ふと、総帥を見ると、そばにおいてあったパイプ椅子を広げて、座り込んでいた。目線が合った。兜が上下に震えた。

……仮面で良く見えないけれど、もしかして笑っているのか?


「総帥は何をしている人なの?」


 太一からの突然の問いかけに、総帥はじっとこちらを見つめてきた。仮面で。


「だから闇の教団の総帥を……」


 しつこく言い募るコスプレ男に、半ば感心する。


「じゃあ、闇の教団はどんなことをするところなの?」


 秘密結社、という言葉にロマンを感じていた。


「うーん。一応秘密結社だからな。あまりペラペラ話すわけにはいかないんだよな」


 やけに勿体ぶる。役作りが妙に細かい。


「そうだ。そういえば喉が渇いたな。この部屋は熱がこもっているせいで、仮面の中まで蒸し暑い。何か飲み物が欲しいなあ。何か飲み物をくれたら、闇の教団についても話したくなるなあ」


 言いながらチラチラこちらを見てきた。

 分かっていて言っているのだろうか。

 太一はリュックサックを探ると、コーラ瓶を1本掴んで、総帥に差し出した。


「これ、よかったら」


「おお!太一君、ありがとう。ちょうどコーラが飲みたいと思っていたのだ」


 シュポッと景気のいい音を鳴らして総帥は王冠を外すと、ぐびぐびとラッパ飲みした。なかなか豪快な飲みっぷりだった。……仮面の上からの流し込みだが。


「ふう、生き返る。これは助かった」


 なんだろう。すごくおっさんくさい。具体的には、仕事で帰ってきた風呂上がりのビールを飲み干すお父さんみたいだった。


「どれ一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩だ。雨が止むまでの間、総帥として黒の教団について教えてあげよう」


 総帥は、仮面の口元を拭きながら、太一に話し始めた。

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