第16話  中庸の心得

 8月24日。モデラ委員長は身寄りの無いリゲル・サンドラのために、漸く密やかな葬儀を執り行うことができた。彼女は6月初頭に北京から戻った後、ひと月ほどアテネ市内で入院していたが、会見の前日に息を引き取ったのだ。参列者はモデラ委員長以外には彼女の直属の部下2人、そして面識の無い若い女性だけだ。長年の親交によって、モデラはリゲルを気の置けない友だと思っていた。だが奇妙なことに、彼女は死去した途端その人生の輪郭を少しも悟らせなかった。

 疑念の端緒は彼女の家族である。リゲルには仲の良い姉がいて、彼女が緊急連絡先としていたのもその実姉である。だが実際に連絡を試みると、登録された住所や電話番号は別人のものだった。恐らく転居したのだろう、初めは几帳面な彼女らしくないと思う程度だったが、ハンガリー当局に問い合わせても、同姓同名の人物の記録を見つけることは出来なかった。もし国外に転居していたらそれを辿るのは困難だ。モデラはリゲルの姉が眼にするかもしれないと、リゲルの訃報を各所に掲載したが徒労に終わった。それで彼は自ら喪主を務めることにしたのだ。

 モデラは膝を折って、棺の上に花束を落した。誰より彼女を悼んでいるのは曄蔚文だろう。調印式典の時に墓参りする予定だった師がつい数時間前に刺殺された事実は、モデラの肩に重くのしかかった。埋葬を見届けた参列者たちが静かに解散した時も、彼は最後まで墓から離れることができなかった。

 ふと見上げると、例の見知らぬ女性もまた、少し離れたところから真新しい墓標を見つめているのに気づいた。彼女はモデラの視線に気づくと、金褐色の眼で一瞬彼を見返し、そのまま踵を返して去って行った。口元が隠れる程長いヴェールのために顔は殆ど見えないが、珍しい色の瞳と暗い金髪はどことなくリゲルを連想させる。もしかしたらモデラが探し当てられなかった親族かもしれない。だが彼には声を掛ける余力が無かった。

 思えば創成期から委員会に関わり、ここ15年近く委員会運営の中枢を担ってきた人物こそ、モデラとリゲル、そして曄蔚文だったと言って良い。モデラもリゲルも創成期に入職した古株である。彼らが若年ながら温厚な実力者として頭角を現すと、その青二才的な理想を持ちつつも思慮深く堅実で善良な手段を選ぶ態度は、当時度々オブザーバーを務めていた曄蔚文教授を大いに喜ばせた。曄蔚文博士にとって、「提唱」という人生課題に取り組む仲間として、2人はこの上なく相応しい人格の持ち主に思われたからだ。

 古今東西を問わず、過去への認識齟齬が政治や外交などの現在的課題と絡み合うことで、それらがより複雑かつ深刻化する状況は多い。それを認識齟齬の解消によって緩和しようという主張の大元は「提言」と同じだが、ミラ博士が各々の歴史を認め合うべきだと主張したのに対し、曄蔚文は実際に対立解消に役立てる重要性を強調した。彼はより多くの集団に同じ歴史、より中立で公平に見える「夢」を見せようとし、それによって諸対立の火種を解消する事にこそ歴史の意義があると考えたのだ。見方を変えれば、曄蔚文の思想には、貢献し役立たなければ存在意味が無い、それに類する厳しい峻別主義があった。

 モデラ自身もまた、机上の空論でも象牙の塔でもなく「歴史」によって社会貢献するべく奮闘を心に誓った。彼の描いた組織像は、全員が「過去と善く誠実に向き合う」ために活動する「無欲で誠実な実力者」集団である。当然ながらこの考えは極端な理想主義と評されることも多かった。だがモデラは「信用に足る」事こそが、組織が正しく機能する主軸だと理解しており、その考えこそが曄蔚文に評価されたのである。

 1989年、既に中堅となっていたモデラとリゲルへ帰国直前の曄蔚文が提示した現状課題は、加盟国数の伸び悩みと地域的偏重、そして委員会の実行力不足だった。1992年、委員長に就任したモデラは、先述の組織像を青二才的なスローガンとして表現し、曄蔚文の提示した課題を解決すべく大々的な改革を開始した。

リゲルは広報責任者に就任し、名誉委員長となった曄蔚文と共に未加盟国政府や研究機関などへの広報を担当することにしたのだ。例えば1980年代初頭の中国が準加盟国に収まったのも、もちろん一種の体制的「揺り戻し」ではあるが、それと同時に加盟国増加の取り組みが反映した結果なのは確かである。

