第9話 9

 陽菜が走り去ってから何分たっただろう?

 ほんの数分のはずが体感的には1時間近くに感じる。


 はぁ……

 なにやってんだ俺は……


 腕を組むのと手を繋ぐ違いをあれだけ大袈裟に話していた彼女に、いきなり手を掴んだらそりゃ嫌がるよな。


 もしかして今回は任務失敗!?


 報酬が少なくなるばかりか、下手すると二度とレンタルしてくれない可能性だってある。

 でも、いま一番落ち込んでるのはそんな理由ではなかった。


 あの無邪気でピュアな笑顔がもう見れなくなるのかな……


 これはおそらく恋愛感情ではないと思う。

 相手はお客さまだし、俺はレンタルされている道具に過ぎない。


 しかし彼女はそんな俺に対しても優しい目を向けてくれる。

 穢れの知らないその瞳で。

 だからこそ彼女と一緒にいるだけで、俺の荒んだ心が落ち着くのだ。

 忘れかけているなにかを教えてくれる。


 もう依頼が来なくなって会えなくなるのだろうか?


 そんな考えを巡らしていた為、すぐ側まであの女が近づいているのに気付かなかった。


「きょ、京介?」


「えっ、あっ!?」


 陽菜が戻ってきたのかと振り向くと、そこにいたのは今でも一番会いたくない元カノの倉持梨花くらもちりかが俺に声をかけてきた。


 ……天使が戻ってきたと思ったら、悪魔がやってきやがった。


「すごい久しぶりだね」


「ああ」


「元気だった?」


「ああ」


 ……うざい。

 早くどこかへ行ってくれ。

 何事もなかったように当たり前に話しかけてくるなよ。


「扱いがひどいなぁ……ってわたしのせいか。こんなところで何してるの?ひとりじゃないんでしょ?」


「人を待っていたんだ。陽菜、気にしないでいいからこっちにおいで」


「あ、はいっ!」


 離れた位置からこちらの様子を伺っていた彼女が視界に入ったので、声をかけた。

 気を遣って会話が途切れるのを待っていた彼女は珍しく難しい顔をしていた。


 俺が存在に気付いていたのが嬉しかったようで声をかけると、八の字になっていた眉毛は元に戻り、満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。


 ああ、この顔を見たらホッとしてキレずに済んだ。

 

 ただ元カノに会っただけならこうはならなかった。

 昨日得たばかりの情報が冷静さを失わせていた。


「あら、こんな可愛い子と一緒だったのね。初めまして、元カノの倉持梨花です」


「は、初めまして、水樹陽菜です……」


 ……わざわざ元カノと主張する必要はない。

 案の定、ぐいぐいくる相手を前に陽菜が萎縮してしまった。

 それとは対照的に勝ち誇ったような表情を浮かべる元カノに、怒りが湧いてくる。

 浮気して別れた奴がそんな態度を取るのはどうかしてる。


「水樹さん、京介とはどんな関係なのかな?」


「!?」


「おい、初対面でそれは失礼だろ。俺たちは―――」


「こ、恋人です!京介さんはわたしの彼氏さんです」


 張り合うように答えた陽菜の横顔は真剣だ。

 しかし、よく見ると手が震えている。


 それを見て俺はそっと陽菜の肩へ手を添えた。

 彼女の肩がビクッとなるがいまだけは我慢してほしい。


「悪いけどデートの邪魔はしないでくれ。それに後ろにいる彼氏が困ってるぞ」


 さっきから俺たちの会話を困った顔で聞いていた男性の話に話題を変えてみた。

 男性はなかなかのイケメンだ。


「え?ああ、この人は恋人代行業者だから気にしないで」


「「えっ!?」」


 思いがけない返答に俺も陽菜もはもってしまった。

 同業者だと……いや違う。俺は『別れさせ屋』だ。


「それでも放置される人の気持ちを少しは考えてやれよ」


「うん……そうだね。相変わらず京介は誰にでも優しいよね」


「優しくなんかない。少なくとも安くはない金額が発生するだろうしもったいないと思ったからだ」


「今のわたしはお金に困ってないから大丈夫。パパからお小遣いをたくさんもらっているから。あ、京介のご両親も元気?ずっと会ってないからさ」


 いまのお前がお金に困らない事なんて分かってる。

 小遣いの話までは我慢できたがお前が……お前たち親子が俺の両親のことを口にするな。


 しかし……いまは陽菜のレンタル彼氏としてデートの真っ最中。

 グッと我慢して俺は答える。


「俺も会ってないからわかんねーよ。じゃあ俺たちはこれで。陽菜、くだらない時間に付き合わせて悪かったな、行こう」


「……はい」


 レンタル彼氏として作ったせっかくのいい雰囲気が台無しになってしまった。

 お金を出してくれてる陽菜には本当に申し訳ない。

 向こうのレンタル彼氏にさえ仕事の邪魔をさせてしまい悪いことをしたと思う。


 すぐにエレベーターをふたりで降りて陽菜が東京タワーを下から見上げた。


「やっぱり外から見るのと、近くから見るのはだいぶ違いますね」


「そうだね。中にいたらライトアップは見えないし」


 俺の言葉に彼女は頭をほんの少しだけ横に傾けた。

 会話が嚙み合っていないのか?


「もっと近くにいないと分からない事はたくさんあります。さっきの京介さんは……ちょっとだけ怖かったです。倉持さんに……いまだになにか心残りでもあるのでしょうか?」


「……悪い。プライベートのことだからいまはあまり話したくないな」


「ご、ごめんなさい。立ち入ったお話をしてしまって」


 どうやら言葉を間違えてしまった。

 そんなつもりで言った訳じゃないんだが。


「そうじゃないんだ。言葉が足りなかった俺の方こそごめん。せっかく陽菜と楽しく過ごせる時間につまらない話をしたくないだけだよ。楽しみにしていた東京タワーだって俺のせいでこんな事になってしまったし」


「そんなことありません!いまだって楽しいですよ。ほら、京介さんも上を見てください!あんなに大きなハートが見えますよ」


 陽菜は笑顔で東京タワーに描かれたピンク色に輝く大きなハートを指差していた。

 俺は顔を上げながらもライトアップではなく嬉しそうな陽菜の横顔をそっと見た。


 さっきまでのドス黒い感情が薄れていくのを感じながら……

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