第一章 皇位継承争いの行方

第1話



 御膳房ごぜんぼう鈍色にびいろもやが充満している。

 何だか少しげ臭い。


「ちょっと、あんた何やってんの!? 焦げてるわよ、それ!」


 かたわらから漣霞れんかに注意され、玉玲は手にしていた片手鍋を慌てて振りあげた。

 黒く変色した蟹肉炒蛋かにたまが天井へと舞いあがり、頭めがけて降ってくる。


っつ!」


 帽子ぼうしのごとく頭に載った蟹肉炒蛋を、玉玲はとっさに払い落とした。

 ああ、何てもったいないことを。

 床は掃除したばかりだし、焦げを取りのぞけば食べられるだろうか。

 あたふたする玉玲をあきれた様子で眺め、漣霞は肩をすくめて指摘する。


「最近あんた、変よ。すぐボーッとしちゃって。昨日も炸子鶏からあげを揚げすぎて、黒こげにしてたじゃない」


 玉玲はギクリとして、皿に拾いあげた蟹肉炒蛋をまたひっくり返しそうになった。

 自分にドジッ子属性はないはずなのに。確かに、漣霞の言う通りだ。ここのところ考え事が多すぎて、仕事に集中できていない。

 一番の悩みの種、それは――


「もしかして、恋わずらい?」


 思わぬ指摘を受け、玉玲の頬は一瞬で朱に染まる。


「ち、違うよ! それは、太子様のことは人として好きだけど、恋とかじゃないしっ。妃をやってるのも、期間限定の仕事だし、異性として見てるわけじゃないから!」


 恋愛感情なんてない。自分に言い聞かせるように否定する。最近、彼のことばかり考えてしまうけど。突然口づけをされて、あんなふうに口説かれては、感情をかき乱されるのも無理はない。

 しかも、覚悟しろとか言っておいて、全然何もしてこないし。あの後、すぐに後宮を出ていって、二日も帰ってこないし、放置だし。何をされるのか、ずっとドキドキしながら過ごしてきたのがバカらしい。


「太子様のことなんて、別に……」

「あら、あたし、恋わずらいの相手が幻耀様だなんて言ってないわよ?」


 揶揄やゆするように口を挟まれ、玉玲は更に顔を紅潮させて押し黙った。

 漣霞は頭脳派を自称する狐精こせい、狐のあやかしで、たまに意地悪をしたり、からかってくることがある。よく仕事を手伝ってくれて頼りになるし、友達であり姉のように思ってはいるのだけれど。

 今の精神状態では、会話するたびに墓穴を掘って茶化されそうだ。

 粛々と仕事に取り組むことにしよう。今日は失敗続きで、時間が押している。


「おーい、まだかー?」


 料理を続けていると、外から少年のような呼び声が聞こえてきた。


「みんな、待ちくたびれてるぜ」


 二股しっぽの黒猫、いや猫のあやかしが窓から顔を出す。玉玲と一番親しい猫怪びょうかい莉莉りりだ。


「うん、すぐに行くね」


 玉玲は出来あがっていた料理を台車に載せて、御膳房を出た。まだじゅうぶんな量は作れていないが、とりあえずできているぶんだけでも持っていこう。あやかしたちがおなかをすかせて待っている。


 北後宮の中心部にある広場まで行くと、案の定たくさんのあやかしが集まっていた。

 玉玲を見るや目の色を変え、料理へと群がってくる。


「遅いぞ。我が輩を待たせるとは、けしからん!」

「早くするニャ! もう腹ぺこニャ!」


 蒸籠せいろうふたを開けるとすぐ、三毛と茶トラの猫怪が中の饅頭

《まんじゅう》に食らいついた。

 この二匹は、玉玲が料理をふるまい始めた頃からの常連だ。


「昨晩から楽しみにしてたナリ。よだれが止まらないナリ!」


 三尾の狐精には好物の油揚げを。他にも五目春巻、小籠包しょうろんぽう水餃子すいぎょうざ、よだれ鶏、胡麻団子。敷物の上に並べるやいなや、あやかしたちが奪い合うような勢いで料理をむさぼった。

