Bonus track 3 ゆかさんがくれた変化

 ある朝、ふとゆかさんのベッドで目を覚ました。


 隣を見ると、若干、着衣が乱れたゆかさんがいる。私のも同様。


 そのまま放置するとムラッと来てしまいそうだったので、そっとゆかさんの胸元のボタンと服の裾を元に戻して、私はゆっくりと布団から身体を起こした。


 昨晩はお楽しみだった。


 一昨日もお楽しみだったけどね。うん。


 そりゃあ、覚えたてえっちだものね。たくさんしたくなる。かくいう私も、まるっと一年、蓄積された性欲があるから、あんまり抑制効いてないし。


 ただ、見知らぬ扉をゆかさんによってバンバン開けられているのは、どうなのでしょう。ここ数日、知らないことばかりされている私であった。


 なんというか、嬉しくて、幸せなのだけど、ちょっと想定と違う。


 私、こんなに乱れるというか、乱される予定ではなかったのですが。


 まあ、私が多少乱れたところで、ゆかさん気にするどころか喜んじゃうんだろーけどね。


 ちょっとひりひりする下腹部を抱えながら、軽く笑って、そっとゆかさんの頭を撫でた。


 そうすると、眠るあなたはむずがるようになる、でもしばらくすると甘えるみたいに腕に抱き着いてきた。


 ……寝てますよね? ……寝てるんだね。


 寝ぼけながらでも、そんな幸せな顔をしてくれるのか。思わず微笑んで、髪の隙間に指を通す。


 綺麗、だけど、私より少しばかり痛んだ髪。私より、少し年月を重ねた髪。


 ふと、想う。年取ると、変わるのが難しくなるそうだ。


 私の22年の人生でも、それくらいは実感できる。


 きっと、小さかった頃より、新しいものを受け入れるのが難しくなってる。


 多分、考え方を変えるのが、段々と怖くなってるんだ。


 たった22年でもそれくらいのことはわかる。


 それなのに、私より月日を重ねたあなたは、私といるために変わってくれたんだね。


 私は、何が変わったかな?


 といっても、プレッシャーを感じてるわけじゃない。


 変わらなきゃとも思ってない。


 もう、誰かの期待を背負うのは辞めたから。


 私は私のままでいいのだから。


 ただ、私なりに変わっていきたいと思っているだけ。


 ただ単に、あなたの隣に立つのに相応しい、私でありたいから。


 あなたが胸を張って笑える私でありたいから。


 そして、誰より私自身が、あなたの隣で胸を張っていたいから。


 そう、自分自身として想っているだけ。


 むずがるあなたの腕からそっと手を引き抜いて、ベッドから降り立つ。


 すると、抱えた腕がなくなったあなたは、眠りながらちょっとご機嫌ななめだ。ふふ、眠ってるのに表情が豊かだね。


 そっと笑って、薄手のパーカーだけを羽織って、ベランダに足を向けた。


 少し外の風でも浴びよう。そして、考えよう次、どんな変化を試すのか。


 どんな私になっていこうか。


 期待も不安もたくさん載せて、震えた指で笑いながら歩き出す。


 いつかあなたがくれた小さな勇気を火種にして。


 ゆっくり、ゆっくり私のペースで薪をくべるのだ。


 窓の向こうでは朝早いのに、セミが元気に鳴いている。でも、それもあと少し。


 まだまだ残暑は厳しいけれど。


 もうすぐ、秋がくるよ。ゆかさん。



 ※



 寝こけたゆかさんを置いて、ベランダに出る。


 少し眩しい朝日に目を細めながら、後ろ手で窓を閉じた。


 細い雲が幾筋か伸びてるだけのいい天気だ、まだ涼しいけれど、今日は暑くなりそう。それに休日だしゆっくりできる。


 相手は起きてるかな? まあ、いつも早起きだったしね、多分、起きてるでしょ。


 スマホを耳に当てて電話をかけた。


 少し長めのコールの後、通話が繋がった。


 開口一番、わざと軽い調子で声を発する。


 「はろー、まいふぁざー」


 「…………いつぶりだ」


 低く、平坦な声。私の唯一の片親である、父親の声。


 以前は声を聴くだけで、心臓がすくんでいたけれど、今は我ながら落ち着いている。


 うん、怖くない。そもそも、なんで怖かったんだっけ。


 「うーん、何時ぶりだろ……。大学卒業くらいにかけたから……半年ぶりくらい?」


 「……お前の会社から連絡あったぞ、突然、こなくなったと」


 通話口に漏れる平坦な声に、落ち着いて、言葉を返す。心も身体も平常運転だ。以前だと、こうはいかなかっただろう。


 「うん、ちょっとさ無理だった。私、残業が二時間超えると、脳がバグるみたい。あと、あっこ音がやばい。だから、今度からパチンコ店はで働くのは辞めとくよ」


 「……だから、最初にやめておけと言ったろう」


 父親はため息をついて、そう漏らした。私は思わずくすっと微笑む。以前はこの言葉が憎たらしくて仕方なかったけど、今は別にそうでもない。しんきょーのへんかという奴かね。