 彼らの改革は概ね賛同を得ることに成功し、それによって組織自体も一丸性を涵養するに至った。だが委員会の実行力の低さだけは長らく改善の兆しが見えなかった。理由は単純で、組織運営陣にも加盟国にも、決定的な影響を及ぼし得る勢力が存在しないのだ。「総論」の周知を重視する委員会に置いて、実行力の低さとは活動の限界値でもある。無いならば自分で有力国なり有力者を用意するしかない。モデラたちは最後かつ抜本的な計画に着手したのだった。

 モデラが想定した有力加盟国とは、提唱者である曄蔚文博士の祖国だった。中国は成熟した歴史と拡大し続ける市場を有する国だ。経済規模ではかつて「ナンバーワン」とすら評された日本を右肩上がりで猛追している。昨今の学術を巡る市場化、すなわち得られる金銭的利益の過多によって学問の価値が決定される状況も相俟って、所詮金が物を言い、全ての価値が金額で表現される状況において、豊富な資金力は非常に重要な意味を持つのだ。

 だが同時に、中国は様々な問題の渦という側面も持っている。だが誤解を恐れずに言えば、それは大航海時代のスペインとか、産業革命以後のイギリスとか、世界大戦中のドイツや日本、冷戦中のソ連やアメリカと本質的には大差ない。重要な問題は当の委員会こそが、それらの有力国家に嫌気がさした国々によって生まれたということだった。

 そのため中国を加盟国の要にする案は決して委員会全体に共有されているわけでは無い。だが慎重に隠そうとも、スロヴェニア本部などは組織の微妙なパワーバランスの変化を敏感に嗅ぎ取ったらしく、それがズメルノスト本部長とモチュア上級委員の反モデラ・反楊何業的態度となって表れていた。モデラもはじめは冷や冷やしていたが、次第にその状況がなし崩し的に自身への追い風となっていることに気づいた。創設中心国たるスロヴェニアが持つ、ある種の既得権益に批判的な加盟国も多く、彼らにとってズメルノストたちの言動は悪あがきにしか映らないらしい。そう思われても仕方がない。現にスロヴェニア人職員の数は上級下級を問わず減少の一途を辿っているし、故モチュア委員長などに代表される明朗典雅な人材輩出の萌芽すら無いのだ。

 一方改正条約と並行して、モデラは後継者の育成に取り掛かっていた。適切なリーダーシップを発揮でき、将来的に委員会の使命を全うし得る若手の発掘だ。彼の目に留まったのは、ギリシャ人職員イレクトロ・フィデリオである。彼はウィーン本部に就職して以来、新人にも関わらず驚異的な成果を収めてきた。加えて偏りの無い性格と思想は正真正銘の逸材である。モデラはまずこの若者を自分の娘と婚約させ、彼の地盤を強固にさせることにした。イレクは喜びも嫌がりもしなかった。最近の若者らしくやや無気力で覇気が足りないのは致し方ない。今の所モデラが後継者に求める素質は、敵を作らない嫌味の無さと「総論」執筆に耐えうる実力で、イレクはそれを十二分に満たし得る様に見えた。

 だがイレクトロが組織運営能力に成熟するには相応の時間がかかるだろう。代わりに今モデラが最も信頼を寄せているのが中国代表の李奇だ。李魁博士が委員会運営に無関係とはいえ、共同「提唱」者の子息という立場は委員会との相性も良く、また中国側の調整役として味方に置かなくてはならない人物である。モデラは既に任期満了後の彼を委員会へ引き入れたいと申し出ていて、その返事を李奇本人が明日携えてくることになっている。

 こうして改正条約成立後の新生組織を担うリーダーの見通しはつきつつある。だがそこには重大な不安要素も残っている。モデラは楊何業上級委員の扱いに難儀しているのだ。いつの間にか組織を侵蝕していた彼の派閥は、少なからずモデラを圧倒した。稀有な実力を持つトラブルメーカーは珍しくない。そして通常であれば、モデラはその様な人物に重要な任務を委ねたりしない。実際事実香港を巡って彼と母国中国の関係が悪化したのは、モデラが思い描く改革に大いに水を差すことになった。だがたとえ関係が悪くとも、新生組織の核となる中国を最も熟知しているのは他ならぬ楊何業という事実は否定できない。

 楊何業の問題行動は彼の人間関係にも影響を及ぼし、モデラを一層苦慮させた。例えば次期北京本部長の人事を巡り、彼とイレクトロの関係が絶望的に悪化したことは誰の眼にも明らかだ。更に長らく委員会と本国の板挟みを強いられた李奇との関係も、必ずしも良好とは言えなかった。

