第19話 ペレウスの推理

「実はミラ博士を調べるうちに、私は1つの推測に行き当たったのです。もしよろしければ、ご助言をいただけないでしょうか。」

「助言できるかはともかく、興味はあるわ。ぜひ聞かせてくれると嬉しい。」

「ミラ博士にご子息がいたのはご存じですか?」

「ええ。記事にも出てきているわよね。」

「はい。記録によれば彼は1910年、ミュンヘン市生まれだそうです。そして1937年にバルセロナで消息を絶ちました。私はそのご子息こそがブラーエさんではと想像しているのですが、その可能性は無いでしょうか?」

「……根拠は?」

「あくまで推測に止まると前置きしますが、ブラーエさんの記事は、バルセロナで博士たちと関係のあった義勇兵Kへのインタビューという形式で書かれています。」

 ペレウスはトートバッグからファイルを取り出して続けた。

「ですがそのつもりで読み進めると、不可解な点があるのです。この記事は短いですが、確実な情報と比べても極めて詳細かつ正確な記述です。いくら当事者の義勇兵とは言え、従軍時にそこまで正確に状況把握できたとは考えにくい。私はきっとブラーエさんが当時の記録を探して対照しながら執筆したのだと思っていました。ですがここを見てください。」

 エレナは沈黙している。ペレウスは戸惑いつつ、記事のコピーで赤線を引いた部分を指し示した。

「提言執筆直後の部分です。ここには「1937年2月2日、仕上げたばかりの「提言」に封をし、国際郵便を担当する部局へ運ばせた。」とあります。因みに私の英語訳は問題ないでしょうか?」

「ええ、私でもそう訳すわ。」

「良かった。もう1つ、この文からは、博士が恐らく母語で執筆した「提言」をそのまま郵送したという印象を受けるのですが、エレナさんはどう思われますか?」

「そうだと思う。普通に読めばそうでしょう。」

「ありがとうございます。実は本文中で明らかに事実と異なるのはここだけなのです。実際「提言」が掲載されたモスクワの機関紙には、翻訳者の名前が書かれています。「ヴァシリー・カレンニコフ」。この人物は第二次大戦勃発前にアメリカへ移住し、クリーヴランドで外食業を創業したそうです。1990年の彼の90歳の誕生記念には、彼の自叙伝が作成されていました。それを見ると、確かに彼はスペイン内戦に従軍しましたが、1937年1月に両足を負傷して帰国しています。つまり博士が死去した1937年2月にはバルセロナに滞在していなかったのです。」

「じゃあ誰かから伝え聞いたということかしら。」

エレナは迷いなく尋ねた。

「まだ分かりません。ですがヴァシリー・カレンニコフが翻訳した可能性はかなり低そうです。私は昨年ご遺族に連絡を取りましたが、移住当初のカレンニコフは英語に苦労したばかりか、ドイツ語に至っては全く解さなかったと。」

「……本当にそのカレンニコフさんなの?同姓同名かも。」

「ですが自叙伝の中では何度か「高名な元教授とその息子」への言及があります。これは明らかにミラ博士のことです。カレンニコフとミラ親子には、接点があったのです。さすがに偶然同時期に2人の「ヴァシリー・カレンニコフ」と交流を持つとは考え難いかと。」

 ペレウスは付箋が付された自叙伝を手渡した。全体の分量に比べて内戦従軍時の記述は極僅かだったが、エレナの目にも「元教授」がミラ博士を指すと瞬時に分かった

「……『高名な元教授の親子は、非常に物静かで温厚だが、親子で従軍した故に目立っていた。博士はドイツの学者だがロシアの情勢に強い関心を抱いており、スペインとドイツに関する論文を書くためと言って、私に何度か革命後のロシアについて尋ねた。だが私は故郷の事情しか知らないので、博士の意に沿う答えを返すことはできなかった。……息子Tはいつも父親の影のように付き添っていた。若いが思慮深い老人のような眼をする男で、私と彼は何度か作業と飯を共にしたが、その時彼が流暢なロシア語を話すのに驚かされた。その彼が、ある日突然私にアメリカ人の知人Oを紹介してくれた。信用できる男で、私もすぐ彼と親しくなった。Oは私の人生上最も重要な人物だ。帰国後まもなく私が覚えのない批判に曝された時、Oこそが私がこの国に至る助けを差し伸べてくれたからだ。……Tの消息は今となっては知りようもなく、当時英語で親しく会話していたOとTの友人関係も、実は私の場合と大して違わなかった。だがなぜか私は、Tがあの聡明な眼で私の境遇を予感して、Oと引き合わせてくれたと思わずにはいられない。Tはそういう運命を感じさせる男だった。』」

