第23話 下水道から来た者達
江藤の墓に手を合わせてから鉄平は自室で休息をとった。今日は月に一度あるかないかの休日だ。しかし何かしたい事がある訳でも無く、結局鉄平は夕方にはオフィスへと向かう事にした。
自室を出た鉄平が居住フロアである二階から階段で一階に降りたその時だった。
「おぉ、鉄平君。ちょうど君を探していたんだ」
鉄平が声のした方向に視線を送ると眉間に皺を寄せたフィリップがいた。
「どうしたんですか?」
鉄平がそう聞くとフィリップは残念そうな顔を浮かべる。
「いやぁ、ルナ君を探しているんだよ。採血の結果を報告しようと部屋を訪ねてみたが応答がなくてねぇ。オフィスにもいなかったから君と一緒だろうと思っていたが、違うみたいだねぇ」
「え?」
*****
「ルナがいなくなったぁ!?」
サラの声がオフィスに響く。
「どういう事だ?」
さすがの銀次も状況が飲み込めずにそう尋ねた。
「さっきルナを探してるフィリップ博士に会って、俺も探したんですけど何処にもいないんですよ。電話にも出ないし。それで、色々聞いて回ってたら朝の十時頃に外出して行ったのを見たって人がいて……それから帰ってないみたいなんです」
「朝の十時って、僕の部屋に戻ってすぐッスよね」
「そうね……確かそれぐらいだったわ」
それを聞いたコウタが隣に立つレイにそう囁くと、まだ腫れぼったい目を向けてレイも小さな声でそう答えた。
「つまり、それから七時間経ってるのか」
壁掛けの時計に目をやった銀次はそう呟くと顎の無精髭に指を這わせる。しばらく考え込んだ後、ルナの居場所をGPSで調べるようにサラに指示した。
「出ました。けど、ここって……」
「どこだ?」
「……総理大臣公邸です」
「それってルナが……」
公邸と聞いた鉄平が目を丸くしてそう言うと銀次がその先を口にした。
「多分そうだろうな。十二年前の地下研究施設だ」
「そう言えば、この前、北条ヒカルを見たって」
「会いに行った……か」
銀次はそこで再び無精髭を撫でて黙り込んでしまった。
「俺達も行きましょう!」
「行くったってどうやって行くの? 勝手に官邸の敷地には入れないでしょ。それに下水道のルートはルナしか知らないし」
勢いよく言った鉄平だったがサラの問いに黙り込んでしまう。いくらSBが防衛省直轄とは言え自衛隊とは縁遠い。武器を所持したまま入るには長官の許可が必要なのだ。
「私が何とかしよう」
ふいに聞えた声はオフィスの入り口からだった。
一同の視線がドアの前に立つ男に集中する。
「隊長!」
サラが目を丸くして言うと隊長と呼ばれた男が柔和な笑みを浮かべて片手を上げた。
「悪いが話は聞かせてもらった。私が官房長官に話をつけておくよ」
質の良い黒色のスーツに身を包んだこの男は、情報収集隊隊長、鷲尾翔平である。短く切り揃えられた黒髪、少し垂れ下がった目尻が優しげな印象を与える。これと言った特長は無いが、綺麗な肌をしている為か五十代後半とは思えない容姿だ。
高遠の死で不在になった突入隊隊長を兼任する事が決まり、それぞれのオフィスへと足を運んでいる最中だった。
「突入部隊の隊長が決まるまでの間、兼任する事が先程決まった。しばらくの間だがよろしく頼むよ」
鷲尾の低い声に一同が頭を下げて応えた。高遠とは違い温和な性格で知られている鷲尾はその目を細める。
「話をつけていただけるという事は総理大臣公邸から地下に入れるという事でしょうか?」
頭を上げた銀次が尋ねると低く落ち着いた声が返ってくる。
「あぁ、そうだ。今から行きなさい。高槻君の事が何か分かったらサラから連絡させる」
「ありがとうございます」
銀次がそう言って頭を下げると、サラと鷲尾を残して一同はオフィスを後にした。
*****
総理官邸前に黒いワンボックスカーが止まる。
銀次、ノエル、鉄平、コウタ、レイの五人が車から降りて門に近づくと警視庁官邸警備隊が待ち受けていた。その内の一人に案内されて敷地内へと足を踏み入れる。鷲尾からの要請を受けて総理大臣公邸まで案内してくれたのだ。
公邸の中に入りエレベーターの前まで案内した警備隊の男は銀次達に敬礼をした。
銀次達もまた敬礼を返し、エレベーターへと乗り込んだ。
階層ボタン下のパネルを開けると何も書かれていないボタンが設置されている。
「鷲尾隊長から聞いた通りだ」
鷲尾から地下施設への行き方を聞いていた銀次はそのボタンを押した。そして地下へと降りていくエレベーターの中でサラに無線を繋ぐ。
「サラ! ルナの位置は?」
「そのままです、移動してません」
「クソ!」
動けないのか、動かないのか……いずれにしても銀次の脳裏に最悪の事態がよぎる。
