第7話 懇願×えっちなことでも

 僕は視線を落として井野さんの手元に置かれている漫画の原稿用紙を見ると──

「……え、え?」

 そこには、美少年と美少年がなんかくんずほぐれつをしているひとコマが……。

 僕がその場でなんと言えばいいか迷っているうちに、ぶるぶるっとジョーキングと呼ばれる体を震えさせる現象を起こした後、もそもそと顔を上げて井野さんは目を覚ました。


「……わ、私……寝ちゃってた……って……へ、へ……?」

 ほどなくしてすぐ近くに立つ僕の姿を認め、さながらジグソーパズルが立体的に崩れるようにして彼女はがくりと閲覧用のテーブルに手をついた。ちょうど、件の原稿用紙を隠す位置に。


「も、もしかして……み、見ちゃいました……か?」

 後ろの僕を振り返りつつ、か細い声で尋ねる井野さん。もはや、点数の悪かったテストを親から隠しているような、そんな体勢だ。


「……う、うん」

 僕はゆっくりと、首を縦に振って、肯定の意を示す。そうすると、

「ひっ、ひぅ!」


 飛び跳ねるように席から立ち上がった井野さんは、バタバタと机の上に置いていた原稿用紙やペンなどを片付けてカバンにしまっては、

「おっ、お邪魔ひまひたっ!」

 図書室から逃げ出していった。……というより、僕からか。


 なんかドンガラガッシャンと色々棚にぶつかる音はしたけど、もはや気にしないことにした。本が無事ならそれでいいです。

「あれれ、どうかしたの? 物凄い勢いで出て行ったけど。何かあった?」


 様子を司書室から聞きつけた松浦先生が、首を横に傾けて閲覧席へとやって来た。

僕は机の上に一枚だけ取り残された彼女の忘れ物をそっと掴んでは後ろ手に隠し、

「……いえ。お昼寝してたみたいで、ちょっと慌てたみたいです。何でもないですよ」

 と、適当に誤魔化しておく。嘘を隠すなら真実のなかとよく言うし。


「ふうん、そうなんだ。まあいいや。もう時間だし、帰る準備しちゃおうっか」

「は、はい……」

 ……結局のところ、自力で僕は井野さんの秘密を掴んでしまったよ。明日、何か起きたりしない、よね? また土下座されたりしないよね……?


 なんて不安とともに登校した次の日の放課後。帰りのホームルームが終わると同時に、僕は教室を出て家に帰ろうとしたのだけど、


「……あっ、あのっ……」

 それより先に井野さんは、廊下で僕を待ち伏せていた。目線は合わせようとしないし、終始俯いたまま。両手は体の前で合わせてもじもじと遊ばせていて、声は鈴が鳴るくらいの大きさしか出ていない。


「……何?」

「そっ、そのっ……ちょ、ちょっとお時間を貰っても……、い、いいでしょうか……?」

「昨日のことだったら、誰にも言うつもりはないよ。あと──」


 早々と意思表示をして、あとは昨日の忘れ物を返して家に帰ろうと思った。けど、井野さんはそれだけでは安心できなかったみたいで、

「……で、でもっ……」


 あろうことか、目に涙を浮かべ出したではないか。赤縁の眼鏡の向こう側で、目もとは前髪で隠れているんだけど、確かに見えるくらい、泣きそうになっている。


「え、えっ、ちょっ、そ、そんな泣かれたら僕だって……え、ええ……?」

 こんな廊下のど真ん中で泣かれたら僕も困ってしまう。

「わ、わかった、話だけ聞くから、泣かないでって、ね?」


 男子と女子が面と向かって話していて、女子のほうが泣きだしていたら、百パーセント男子が悪者にされる。世のなかってそういうふうにできている。無駄に注目もされたくないので、僕は仕方なく、井野さんの要求に従うことにした。


 彼女は、この間の空き教室ではなく、渡り廊下を通って教室のある一般棟から特別棟の一階に移動。部室などが立ち並ぶエリアに向かい、その隅にある狭い教室の鍵を開けて、中に入った。


 人がふたりもいるだけでもう余分なスペースがないこの空間で、井野さんはコトンと力なくカバンをひとつだけある机の上に置く。

 こ、ここが上川先生が言っていた同好会の部室なのかな……?


 なんて頭のなかでぼんやりと思っていると、井野さんは入口付近で立ち止まっていた僕に近づいては、制服のリボンを恥ずかしそうに少しだけ緩め、

「……なっ、なんでもするのでっ……。う、うう……き、昨日のことも……言わないで、欲しいんです……」

 懇願するように、僕にすがりついた。結局こうなるんかーい。


「や、八色君の言うこと、なんでも聞くので……そ、その……え、えっちなことでも聞くので、だ、だから、わ、私の趣味と、漫画描いていること、だっ、誰にも言わないで……欲しいんです……。お、お願いします……!」

 瞳を潤ませた井野さんは、やっぱり床の上で小さくなって、頭を下げていた。

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