クライスラーを聴きながら

麻生 凪

序/手かがみ

 はたらけど はたらけど

 わが生活(くらし) 楽にならざり

 ぢっと手をみる


 啄木はその手に、何を見ていたのか……


私は自分の思うよう事が進まない時、手のひらを見つめてしまうことがある。生命線や運命線、感情線に頭脳線、太陽線と財運線、それらを横切る障害線が無いか、幸運のスターやフィッシュが付いてないか 等々、手相を探り過去や未来に思いを馳せることが。


先日 、友人と久しぶりに酒を飲んだ。介護福祉士をしている彼が、こんな話をしてくれた。


彼が勤める老人介護施設には、介護度の高い利用者が多く、施設での、看取り(臨終)介護を希望されるご家族も居るらしい。8月のお盆期間中、夜間は利用者が結構ざわつくらしく、夜中の独語(独り言)が多く聞かれると。

巡回に訪室すると、壁に向かって、そこには居ない誰かと話していたり、普段は寝付きの良い方が、何度もコールブザーで職員を呼び出し、

「誰か知らない人が部屋に入ってくるのよね」と、話されたり……


(お迎えが来てるのか?)


友人は、毎年のことだからと、淡々と話をするが、こちらにすると、怪談話に聞こえてしまう。


死との関わりが多くなると、最期の時を予測できるとも言っていた。


死期が近い利用者がとる行動に、「手かがみ」というものがある、と言う。手のひらを、まるで鏡を見るようにじっと見つめる動作で、こちらから声を掛ける迄、止めようとしない。ただ無言で、食い入るようにじっと見詰めているのだと。

彼曰く、手のひらに、これまでの人生が、走馬灯のように映っているのではないか。人生が、今から過去に向かって映し出され、自分が生まれる瞬間まで遡ったときに、最期が訪れると。


少し、酔いざめした。


(彼にしたら、じっと手相を見ている私に遭遇したら、すかさず声を掛けるだろうな)

なんて冗談も、言えなかった。



赤ちゃんは、自分の手や足を見て、行動能力を確認するのだという。おそらく人は、手を見ることで、自分の存在を認識しているのではないか。自分の存在を認識する……。もっと言えば、これまでの人生の足跡そくせきを感じているといえるかもしれない。


誰かが言っていた、

「人は最初に、手を見ることで人生を歩み始め、最後に、手を見ることで人生を振り返る」と。



時はいつも 風のように飛び去って行く


やり残したことは たくさんある


それでも 時は過ぎる


人生は 瞬きの内に流れて行く


伝えたいことは たくさんあるのに……



良くも悪くも、その人の生きた様。


遡る過程で、

笑顔に出会えることを、お祈りします。

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