 彼は現行組織に曄蔚文とリゲルと自分がいた様に、改正条約で成立する新生組織には、彼ら3人が不可欠だと思っている。楊何業にはその実力があるし、彼の協力抜きに委員会は一枚岩を取り戻せないだろう。しかしそれはあくまで調和のとれた三角関係であって、楊何業の暴走を尻拭いし合う状況ではない。曄蔚文とリゲルが相次いで変死を遂げた今、委員会の将来という重責をモデラは独りで背負っていた。


 翌日、李奇の部屋から自身の執務室に戻ったモデラは、北京本部に出張中の楊何業と通話するためにパソコンを起動した。彼は既にオンライン状態で待機していた。

「楊何業君、お待たせしてしまって申し訳ない。」

「とんでもございません。こちらこそ、お忙しいところすみません。」

「それで、いかがなさったのかな?」

楊何業は本部長不在の古巣の指揮を執っており、そのまま新北京本部長への引継ぎを行う予定でいる。彼は先んじて曄蔚文の死を知り、その公表差し止めを要求して委員会に状況判断の猶予を設けたのだ。モデラたちにとっても曄蔚文の死は衝撃だったため、楊何業の機転に助けられたのは確かだ。

モデラは画面越しに相手を見た。楊何業はオーソドックスな背広とネクタイを綺麗に着こなす知命の男だ。決してスーツ向きの体型ではないが、それなりに似合うと思わせる風格の持ち主である。彼の最大の特徴たる堅牢な城壁を積み上げたような修辞、予測できない果敢な行動力に加えて、古典的ながら洒脱な外見がそのカリスマ性の一翼を担っているのは違いない。

 だがそれらはあくまで「極めて好意的な」評価でしかない。彼はとにかく何を考えているか分からないのだ。モデラは楊何業に仕事を任せることで、重要な問題が自分の手を脱するばかりか、組織全体の緩慢な分裂を引き起こしていると知っている。曄蔚文の事件でも楊何業の機転に助けられたのは確かだが、それと引き換えに彼は今まさに事件捜査情報の主導権を握られている。

 モデラの警戒心を悟っているのか、楊何業は極めて慎重に言葉を選んで報告した。

「曄蔚文博士の自宅や関連人物は警察が一通り調べましたが、脅迫状や殺害の犯人に繋がる手掛かりは見つかっていません。」

「そうか、ご苦労様。こちらもリゲルの自宅を調べたが、当然脅迫状への関与を示すものは見つからなかった。」

「そうですか。申し訳ありません、故人の顔に泥を塗る真似をしてしまいました。」

モデラは当然だと言いたい気持ちを辛うじて飲み込んだ。楊何業はリゲルの脅迫状への関与を口にし、例によって委員長の不興を買った。確かにリゲルは改正条約の詳細も曄蔚文の自宅住所も知っている。だがそれはモデラも同じだ。

「仕方ない。君の疑惑にも一理ある。……ところでペレウス・フィデリオは、いつそちらに到着するのだったかな。」

「29日の予定です。」

「それで6日には調印式典で再びアテネに帰国するのか。私が言うのもなんだがとんぼ返りだな。」

「……彼がどうかなさいましたか?」

「いや、何かと心配だからな。彼に何事も無いよう注意してくれたまえ。」

「承知しました。」

モデラは曄子寧追跡の経過を尋ねた。

「そうだ、今朝メールを送ってくれた件だが、フェイトン君のメールを確認できるのかね。」

「はい。メールサーバー側が許しさえすればですが、サーバーを所有する大学からは既に許可が出たそうです。交渉は私の部下に任せています。」

「あまり大事にしないでくれ。彼の将来に響かないように。」

「努力します。今はリュブリャナで彼が乗り込んだ車の主を調べた所です。」

「一体どこの誰なのだ。」

「コブリーツという言語学研究者です。地元の大学で講師をしている男で、ミラ博士の記事が掲載されていたのは、1987年に彼の父親が発行した雑誌だとか。」

「ミラ博士の記事?何だねそれは?」

「未発見資料だそうです。李奇代表からお聞きになったのでは?」

楊何業の試すような口調にモデラは苛立った。彼は李奇がモデラに報告した情報と自分が部下から得た情報を比較するつもりなのだろう。彼はモデラや李奇はもとより、自身の部下すら信頼していないらしい。モデラは努めて関心ない様子を取り繕った。

「いや、初めて知ったよ。そんな記事があるとは。今君の部下が持っているのかね?」

「はい。私もPDFファイルを受け取りました。転送いたしましょうか。」

「ありがとう、手間をかけるね。」

 3人は強固に協力関係を結んでいるようで、互いに秘密も多い。事実モデラ委員長は、リゲルの死の真相を知りつつそれを隠している。一方曄蔚文の死因は誰の目にもナイフによる失血死であり、その事実はある意味モデラを大変安堵させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る