第20話 夏 天空都市Ⅶ


 見上げれば爽快な空の蒼。周りを見渡せば、可憐な花々と若々しき木々。石の壇の隙間には水路が敷かれて、植え込まれた根本に潤いが導かれている。その水源は、空中庭園の中央にある噴水広場からだ。

 その傍らでは、ジェラートを手に持った少女たちが無邪気な声を上げている。

「学徒区に、愉快犯が爆弾を投げ込んだらしいの」

「爆弾? やだぁ、こわあい。でも、爆発音なんてしたかしら?」

「デマじゃないの? この天空都市のお膝元で無謀な真似が出来るものかしら。飛んだ怖いもの知らずよ」

兵鳥バードが避難命令出してるんだから、あながちデマではないのかもよ?」

「デマでも本当でもどの道メーワクよ。せっかくの修学旅行なのに」

「久しぶりの外出がこれじゃあね」

「これからホテルに向かいます! 全員集合してください!」

 高齢の女性に遠くから呼びかけられ、少女たちはしぶしぶ駆け出していく。列を成して進む誰もが白い襟をたなびかせ、深緑のスカートを身に着けていた。制服というものなのだろう。リーンは大きな木陰に覆われたベンチに座りながら、並び進む少女たちと引率の教員を物珍しそうに見ていた。

(学校かあ……)

 学び舎に足の踏み入れたことのないリーンには、未だに秘密の花園のようなものだ。ヨークラインの勧めで入学させられそうになったが、結局キャンベル家での修行を選んでしまったため、余計に縁遠くなってしまった。そこに通えば、あの列に混じっていたのかもしれない。学校のお友達というものを作っていたのかもしれない。孤児院にはリーンと近い年齢の少女は少なかったし、幾分遠巻きに見られていたのだ。それこそマーガレットとプリムローズが、初めての近しい少女たちだ。

(エミリーはお友達だけれど、私よりずっとずっと大人みたいだし……。そう言えば、メグとプリムは学校には行ったことあるのかしら)

 マーガレットはあるように記憶しているが、詳しくは知らない。プリムローズは言葉遣いからして、リーン以上に読み書き出来るようだが、村から通っている様子はない。

 家に戻ったら聞いてみようと、リーンはぼんやりと手元のカードケースに視線を落とした。何かあったら使いなさいと、マーガレットが手渡してくれたものだ。少女はため息を零し、すぐにスカートのポケットに仕舞い直してしまう。こんな穏やかな昼下がりで使う必要があるものとは、到底思えなかったのだ。

 先程、制服の少女たちが漏らしていたものは、遠い国の噂話のような気軽なものだった。蚊帳の外に弾き出されれば、いかに生死を危ぶむ状況だとしても危機感はまるで軽薄になる。

 リーンは僅かに口元をすぼめた。爆弾と耳にするほど悪いことが起きているのは間違いないのに、それに関われない自分が歯がゆくてしょうがなかった。かと言って、マーガレットの指示を待つ今、何が出来るかも分からない。役立たずの自分に、出来ることはあるのだろうか。まだ見付けられていないだけなのだろうか。

「――ああもう、これどうにかなんないかな」

 ぶつぶつ文句を呟く声が、リーンの耳を掠めた。周りに目を配り、耳を傾ける。

「まったく、あの妖精プーカは。人並みに加減ってもんを覚えてほしいよ」

 軽やかでまろみがあり、一音ずつ重みのある耳通り。男女どちらともに捉えられるような不思議な声だった。

 公園へと辿る階段近くを、ふらふらとよろめき歩く黒い姿があった。壁際に沿うように身体を傾かせつつ、一歩ずつ噛み締めるように進んでいたが、ついにはうずくまってしまった。

「眼はかすむし力も入らない……もうだめ……」

 その黒い外套に見覚えがあったリーンは、思わず駆け出して傍まで寄った。展望台から瞬く間に消えてしまった、あの人物に間違いない。

「あ、あの、大丈夫ですか! やっぱり落ちてケガしたんですか!?」

「大丈夫じゃないよ……絶体絶命危機一髪ってやつだよ……」

 リーンに呼びかけられて、黒い頭が幾分大げさな物言いで上向いた。その拍子に突風が舞い起こり、頭を覆うローブが落ちる。波打つ髪と色素の薄い面立ちが零れ出て、その顔表面には幾つもの赤い斑点がまばらに散らばっていた。リーンはしゃがんで、患部をじっと見やる。