「「ドイツの教授」という表現が、ドイツ人なのかドイツ専門なのか、恐らく両方なのでしょう。「論文」はきっと「提言」の事です。あの論文にはロシア革命の記載もありますから。そして後のページには、カレンニコフが戦線離脱する前、Tがささやかな餞をしたという記述も。ですが彼が『提言』をロシア語訳したという記述はどこにもありません。」

ペレウスはそう言いながらクリアファイルを取り出した。

「カレンニコフが翻訳していない根拠は他にもあります。これはソ連型委員会と創設者オステルマンに関する資料です。」

「もしかしてそれって最近ロシアが公表した物?」

エレナが指しているのは、先日改正条約の調印否決を表明したロシアが、「ソ連型委員会」こそがミラ博士の「提言」を正統に継承したと示す目的で公表した資料群のことだ。

「いいえ。これは私が個人的に入手した物です。これはオステルマン博士直筆のノートで、彼がソ連型委員会設立に際し行った、ミラ博士に関する調査メモで、オステルマン自身も「提言」のモスクワ伝来の経緯に関心を持っていたらしいです。結局彼は翻訳者の存在を突き止められませんでしたが、彼はこう書いています。『ロシア語訳された「提言」の封筒には、差出人欄に「ヴァシリー・カレンニコフ」と記載されていた。ミラ博士がロシア語を解さないと知る人間は多い。それで当時の担当者はこのカレンニコフが翻訳者だと結論付けた。……この人物が何者か調べるために、「提言」の掲載は数か月遅れざるを得なかった。』」

それを読んだエレナははっとして言った。

「これは……。でもこれって今のロシアにとっては都合が悪いのではない?翻訳者が不明じゃ「提言」翻訳の信頼性が保てないわ。」

「ええ。ソ連型委員会こそが「提言」が主張する構想の正統的な後継者という、今回のロシア側の主張の信ぴょう性が損なわれてしまいます。なのでもちろん「資料群」は収録されていません。」

「じゃあ貴方はどうやって手に入れたの?」

「これはオステルマン家の所有物です。彼の子孫に借りました。」

「まあ……。それでつまりどういう事?」

「モスクワにロシア語翻訳版が届いたのは確かです。でも翻訳者はカレンニコフじゃない。じゃあ翻訳者は誰なのか?……先ほども言った通り、ブラーエさんの記述は正確です。「1937年2月2日、仕上げたばかりの「提言」に封をし、国際郵便を担当する部局へ運ばせた。」、この文の主語は博士ではなく「書き手」、つまり本当にブラーエさん自身で、彼こそが他ならぬ博士の息子かつ「提言」の翻訳者だと思うのです。」

 エレナは困惑した様子で沈黙しているので、ペレウスはさらに尋ねた。

「……コブリーツさんから聞く限り、ブラーエさんの性格や熟達した外国語能力は博士の息子と似ていると思うのですが……。」

「……どうかしら。ごめんなさい、正直ちょっと理解が追い付かないわ。ご子息は1910年出生なのよね。さすがにブラーエさんが享年76とは思えなかったけど……。」

 その時外でタイヤが砂利を踏む音が響いた。2人が揃って玄関へ向かうと、丁度1人の若い女性が門を開けるところだった。彼女は胸元の深く開いた黒い五分丈のワンピースを着ていて、大きくウェーブした豊かな金髪を肩の下まで伸ばしている。その優美で洗練された容姿からは到底想像できない程素っ気ない態度で彼女は言った。

「私はカラー。兄の使いで来たのですが、エレナさんのロッジで間違いないでしょうか。」


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