第28話 約束の酒

 十二年前。


「何だって?」


 当時二十九歳だった銀次に衝撃が走る。


『内閣総理大臣官邸が襲撃された』スマートフォンからは確かにそう聞えたが銀次は再度聞き返した。だが返ってきた言葉は同じ内容のものだ。


 時刻は夜の二十時……銀次に連絡したのは情報屋の女で、希少な情報によっては金銭が必要な場合もある。体の関係も持っているが恋人ではなく、持ちつ持たれつといった関係だ。


「金は?」

『いいわ。ちょっと仕入れるのが遅くなっちゃたもの』

「じゃあ飯ぐらい奢らせてくれ。ハルカのおかげで飯食えてるようなもんだからな。……ああ……また連絡する」


 礼を言ってから電話を切った銀次はコートを羽織り、カメラとショルダーバッグを肩に掛けた。そして玄関に置かれた傘立てから黒い傘を抜き取ると古びたアパートの部屋を後にした。


 銀次はジャーナリストと自称しているが言ってしまえばフリーのライターである。政治の闇や反社会勢力などを追いかけては記事を書いて週刊誌に買ってもらう。それが銀次の仕事だ。


 女が言った通り、銀次が官邸に到着した時にはすでに多くのメディアが駆けつけていた。


 何人かの顔見知りに挨拶をした後、黄色いテープで封鎖された際まで行ってカメラのシャッターを切る。警備隊の血痕と思われるシミなどが残っていたが夜という事もあってはっきりとは分からなかった。


 しばらくすると官邸全体をブルーシートで覆われてしまい、写真を撮るどころか眺めることすら出来なくなってしまう。


 何かきな臭いものを感じた銀次は傘の柄を握り締める手に力を込めた。


 *****


 銀次がまだ幼少の頃、親に言われるがまま空手を習っていた。中学に入ると六年間続けた空手を辞めて柔道とボクシングを習う。


 この頃から銀次はジャーナリストになる事を意識していた。きっかけは当時公開されていた映画の影響だ。銀次はスクリーンの中で政治に潜む巨悪と戦う刑事とその刑事に協力するジャーナリストに感化された。


 高校に入ると剣道にも力を入れた。そして卒業してからは居合いや古武術にも手を出した。


 政界の闇や反社会勢力の取引など、追いかければ自身の身に危険が及ぶと考えていた銀次は護身のために多くの格闘術を身に付けた。雨が降っていても晴れていても常に傘を持ち歩くのは刀の代わりに身を守る為である。


 命を狙われるかもしれない。そう考えれば親族や友達とも距離を置いて自然と独りになっていた。


 *****


 襲撃事件から一週間後。


 ある警察関係者からの情報で、総理公邸の地下には研究施設が存在している事が明らかになった。


「間違いない……やっぱり何かあるな」


 そう思うとタバコを咥えた銀次の口元に笑みが浮かぶ。すぐに明るみになる……銀次はそう考えていた。


 しかし、予想に反して情報収集は一向に進まない。警察関係者、医療関係者、同業者はもちろん、ありとあらゆるネットワークを使っても真相を解明する事は出来なかった。比例するようにクローンや細菌兵器の開発といった根拠のない噂だけが広まっていった。


 そうして何の手がかりも掴めぬまま二年が経った。半ば諦めていた銀次にある情報が舞い込んできた。それは死んだと報道されていた当時の総理大臣、丸山総一郎が生きていたというものだ。


 銀次はすぐに会いに行った。戸籍を持たない丸山は変わり果てた姿で、ブルーシートで作られた小さな空間で生活していた。銀次が金を渡すと堰を切ったように丸山は自分が知っている全ての事を話し始めた。


 内容はにわかには信じがたいものだった。ヴァンパイアの存在、それを研究する施設、どれも非現実的だったが、携わっていた丸山が言うのだから間違いないと銀次は確信した。


 丸山の証言を録音していた銀次は帰って原稿にまとめようかと考えた。しかし、二年間追いかけ続けた事件の一部が明らかになった事で……銀次は浮かれていた。


 ――――原稿は明日にするか。


 帰る途中、帰宅したら飲もうとコンビニに寄って酒とツマミを買った。軽い足取りでアパートに到着すると傘を忘れた事に気付いた。銀次はどこで忘れたのかと思い返してみたが見当がつかない。