「かぶれたんですか? 崖に落ちたはずみで、何処かに引っ掛けましたか? まるで毒草に触れてしまったような……」

「いや……崖には落ちてないんだけどさ。どうやら君と私の間には、何らかの誤解が生じているみたいだ」

「でも、私、あなたが高台から落ちるのを見ました」

「そうだね、私も君の姿を見定めたよ。そしてとりあえず満足したんだよ、雪のお嬢さん」

「雪……?」

 リーンは瞳を丸くし、不思議そうに繰り返した。淡い面立ちは思い出したように苦笑する。

「ああ、失礼。私はさ、どうにも自分にしか見えないものを、つい言ってしまうクセがあるんだ。おかげでこんな風にうっかり酷い目に遭ったりするんだけどね」

「確かに私は、雪の多いところで生まれたらしいけれど……」

「馴染みがないかい? なら、白百合リブランの方が好ましいかい?」

 告げられた名前は、リーンをたちまち強張らせた。怯えるように身体を一つ震わせたと思えば、悲しげに目を伏せて、かぶりを振る。

「その呼ばれ方が、一番嫌だわ……」

「そうかい? じゃあ君のことは雪のお嬢さんと呼ぼう。私は魔術師マグスと言うんだ、よろしく、雪のお嬢さん」

「よ、よろしくお願いします」

 魔術師マグスから軽快に手を差し伸べられると、リーンもおずおずと己の右手を伸ばして握手を交わす。

「あ、あの、それで、酷い目っていうのは? ……このかぶれのことですか?」

「ああ、そう。さっき妖精プーカに呪われちゃってさ。幸い命までは取られなかったけれど、それでも厄介なもんでさ」

 魔術師マグスはその場で尻餅をついて腰を下ろすと、大きなため息と共に己の腹部を一撫でした。

「内部の器官はあらかた組み換え終えて、解毒まではこなせたんだ。だけど、肝心の体力がそろそろ尽きそうでね」

「お、お腹が空いたってことですか?」

「いやー、お腹も空いてるけれど、どっちかって言うと今すぐ寝たい。でもさ、こんな吹きっさらしの屋外でこのまま寝そべったらさ、風邪引いちゃうよね。夏風邪なんて何とかの代名詞じゃん、やだなあ……」

 空を仰ぎながらふて腐れるようにぼやく魔術師マグスは、思い付いたようにリーンに顔を向けた。

「ねえ、雪のお嬢さん。君の力で何とかならない?」

「わ、私の……?」

 リーンは面食らったが、すぐに他に頼れる者を呼ぼうと辺りを見回す。けれど魔術師マグスは静かな眼差しで先手を打った。

「ついでに言うと、出来れば誰にも知られたくない。私はワケアリの流れ者の身だ。捕まるようなことは避けたいのさ。勿論、助けないのも君の立派な選択肢の一つだけれど」

「そ、そんな……」

 怪しい外見同様に自らを不穏に白状し、途端に突き放すので、リーンは余計おろおろと困り果てる。少女の垢抜けなさに、魔術師マグスはケラケラと軽快に笑った。

「あはは、少々意地悪な物言いでごめんね。私も割とこれで切羽詰まっているみたいだ」

「あの、でも、私だけの力では、あなたを何とかすることは……」

 リーンは己の台詞を途中で飲み込んだ。手元の切り札を思い出しのだ。

 スカートのポケットから取り出したのは、革張りのカードケース。中身を開けば、亜麻色の紙札が数枚差し込まれている。マーガレット特製の、見習いのリーンでも使えるように調整された解呪符ソーサラーコードだ。

 決意したリーンは、唇を結ぶ。

 (今の私に出来ること……それはきっと、今したいことだ……)

 薄い紙札に、そっと指が触れた。





 治療室の奥間では、一人きりのマーガレットが窓辺に背もたれていた。私物は全てトランクへ片付けられ、隅へと追いやられている。

 やるべきことはやったつもりだ。検査を行い、解呪の方法が導き出せた。充分な成果だ。けれど、と自分の手の平をじっと見つめ、小さくを息をつく。己の体内に抱えるマナの量は、プリムローズやヨークラインに比べれば微々たるものだ。人一人を処置出来る程度で、それ以上に使えば負荷がかかる。先だっての妹のように身を崩してしまう。