 「ま、確かに。でもあれくらいしか、受かんなかったからね。あと、失敗は自分の身で体感してこそじゃん?」


 「……お前そういう所は、ほんとーーー」


 「ーーーーいなくなった母さんみたい?」


 私が言葉を引き取ると、父親は少し、押し黙った。


 きっと、口に出かけたけど、そのまま言わずに飲み込むつもりだったのだろう。


 母さんは自由な人だったからね、割となんでも試してなんぼみたいな人だった。ーーーらしい。詳しくは知らない。


 「まあ、そんなことは置いておいて。とりあえず、生きてるよって生存報告」


 わざと軽く、気楽に言葉を紡ぐ。まるで昨日まで一緒にいた仲のいい家族みたいに。


 「それは口座見てたらわかる。毎月、一応の生活費くらいは振り込んでたしな」


 「それはどーも、月15万は生活費としてはやりすぎだと思うけどね。あと、私の通帳、今度返してよ」


 「ダメだ。そっちでカードがあるから不便はしてないだろう」


 「まあ、そうなんだけどさ。この年になって、親に通帳管理されてるとか、ゆかさんに聞かれたら恥ずかしいし……」


 「……誰だそれは?」


 父親の声の調子が変わる。低く平坦な声から、剣呑なそれに。


 「あー……いま、居候っていうか、同棲させてもらってる人」


 「……そうか」


 何かを渋るような声。うん、まあゆかさんの情報自体、初めてだしたもんね。


 「うん、いい人だよ。こんな私だけどさ、一緒にいてくれて、ちゃんと話も聞いてくれて、向き合ってくれた、いい人」


 「…………」


 「今は、本屋でバイトしながら、歌うたってるよ」


 「…………」


 「…………」


 少し、沈黙、悩むような唸り声。


 「無理矢理迫られたり、水商売にひっかけられたりはしてないな?」


 「もーまんたい」


 「暴力や酒を強要されたりもしてないな?」


 「ゆかさんへっぽこよ? お酒も飲まないし。心配ないよ」


 「あとはーーー」


 「大丈夫。心配しなさんな」


 「……そうは言ってもだな、お前は女だ。いざって時、力任せにされることだって……」


 「だいーいじょうぶ、っていうかゆかさん女の子よ?」


 「…………」


 また、沈黙。今度はちょっと種類が違うけど。困ったような沈黙。


 「高校の頃、言ったじゃん。私、女の子が好きだって」


 「……思春期で脱出するものだと思ってた。俺もそうだったからな」


 「はは、甘いね。私のは筋金入りだ。つーか、さらっとすごいこと聞いた。だから高校の頃も慌てなかったんだ」


 そういえば、この人は、私がそういったことをカミングアウトしてもさらっと、そうか。で済ませていた。あー、そういう背景があったのね。納得。


 「……ああ、……その人に迷惑かけてないか? ちゃんと好きあってるのか?」


 「最初はゆかさんは、そーじゃなかったけど、粘り続けてくっついたよ。迷惑は……色々かけてるかも」


 「おい……」


 呆れた声。


 「まあ、でもそんなもんじゃない? 一緒に暮らすって」


 「……」

 

 「お金面はお世話になりっぱなしかな、住むとこも。だから、ちょとずつ恩返ししなきゃ、って感じかな」


 「そうか……」


 あえて、言及しなかったけど、父親から振り込まれているお金はほとんど手を付けていない。おかげで通帳の額面だけは、ばかすか増えてるけど、私は私がバイトで稼いだ分しか使っていない。


 「……まだ、怒ってる?」


 「……何についてだ」


 「んー……、就職決まった時に、やめとけって言われて、腹が立って殴ったこととか。過保護すぎて、そんなんだから母さんに出てかれるんだっていったこととか、あとはーーーーーー、何かと反抗しまくったこととか?」