程なくして五人を乗せたエレベーターは地下施設へと到着した。
ドアが左右に開くと同時に銀次とノエルが銃を構えて中に入っていく。
鉄平達もその後ろに続いてエレベーターから降りると、病院のような施設内は静寂に包まれていた。
「誰かがいる気配は無さそうだが……」
銀次がそう言って一同に視線を送る。そして視線を戻すと銃を構えたまま進み始めた。
五つの足音が静かな施設内に響く。
「ルナはこんな所で生活してたのかよ」
通路の両側にあるガラス張りの部屋を通り過ぎながら鉄平が呟いた。研究対象として観察されていたんだと考えると鉄平の胸に怒りが込み上げていく。
少し進んだ所で十字路になっていて銀次は立ち止まった。進んできた通路は左右に繋がる通路よりも広く、突き当たりには開きっぱなしの扉が見えている。
「通路が分かれてるな」
「このまま真っ直ぐ進みましょう。恐らくこの通路が一番奥まで繋がっているはずです」
「分かるのか?」
「いえ。ただ医療研究部隊にいた頃に視察した別の研究所に造りが似てます」
「そうか……よし! レイの言うとおりこの通路を進もう」
一同はそのまま進み、見えていた突き当たりにある扉の前まで進んだ。壁に取り付けられたカードリーダーにIDカードをタッチすればロックが解除される。しかし、IDカードを持っていない銀次達からすれば、すでに開いている事はありがたかった。
そこを通るとまた白い通路が続いている。それを何度か繰り返して、一同はシーヴェルトが捕らえられていた場所へと辿り着いた。
そこで一同が目にしたのは、血溜まりに横たわる女性の姿だ。
「ルナ!」
「待て」
慌てた様子で駆け寄ろうとした鉄平を銀次が手を上げて制した。
「ルナじゃない」
銀次はゆっくりとその女に近づいてみたが、女が動く気配は無い。体の下には大量の血が広がっている。そのまま片膝をつけて首筋に指先を当てる。しばらくして銀次は首を横に振った。
「この女……北条ヒカルじゃないのか?」
疑問を口にした銀次は女の顔をまじまじと見つめる。傍に落ちている黒縁の眼鏡、整った顔立ち。見開いた紅い瞳はヴァンパイアのそれだ。そしてこめかみに残る火傷混じりの銃傷。
だが、口元から喉に付いた血は別のものだと銀次は考えていた。
そこでふと、鉄平は女の手に視線が向く。
「銀次さん。その銃、ルナが使ってるのと同じ……ベレッタです」
「こめかみに火傷……自殺か?」
さらにコウタが部屋の端に転がっていたスマホを見つけた。裏側にはSB第Ⅶ班高槻と書かれたシールが貼られている。
「クソ! 一体何があったんだ。ひとまず全ての部屋を調べるぞ」
銀次の指示を受けて一同は全ての部屋を調べたがルナの姿は見当たらなかった。
*****
銀次にサラからの無線が入る。
「銀次さん! 鷲尾隊長に替わります!」
「須藤君、そこに高槻君はいたのか?」
「いえ、ただ北条ヒカルと思わしき遺体がありました。医療研究部隊で回収していただけるとありがたいんですが」
「わかった。手配しておこう。それと、先日のリッターを討伐した廃工場なんだが、二年前にドイツ人の投資家に買収されていた事が分かった。この投資家、東京都だけでも複数の企業や建物を買収している。しかも買収を始めたのが十二年前だ。怪しいと思わないか?」
「確かに怪しいですね。この近くで買収された企業や建物はありますか?」
「一番近くにあるのは教会だ。廃工場よりもこちらの方が買収して日が浅い」
「教会か……人目に付きにくい場所ではあるな。今からその教会に向かいます!」
「分かった。だがまだ増援を送れるほどSBは機能していない。君達だけで大丈夫なのか?」
「分かってます! 許可してくれて感謝します」
「必ず皆生きて帰って来てくれ」
「もちろんです」と返事をした銀次は第Ⅶ班のメンバーへと視線を向ける。
「聞いていたと思うが今からその教会に向かう。だがルナがいる保証は無い。ついて来てくれるか?」
銀次はルナがヴァンパイアに拉致されたのではないかと考えていた。
先程、施設内の捜索で銀次達は複数の足跡を発見していた。靴跡から裸足のものまであったそれは同じ通路を往復している。そしてその足跡が続いていたのが、下水道へと繋がる隠し扉だ。
「それ聞きます?」
「もちろんッスよ」
「ルナの為ならね」
「……行く」
鉄平、コウタ、レイ、ノエルが頷くと銀次は目を細めた。しかし、すぐに表情を引き締めると地上へ戻るエレベーターへと向かう。
「よし! 行くぞ」
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