 二人のようにもっと使える力があれば、もっと多く手助け出来ていたのだろうか。もっと最良の手が導き出せていたのだろうか。もっともっと、と高みを思い巡らせてしまう思考は、存外厄介だ。望める力がない分だけ、自分の出来るものに力を注ごうと躍起になる。解呪符ソーサラーコードがその思いの化身と言って良い。

 解呪の最前線に臨めない代わりに、その技術ツールをもって特上の支援に回る。より早く、より効率的に、より効果を。解呪の力になれるだけ、マーガレットの誇りとなる。そして、もっともっと役立てるものをと思い巡らせてしまう。

 だからこそ、それが人の身を傷付け、悪意あることに用いられるのは我慢ならない。使用する解呪師と施される患者、どちらにも優しくあらねばならない。少女の誇りが誰かを傷付ければ、その尊い誇りをも傷付けてしまう。それは絶対に許されないことなのだ。

 右手を神妙に見続けるマーガレットは、手指を緩慢に折り曲げては戻す動作を繰り返す。

「あの子のこと、久しぶりにぶっちゃったな……」


 カルテを手に持つ医師が、奥間に入ってきた。マーガレットが席につくよう促すと、医師は会釈し椅子に座る。テーブルを挟んでマーガレットも席に座った。

「ミス・キャンベルが用いた植物毒のおかげで、中毒作用を中和する成分が判明しました。現在、重篤患者の方から薬剤の投与を行っています」

 マーガレットは安堵し、心からの微笑みを浮かべた。

「さすが、天空都市の医師の方々は優秀ですわ。これなら皆の尊い命が救われます」

「ええ、最悪の事態からは免れます。ただ……」

「ただ?」

 マーガレットが首を傾げて台詞を繰り返せば、医師は苦悩の表情で眉根を指で押さえた。

「薬剤の在庫が明らかに足りないのです。この天空都市であっても、普段より多量に抱えるものではありませんから」

「確かに、咳止めのような真っ当な常備薬ではないものね」

 マーガレットは苦い顔で頷いた。医師はカルテをテーブルに置き、やきもきするように手をそわそわ組み合わせる。

「七大都市を始め、他の街の医局や薬店に連絡して、確保に回っております。ですが、こちらに間に合うかどうかも…。この中毒症状には経過から六時間以内、それを過ぎれば、体内の毒素が不可逆変化を起こし、つまり、薬を投与しても全く効かなくなるのです」

 思わず席を立ち上がったマーガレットは、室内の置き時計を見やった。

「最初の被毒からはどれくらいの時間が?」

「おおよそ一時間は経過しております。ですので、後四時間程と捉えていただければ……」

「四時間。……日暮れ頃まで、かしらね」

「荷馬車を力の限り走らせても、近隣の都市から運び込むのが精一杯でしょう。ですがそれでは、薬剤は足りません。国中から運び込まなければ」

 マーガレットは密かに唇に手をやり、呟くように問う。

「……被害に遭わなかった幸運な解呪師の皆様は、どれだけご助力いただけるのかしら」

「軽症の者へは、少しずつですが解呪を行えているそうです。ですが、やはり実力不足が否めない。高等解呪師のほぼ全員は、本日の議会で枢機部に向かわれたため、被害に遭われてしまっております。現時点でお頼りするのはやはり難しい」

「薬剤の入手は困難……、解呪師の人手不足……」

 それは途方もない現状だった。眉を寄せるマーガレットは、考え込むようにじっと俯いた。視線の端に映る医師の固く握りしめられた両手が、少女と同じ心境を物語っていた。

 やるべきことはやった。けれど、まだあるだろう。まだ見付けられていないだけだろう。でも、それは何処へと叫べば生まれてくれるのだろう。


「メグねえちゃま」

 医務室に入ってきたのは、兵鳥バードに抱えられたプリムローズだった。兵鳥バードは本調子というわけではなさそうだったが、歩けるようにはなったらしい。機動人員として優先的に治療を受けたのだろう。