 「……」


 通話口の向こう側から、少し荒い息が漏れた。はは。


 「怒ってるね」


 「まあ、そりゃあな」


 「まあ、そりゃそっか」


 「親の気も知らずにお前は……」


 「ごめんて、私にも私なりの事情があったの。あと常々思ってるけど、過保護すぎだからね?」


 「ーーーわかってる。過保護なのもの。お前には苦労を散々かけてるのも。あいつが俺から逃げたことで、普通の人がしなくてもいい苦労は散々掛けてる、その分の迷惑料だろう。わかってるさ」


 父親の声は酷く、重々しく、罪悪感に満ちたものだった。だからこそ、少し的外れ感が際立つ。しゃーない人だね。


 「…………んー? いや、私、そんなふうに思ったことは一度もないけど?」


 「…………は?」


 「つーか、母さんが逃げたのって母さんの性格の問題じゃん。共同生活向いてなさすぎだもんねあの人。家事も家の管理も滅茶苦茶だったし、あの人。いや仕事はできたんだろーけどさ、後から聞くと娘のあたしから見ても、それどーよみたいなとこ結構あるし」


 「…………」


 うちの母さんは自由な人だった。海外で建築家か何かの仕事をしていて、家には図面を大量に立て並べて、家事もほとんどしなかった、らしい。話は全部、大きくなってから、父母両方の祖父母や父親から聞いたものだけど。


 そんな人だけど、独創的なデザインと革命的な発想の構造を売りにしたクリエイターってネットで紹介されていて、中学生くらいの私は首を傾げたものだった。その独創的な頭をもうちょっと、家を作るのではなく家の管理に使えなかったのかと。ちなみに、子育てのせいで思ったより自分の時間と仕事の時間が無くなってきつかった、という理由で当時2歳くらいの私を置いて、父親と離婚した。養育費はしっかり振り込んできたらしいけど。まあ、控えめに言って、わがままにも限度があるだろうって人だった。


 「そのくせ、最近一年ごとくらいに、私に『会えない?』って連絡いれてくてんだよね。しかも、あったらあったで、離婚のことめっちゃ引きずっててさ。どう思われるのか、怖いか知らないけど、私が前に立つだけで、めっちゃびくびくすんの。ごめんね、ごめんねって、もう調子狂うったらない」


 「ーーーあいつ、そんなことしてたのか」


 「うん、あの人には内緒にしといてって、言われてた。会わす顔がないからって」


 通話口の向こうからため息が漏れる。呆れた顔が容易に想像できた。


 「まあ、確かにな。おかげでさんざん苦労は背負った。今更顔見ても、恨み言ばかりいいそうだ」


 「はは」


 「ーーー


 それから、父親は何気なく、そう言った。


 ………………。


 一年前の私なら『そうかもね』って返したかな。


 いや、そもそも、父親とこんな話をしなかったか。


 それがちょっと面白くて、想定してたのとは別の答えを返した。


 「本当にそうかな?」


 これはいい選択かな?


 わからない。


 でも多分、これはお節介だ。


 他人の気も知らないやつが、たまたま自分が上手くいったから、誰かも上手くいくものだと勝手に思っただけだ。


 「意外と、向き合って、隣に長いこといたら。なんか噛み合うかもよ?」


 軽く笑って、無責任に、根拠のない希望論で笑う。


 意味はあるかな? 


 ……まあ、本人たちしだいか。


 「ーーーーーどうだろうな」


 少し考えるような時間があって、父親はそう漏らした。


 「まあ、もう好きな人がいて、私の新しい母さんとして紹介予定だったら知らないけど」


 私は目を閉じて軽口を叩く。




 「バカを言うな、あいつ以上のやつなんていてたまるか。これでも一途なんだ」

 


 ………………。


 思わず、スマホを訝しげに見た。


 今のは本当に私の父親の言葉か?


 私は今まで、この人から母親の愚痴しか聞いたことがなかったけど。


 ……………………。


 まあ、いいか。


 「それ、本人に言ってあげなよ。なんなら、今度セッティングしてあげようか?」


 「……そうだな。恨み言ができった後なら言ってやるのも悪くない」

 

 「それはまあ…………」


 随分と長い時間がかかりそうだ。


 まあ、20年放置したのだから、それくらいが妥当なのかな。


 こいつは大変だぞー、母さん。


 ま、私はあの人、全然覚えてなくて、母さん感ゼロなのだけど。


 軽く笑って、それからちょっと仕切り直し。



 息を吐いた。



 それから少し、吸った。



 「



 「ーーーなんだ」



 「私結構さ、お父さんのこと、怖かった」



 「ーーーそうか」



 「うん、厳しいし、細かいし、すぐ怒るし、余裕ないし、過保護だし。私がやることなすこといちいち口出すし、いや色々考えてくれてるんだろうけどさ、私は私なりにやりたかったし。私、みんなと同じようにはできなかったし」