 猫怪が五十、狐精はその半分くらいか。初期の頃は十数匹しかいなかったのに、ずいぶんと増えたものだ。


「わしらもよいかのぅ?」


 あやかしたちをしみじみと観察していたところで、後方からしわがれた声が響いた。


「ここでふるまう料理は絶品だという話を聞いてなぁ」


 振り返った玉玲は、驚きに目を丸くする。白くて長い眉毛を生やした老齢の鼈妖べつよう、スッポンのあやかしだった。鼈妖の他に、イタチやハリネズミ、トカゲや蜂といった昆虫もいる。諸精怪しょせいかいだ。

 小動物や昆虫も年を経ると妖怪化する。ただ、彼らは他の種族とは馴染なじまず、人にも滅多に近づかないと聞いていたのだが。


「どうぞどうぞ! 好きなだけ食べていって。といっても、あまり残っていないけど」


 玉玲は笑顔で料理を勧め、苦い笑みをこぼす。猫怪と狐精たちがあっという間に食べたため、提供できる料理がほとんどない。


「また作ってくるね。食べたい料理があったら言って。希望はできるだけ叶えるから」


 せっかく来てくれたのだ。猫怪や狐精以外のあやかしとも仲よくなって、後宮の空気をよくしたい。


「では、エビやザリガニの料理を所望しようかのぅ」

「小生は果物や木の実を使った甘味をお頼み申す」


 老齢の鼈妖とハリネズミの諸精怪が、続けて要望を出してくる。


「わかった。近いうちに調達するね」


 玉玲は喜色を浮かべて答え、あやかしたちを見回した。

 彼らは顔つきをゆるめ、残った料理を食べ始める。虫の諸精怪の表情まではよくわからないけれど、穏やかな空気を発していることは何となく読み取れた。この広場だけではない。後宮全体の空気も以前よりだいぶきれいになっている。


 それを明確に感じたのは二日前。幻耀が桃の樹妖じゅよう雪珠せつじゅを後宮から逃がした日だ。おそらく、北後宮に漂っていた瘴気しょうきは雪珠によるものが大きかったのだろう。彼女の負の感情を解き放ち、あやかしたちの不満を解消したことが、空気の緩和にも繋がっている。

 だから、料理を武器にあやかしたちをなごませ、この調子でもっと空気をよくしていければ。


「ちょっと、安請け合いしちゃって大丈夫なの? 食材もうあまり残ってないわよ?」

 

 気合いを入れていると、漣霞が痛いところを突いてきた。

 玉玲の二つ目の悩み。それは食料不足だ。食材を手配してくれていた宦官の文英ぶんえいが後宮から去ったため、誰も補給してくれる人がおらず、食料は尽きる一方だった。幻耀に頼めばいいのだが、彼は二日間姿を現さず、補給する手段がない。


 別に幻耀のことばかり考えていたわけではなかった。食材をどうやって入手すればいいか。文英と雪珠は無事に皇城から逃げることができたのか。最近はもっぱらそのことばかり心配し、仕事が手につかなくなっていたというわけだ。

 それは、幻耀のことも気にはなるけれど。

 せめて今どうしているかだけでもしらせてくれたらいいのに。


 不安とせつなさに胸をつまらせていた時。


「ずいぶんにぎわっているな。またあやかしが増えたか」


 待ち望んでいた声を聞いた気がして、玉玲はハッと顔をあげる。

 青藍せいらんちょうほうをまとった見目麗しい青年が、みちの先からこちらへと向かってきた。


 あやかしたちが一斉に逃げていく。残ってくれたのは莉莉と漣霞の他に、以前力を貸してくれた数匹の猫怪だけだ。逃げないあやかしが増えただけでもありがたいけれど。


 近づいてくる幻耀を見て、玉玲も隠れてしまいたくなる。あのやり取りの後、初めて会うのだ。どんな顔をして迎えればいいのかわからない。

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