 体力の消耗が不調の原因であるプリムローズは、未だぐったりとしていた。血の気の薄い頬で、じっとマーガレットを静かに見やっている。視線だけの訴えをマーガレットは静かに諌めた。

「プリム、あんたはいいのよ。気にしないで大人しく寝てなさい」

 プリムローズはかぶりを振って、覇気をみなぎらせるように唸った。

「ねえちゃま、あたしの力を復活させて。何が何でも、どうにかして」

 息も絶え絶えだというのに、幼い少女はその眼の中の紅玉色をぎらつかせている。マーガレットは思わず息を詰めた。この子は、まだまだやるべきことがあるのだと、自分自身を信じている。

「プリム……」

「ここには、あたしが絶対必要でしょ。だったらどうにか回復させて。あたしを元気に戻して。あたしのねえちゃまなら、マーガレット・エレナねえちゃまなら、出来る筈よ」

 そして妹は、姉という存在をも信じている。己を見てくれている者がいる限り、独りきりの戦いではないと思い出させてくれる。張り詰めた心に清風が通り抜け、息を吹き返す心地が広がっていく。

「……そうね。あたしの妹、プリムローズ・サラ。あんたの力が大事で必須。だから、どうにかしてみせる」

 マーガレットは、ポケットから二粒の飴玉を取り出して、プリムローズの口へ運んだ。

「もうしばらくだけ、これで我慢して」

 口の中をころころ鳴らしつつ、プリムローズはこっくりと頷いた。素直な反応に、マーガレットは機嫌良く微笑む。そして、その金の眼を瞬く間にぎらつかせた。

 異端にして異彩、そう呼ばれるキャンベルの底力はこんなものではないと、まず己が信じ尽くさねば。


「さて、そうなれば。まずは増援を呼ばないことには始まらないわね」

 マーガレットは腰元のポシェットから解呪符ソーサラーコードを取り出した。即座に薄い抑揚で言い放つ。

「其は天翔ける音を結びし秘糸――エンコード:『ハイテンション・ワイヤー』」

 砂の吹きすさぶような音がカードから響き、やがて一定の音が羅列に鳴り続ける。

 傍で見守る兵鳥バードが、恐る恐ると尋ねる。

「あの、何をしていらっしゃるので……?」

「外部と連絡を取るのよ。その人、行商人だから、一定の場所に留まらないんだけど、あたしの解呪符ソーサラーコードを預けてあるから簡単に捕捉出来るの。ま、一言で言うなら、電話」

「線がいらない糸電話なのよ」

 プリムが解説するように一言加えた。兵鳥バードは感心しつつ、いいなあとぼやく。

「我が隊にも欲しいです。ピックス隊長、すぐに何処かへ消えてしまわれるから……」

「あら、それなら安くご提供いたしましょう。詳しい話は、また後日」

 マーガレットが冗談ぽく囁き返し、すぐに目線を解呪符ソーサラーコードに戻した。羅列音が消えて、男の調子の良い声が響いたのだ。世界を巡る行商人、ホーソン・カムデンのものだった。


『これはこれは、マーガレットお嬢様ではないですか。先日はどうも』

「こんにちは、カムデンさん。今よろしいかしら?」

『構いませんよ。何かご依頼が?』

「天空都市でおおがかりな解呪を行っているわ。あなたの用いる全ての手を尽くして、とある薬剤を、天空都市まで迅速に運びたいのよ」

『成程、そういうことですか。では、仰るだけの数は必ず確保いたしましょう。ですが、迅速というのは現実問題として難しいです』

「そこをどうにか案を考えてほしいの。タイムリミットは四時間。あなたなら何かツテがある筈だわ」

『いやはや、相変わらず無茶を仰られる。まあ、お嬢様はいつも御贔屓くださってますからね、どんな願いを叶えて差し上げたいとは思っておりますけれども』

「そうよね、あたしはあなたにとっての上得意。あたしの解呪符ソーサラーコードは、なかなか良いネタになったでしょう?」

 マーガレットがくすりと笑う音を含ませるので、調子の良いホーソンから一瞬息を呑む様子がカード越しより伝わった。

『……御存知でしたか』

「さあ? あなたが何処へどういった噂をばらまくのかは知ったことじゃないわ。でも、旨い疑似餌になるのは確かだと自負しているの。あたしとしても、このキャンベルの技術は、国中に広まれば良いと思っているしね。たとえ噂でも、魅力的なコマーシャルになるもの」