 「ーーーー」



 「怖かった。うん、怖かったよ」



 「ーーーー今も」



 「うん?」



 「今もまだ、怖いか?」



 「ーーーーううん、今はそうでもないかな」



 「ーーーー」



 「きっと色々、余裕なかったんでしょ? 親が独りで慣れないこともいっぱいあるし、心配ごともいっぱいあったんでしょ?」



 「ーーーー」



 「それでもどうなのって思うことはあったけど、今は、いいかな。しかたなかったんでしょ、みたいな。だからさーーー」



 「ーーーー」



 「ありがと」



 「ーーーーー大人になったな」



 「口先だけね」



 「お前の母親よりは十分立派だ」



 「そいつはどうも。ま、ゆかさんのお陰だと思うけど」



 「そうか、今度、その人もつれて帰ってこい」



 「うんーーー、いつがいいかな、正月かな」



 「いつでもいい」



 「うん、了解」



 「まい」



 「なに?」



 「元気か?」



 「うん」



 「楽しいことはあるか?」



 「うん、たっぷり」



 「そうか、ならいい」



 「うん」



 「まい」



 「なによ?」



 「ーーーー言いたいことは、言えたか?」



 「ーーーーうん」



 「ーーーそうか、ならいい。ーーー元気でやれ」



 「ーーうん、そっちもね」



 「じゃあ」



 「うん、じゃあ」



 「ーーーーーーーまい」



 「なに」



 「ーーーー新曲、よかったぞ」



 父親は最後にそう告げて通話を切った。


 私は、切断音をならすスマホを見て、半ばあきれる。


 「なんで知ってんのよ……」


 軽くため息をついて、ベランダの窓を開けて部屋に戻った。






 ゆかさんが正座で待っていた。





 なぜ。






 あと、顔を伏せてすごい神妙な面持ち、思わず頬が引きつって対応に困る。っていうか、通話聞かれてたのか?


 「まい」


 「…………ゆかさん?」


 「ーーーー私、知らなかった」


 顔を伏せたまま、ゆかさんはぽつぽつと言葉を漏らす。


 それから、がばっと顔を上げると私を見た。眼は真剣そのもので、目尻には涙が浮かんでる。え?


 「まいのお父さんのことも、お母さんのこともちゃんと知らなかったよ?!」


 「え? ええ、まあ喋ってなかったし……」


 「私! まいのこと! 全然知らない!! 知らないよ!? どうしよう?! もっと知りたい!! というかまいは大丈夫なの!?」


 「え、あー、まあ。……私としてはたった今、乗り切ったことなので、お気になさらずというか……」


 「だめ! ちゃんと教えて! あ、まいが本当に言いたくなかったらあれだけど、でも私は知りたいの!!」


 「はは……。いいですけど、……まあ、あれですよ、長いですよ?」


 「いいの!! 一杯聞きます!!」


 「は……はあ……」


 困惑して、当惑してーーーー、それから思わず笑った。


 「もう何笑ってるの!? 私真剣だよ?!」


 「ーーっはは、っひ、わかってます、わかってるんだけどーーーっ」


 真剣なゆかさんが、自分のことでもないのに目尻に涙を浮かべて、私よりも真剣にとらえているであろう、ゆかさんが面白くて。


 「ーーーはは、私、ゆかさんといてよかったなって」


 「もう! はぐらかすなー!! ゆかさんは真剣ですぞー!!」


 「はははは!!」


 抱き着いて、私の胸を必死に叩くあなたに。優しいあなたに思わず笑って、ただ、幸せをじんわりと感じていた。


 まったく、もう。本当にあなたは。


 そう想って、そう笑って。


 なんというか、感じる。


 今日も。


 ああ。


 幸せだなって。






 


 『ところでまい、お前、口座の残高チェックしてるか?』


 『いや? もしかしてなんか足りなかった?』


 『……逆だ。まあいい、今度通帳のコピー送る』


 『りょーかい、あんがと』


 後日、父親から来たそんな何気ないやり取りが、私の変化の兆しだと。気づくのはまあ後日の話。






 今日の幸せポイント:34


 累計の幸せポイント:169




 今日のゆかさんの母性! ポイント:41(まいはもっと甘えないとダメだよ!!byゆか)


 累計のゆかさんの母性! ポイント:166

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