「まぁ……予備があるか」


 独り言を言いながら銀次は自身の部屋のドアを開けた。


 その瞬間、ドスっという音ともに胸に痛みが走った。銀次が下を向くと、自分の胸に銀色の筒の様なモノが三本刺さっているのが見えた。


「あ?」


 銀次が自分の胸から部屋に視線を映すと、黒服を着た三人の男が銃を構えているのが見える。胸に撃ち込まれたものが麻酔だと気付くのにそう時間はかからなかった。ただ、気付いたとて銀次には為す術もなく、意識を失いその場に崩れ落ちた。


 銀次は浮かれていたのだ。


 やがて銀次の意識が戻ると、そこは見知らぬ場所だった。椅子に座らされた状態で体にはロープが巻き付けられていた。


 銀次を取り囲むように黒い服を着た男が十人、そして目の前には机に腰を下ろして足を組んだ男が銀次の様子をじっと見つめていた。


 眼前の男が誰かという疑問が浮かぶ。だが知る事に意味を感じなかった銀次は問う事もせずにただ黙って覚悟を決めた。


「……これからお前には私の部下として働いてもらう」

「何だと? お前の部下?」


 思いがけない言葉をかけられて理解出来ない。それよりも、死なないかもしれないという感情が芽生えた瞬間、眼前の何者かも分からぬ男が意味の分からぬ目的で自分を攫ったのかと腹が立ち始めた。


「誰が訳の分からねえ組織なんかに入るか! そもそも誰なんだお前は!」

「私は高遠陸男だ。つい先日設立された対ヴァンパイア組織『Silver Barrett』の第Ⅰ班の班長を任されている。お前にも正義の為に働いてもらう」

「勝手な事ばっか言ってんじゃねぇぞ! 今すぐ縄を解け」


 高遠が別の男に目配せをするとその男が銀次の縄を解いた。

 瞬間、銀次は高遠に猛然と殴りかかる。しかし、机に座ったまま放った高遠の蹴りが銀次の腹部にめり込み、後方へと押し返されて座っていた椅子に再び腰を下ろす結果となった。


 結局、その後も反抗したが銀次は高遠に勝てないまま強引にSBへと入隊させられてしまった。


 ヴァンパイアを研究していた政府が設立した組織を信用できるはずもなく、抵抗していた銀次だったがその考えは徐々に変化を見せた。SBにいればヴァンパイアの事を調べられる。いつかシーヴェルトと呼ばれるヴァンパイアを捕らえ世間に公表してやろうと考えるようになった。この組織を利用しようと考えたのだ。


 ――――だが、ヴァンパイアと戦っている内に俺の考えはさらに変わっていった。


 目の前で人が殺されていく。後から入ってきた部下達が死んでいく。公表してやろうなんて考えはいつの間にか消えていた。正義だとか、任務だとか、そんな事はどうでも良かった。銀次はただ守りたいと考えるようになった……知らない誰かを、大切な部下を。中でもルナは特別だった。剣術を叩き込んだ。悪い事をすれば叱りつけた。結局、礼儀だけは身につかなかったが、手がかかる程に放っておけなくなる。いつしかルナを本当の娘のように感じていた。


 ――――覚えてるか? ルナが使っている刀は俺が持ってた銀刀だ。


 技術開発部隊が作り出した銀の合金刀、最高傑作と言われたその刀は銀次が振るってこそ真価を発揮した。だが、教えるにつれて剣術を吸収していくルナにその銀刀を譲り渡したのだ。


 ――――お前と会ったのは九年前か……お前は任務に忠実でよく俺とぶつかったなぁ。


 第Ⅰ班に配属された江藤はすぐに銀次の任務に対しての姿勢に反感を抱いた。


「俺達は対ヴァンパイア組織です! 市民よりもヴァンパイアの殲滅でしょう! 何のための名刀ですか!」


 ――――なんて言われたなぁ。


 ヴァンパイアに取り囲まれた江藤を救出しに行っても、一般市民を最優先にしても、江藤は銀次にくってかかった。


 ――――そんなお前が……最後は子供を助けて……な。


 銀次はグラスに注いだ酒を口に流し込む。


 考えはさらに変わり、いつかSBを行方不明者や誘拐された人達を救い出す……そんな組織にしたいと銀次は考えるようになった。


 ――――まぁいつになるかわからんがな。


 銀次は自分が飲んでいたグラスを江藤の墓に置いて、酒を注いだ。


「酒持って来るって約束しただろ?」


 そして酒瓶をそのグラスの横に置くと、立ち上がってサングラスをかける。


「そこで大人しく見てろよ」


 そう言うと銀次は江藤の墓石に背を向けて歩き出した。


「仇……取ってくるからな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る