 人の口に戸は立てられぬ。その権化であるホーソンの商売道具に使われるのは、初めから承知済みだ。だからこそ、知られても構わない部分だけしか告げていない。

『……やれやれ、敵いませんな。お嬢様のしたたかさは、一体誰に似たのでしょうかねぇ』

 ホーソンの感心しつつぼやくような台詞に、少女は苦笑で返した。

「少なくとも、ヨーク兄さん譲りではないことは、確かかしら」

『でしょうね、旦那は真面目で堅気な方だ。ですからね、今回の天空都市への召集も、他人事ながら密かに気にかけていたのですよ。旦那のお力を決して侮っているわけではないのですが』

「でも、ヨーク兄さんも当てに出来ないのが現状だわ。枢機部の解呪が精一杯で、今はそこで安静にしているようだから」

『そう、ですか。……旦那は持ち堪えたのですね』

 ホーソンの密かな安堵のため息が零れるが、マーガレットは頓着せずに畳みかけた。

「お願い、カムデンさん。ここが正念場なのよ。天下の天空都市が、簡単に挫けるわけにはいかないの。ここで大量の犠牲者が出れば、呪いに対する不安が益々増長するわ。領民全ての安穏な暮らしを保証するためにも、これからも人々がためらうことなくすがるためにも、王道は盤石に保たれなきゃいけないのよ」

『……無礼を承知で聞きますが、キャンベルのお嬢様が、かの都市をそこまで気にかける必要がありますか?』

 ホーソンのまるで挑発のような問いかけには、マーガレットは麗しい笑みを浮かべて応じた。

「王道だろうと、異端だろうと、苦しんでいる誰かを助けるのが、あたしたち解呪師の本質よ。そうあるべきだと思っているわ」

 カードの向こう側から、やれやれと長いため息が響く。

『滅私奉公なんてボクの性分じゃあないんですがねえ。でもね、気概のあるお嬢様は個人的に嫌いじゃないんです』

「お褒めに預かり光栄だわ。報酬は弾むからちゃっちゃとよろしく」

『そういう人使い荒いところも嫌いじゃないです。商売魂に火が着きます。まあ、ボクも今回の件には思うところありますしね』

 ううん、と唸るホーソンは、不意に『あ』と小さく呟いた。

『運ぶ足は、愚鈍な私より、適任者がおられますよ。そびえる山々や広大な河川を優に飛び越えてみせるような、飛びっきりの人材が、あなたの近くに』

「飛びっきりの……――そう、その手があったわ。ありがとう、カムデンさん。おかげで良い方法がひらめいたわ」


 マーガレットは解呪符ソーサラーコードを一撫でした。音声が途端に切れる。

 そして、プリムローズを抱える兵鳥バードへ視線をやった。

「一つ、頼まれてくれるかしら。……飛べる?」

 兵鳥バードは、強く頷いた。

「何処へなりとも」

「ありがとう」

 少女は再び解呪符ソーサラーコードを手に取った。羅列音が次なる声を呼び寄せる。

『――やあ、メグ。僕の力が必要かい?』

 その声を聴いて、マーガレットはとっさに奥歯を噛み締めた。呼吸を整えつつ、穏やかに返す。

「話が早いわね、ジョシュ。そうよ、助けてほしいの」




 兵鳥バードの屯所内、特務指令室では、待機命令を出された遊撃鳥リベラルバードの総員が集結していた。数十名の隊員たちは直立しつつも、そわそわと僅かに身体を揺らしていた。奥の執務室から響く動向を、気を揉みながら伺っているのである。


「俺たちに飛脚の真似事をしろってか」

 執務室の隊長席でふんぞり返るピックスは、鬱陶しそうな眼差しでマーガレットを仰ぎ見た。机に投げ出された足を組み直し、あしらうようにしっしと手を振る。

「冗談じゃねえよ。足が欲しいなら身軽な鳥に頼まず、それ専門の運び屋に頼むんだな」

「身軽だから頼んでるのよ。あなたたちの翼なら、突風よろしく速く物を運べるわ。薬剤自体は軽量だし、運びやすいものよ」

「すでに決まってるような口ぶりで話をまとめ上げんな」

 ピックスが際立てて目を吊り上げた。身に纏う外套を手に持ち、たなびかせる。

飛翔装バードコートがどれだけ良性能でも、運ぶのは鳥でも馬でもなく、生身の人間なんだぜ。何時間も飛びっぱなしで身体がくたばらないわけねえだろ」

「そこを何とかやりくりしたいのよ。今、各都市に兵鳥バードが派遣されているでしょう。彼らを指揮して、中継地点に指定した街まで薬剤を運ばせて、そこから別の兵鳥バードが次なる街へ運ぶのよ」

「成程、火事場のバケツリレーの要領だということですね」

 傍で控えるホスティアが口を挟んできた。マーガレットは抱えた地図を、机の上に広げてみせる。

「七大都市を、まず中継地点とするわ。駐留の兵鳥バードが、その近隣の街を回って迅速に薬剤を搔き集めるの。今、商業ルートを通じて、薬剤の緊急手配の通知は回っている。天空都市の名を出せば、医局や薬店は躊躇せずに提供してくれる筈よ。ありったけ確保して、一定時間経ったら兵鳥バードは各七大都市を発ち、天空都市へ運び込むって寸法よ」

 ピックスはしかめ面のままマーガレットを見据える。

「七大都市からでも、天空都市への道筋は近かねえぜ。並の兵鳥バードじゃあ、飛行中にくたびれて落下するのがオチだ」

「……だからこそ、ピックス、あなたたち遊撃鳥リベラルバードの力が必要なのよ」

「はっ、ちょっと飛べるくらいで鼻高々の、俺様たちの力が必要なわけか」

「……そうよ、必要よ。そう言っているでしょう? 所詮、あたしは無力よ、あなたに比べれば」

 高慢な皮肉を、マーガレットは睨みつつも苦々しげに受け止める。ピックスはそれでも鼻で笑った。

「へりくだるなよ、マギー。そうやって持ち上げたって、俺がここを動く理由にはならねえよ」

 ホスティアがため息をついてピックスを冷たく見やる。

「あなた、めんどくさいだけでしょう。たまには滅私奉公してみて、徳を積んでみては?」

「徳? 食えんのか、それ。やりたかねえことやって食う飯は、さぞかし腹の膨らまねえ味わいなんだろうなあ」

「あなた、お腹も空いていますね」

「おう、まだ昼飯食ってねえんだよ。そろそろこいつ追い出して、休憩入っていいか?」

 マーガレットの脳奥で、何かが切れる音がした。執務室の机を回り込み、席のすぐ傍まで無言で近寄る。だらけた姿勢のままのピックスは、胡乱な眼差しでマーガレットを見上げた。

 少女は、若者の身に纏う外套を、両手で掴み上げた。ぎりぎりと生地が引っ張られ、首元で固定された部分がピックスの喉元を締め付ける。

「っ!? ゲホ、この野郎ッ、いきなり、何しやが……!」

 ピックスが唸るが、マーガレットはより鮮烈に吠えた。

「そのおべべは只のメッキのお飾りかしら!? だったらすぐに脱いで捨ててお終いなさいッ!」

 固定具が外れ、飛翔装バードコートがピックスの身から剥がされる。それをマーガレットは手の中に抱え、執務室を早足で後にする。喉元押さえるピックスの「待ちやがれこの泥棒」という台詞には、聞く耳持たない。


 マーガレットが颯爽とした足取りで執務室から姿を表すと、指令室の遊撃鳥リベラルバードたちは直立不動に姿勢を正した。

 少女は奪った飛翔装バードコートをショールのように肩にかける。すると、黒色に近いまばら模様だった生地が、みるみると光り輝く純白へと変化していく。ふわりと軽やかに舞い上がり、翼状へと形作られ、真珠のような眩しき羽が大きく広がっていく。少女の壮麗な容姿をますます際立たせ、誰しもがそのきらめきに身震いを隠せない。

 天の御使いと人々から尊ばれる兵鳥バードではあるが、彼らはあくまで天空都市の意向で使役される飼い鳥にすぎない。彼らは己の領分をそう弁えて、納得している。

 だからこそ、本物の御使いは、きっとこんな神々しい姿をしているではないのだろうかと、幻想してしまう。

 金の少女はその瞳を苛烈にきらめかせ、遊撃鳥リベラルバードたちを食い入るように見やった。

「天空都市の遊撃鳥リベラルバード、あなたたちがその身に持つ翼は、一体どうして何のため?」

 少女は優雅な声を響かせる。天から降り注ぐ笛の音のように。心身に響いてやまない祝歌のように。

「世のため、人のため? 天空都市の崇高な御心のため? いいえ、――自身の誇りのためよ」

 飼い鳥たちの背筋が震え、その目にまたとないの光が宿る。

「あたしはあなたたちの誇りを信じている。誇り高きあなたたちなら、絶対に人々を救ってくれると信じて疑わないの。いいこと、あなたたちの働きに都市の命運がかかっているの。だから己の誇りを信じて、貫いて、示す導へと飛び立って。胸を張り、ひたむきに、まっすぐに、最速最短の万全に――お気張りなさい」

 最後に優美な微笑みを浮かべて言い切れば、遊撃鳥リベラルバードたちから盛大な雄叫びが上がった。

 指令室が爆発的な熱気に満たされてしまい、執務室からよろめき入って来たピックスは盛大に顔をしかめた。白き翼を纏う少女の背に向けて、小さく舌打ちする。

「……ったく、どうしようにもねえ程、気に入らねえ女だな」


 沸き返る遊撃鳥リベラルバードたちが振り返り、次々とピックスに呼びかけてきた。

「隊長!」

「ピックス隊長! どうか出動の命令を!」

「隊長、どうか!」

 ピックスは前髪を鬱陶しそうに掻き上げ、うんざりとため息をついた。

「あーあー、分かったから、その暑苦しさを俺にまで仕向けんな。――ミス・キャンベルの采配通りだ。班を分けて、ここから七大都市を往復し、薬剤の運搬を行う。その代わり、てめえら絶対に過剰労働はすんな。一時間飛んだら、二十分の休憩! 過労死なんぞしやがったら俺がなぶり殺してやる、覚悟しとけ」

「死んだら殺せませんよ、ピックス」

 ホスティアが冷静に口を挟むが、ピックスは薄っすらと嗜虐的な笑みを浮かべた。

「死体蹴りは俺の趣味なんでね」

「胸糞悪いシュミを豪語しないでいただけるかしら」

 マーガレットからも冷ややかに見つめられ、さすがに肩をすくめておどけてみせる。

「まあ三割ぐらいは冗談だけどよ。ま、命あっての物種、それを心に留めつつ精々仕事に励め。――遊撃鳥リベラルバード総員、出動準備にかかれ!」

 隊員が敬礼で返し、すぐさま指令室から出立していく。

「では、兵鳥バードの方には、引き続き天空都市内の巡回を指示してきます。下手人の捜索もしなくてはいけませんし」

 ホスティアもそう告げて、きびきびした足取りで指令室を後にした。

 静まり返った室内で、マーガレットが力を抜くように小さく息をついた。その身の白い翼がみるみると窄んで跡形もなくなる。すぐに横から不遜な声が呼びかけた。

「いい加減、返せよ、ソレ」

「あら、ごめんあそばせ。やっぱり色々と便利よね、コレ。一家に一着欲しいくらいだわ」

 少女は飛翔装バードコートをあっさりと外し、しかめ面のピックスの手に戻した。

飛翔装バードコート兵鳥バードだけに許された特別な装具だ。俺たちの誇りを易々と借りようとすんな。……第一、テメーはもうここの人間じゃねえだろ」

「ま、そうよね、気を付けるわ。これを纏うのは訓練生時代ぶりだったけど、意外と感覚、覚えてるものよね」

「機密をしれっと使いやがって……。お偉方は、何でこいつを野放しにしてやがるのか」

 マーガレットは優美なしたり顔で返す。

「そりゃ、あたしがあんたに比べれば無力だからよ。解呪の素養も、兵鳥バードとしての素質もね」

 ピックスは唾でも吐きつけたい衝動のまま、再び舌打ちした。

「……っとに、マジでムカつく女だぜ」

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