第2話 悪魔の子

 二〇三七年一月 東京


 冷たい風が吹く星も見えない夜空の下。

 閑静な住宅街で少女が一人、電柱の側に立っている。誰かを待っている様なその少女は茶色のチェスターコートに身を包み、首元にはタートルネックの白いセーターが顔を覗かせている。


 背中ほどまで伸びた白い髪のその少女は、肩を震わせて寒さに耐えていた。

 冷えた指先を温めようと吐き出した白い吐息は指先をすり抜けて風に流されていく。


 消えていく白い息を追った少女の視線に男の人影が二つ映った。

 すぐに少女は視線を伏せたが、狙いを定められたのか二人の男達は口角を上げて少女に歩み寄っていく。


「ねぇねぇこんな時間に何してんの? 待ち合わせ?」


 サングラスをかけた男がそう声をかけた事で、少女の肩が小さく震える。

 白い帽子にサングラスをかけたその男はグレーのセットアップ、そしてパーカーのフードを帽子の上からかぶっていた。

 もう一人の男は金髪のツーブロックに上下とも金色のラインと英字が書かれた黒のジャージ。

 外見だけで判断するならばお世辞にも真面目そうだとは言えない。


「どっか遊びに行こうよー」


 その声に少女は俯いたまま左に少し足を動かすと男達が歩いてきた方向とは反対へ、一目散に駆け出した。


「おーい、待ってよー」


 明らかに声色を一つ高くして、男達は逃げた少女を追いかける。着かず離れず、その距離は絶妙で追いかける事を楽しんでいるようだ。

 少女は右へ左へと進路を変えて走った、いくつもの白く濁った息を置き去りにして。

 やがて少女が辿り着いた場所は、廃墟と化した変電所だった。


 変電所の周囲にはフェンスが設置されていたが、人が一人通れそうな隙間を見つけると少女は変電所の敷地内に入った。そこから変電所まで、鉄屑を積み上げた場所を挟んで少し距離が開いている。

 敷地内に人影が見えない事を確認した少女は、白い髪を揺らしながら変電所に向かって駆けていく。だが途中でつまずいて転んでしまった。


「へぇ、こんな人気の無い場所に連れて来てくれたの?」


 少女のすぐ後ろから聞こえたその声は先程の男達だ。


 それでも少女は這うように逃げる。けれどすぐに積み上げられたスクラップの塊に進路を塞がれてしまった。実際の高さは腰の辺りまでしかないが、這いつくばっていた少女の目にはまるで壁のように映った。


 ゲラゲラと笑う声に少女は体勢をかえる。男達に体を向けて、座った状態で後ろに下がるが当然先程のスクラップに背中があたって止まる。


「なんか俺燃えてきたわ」


 金髪の男がそう言うと今度はサングラスの男が、俯き震える少女に笑みを浮かべて告げる。


「こんな趣味があるなら最初から言ってよぉ。じゃあ……楽しませてもらおうかな」


 そう言って男達は少女に近づこうとした。けれどそこで男達の足が止まる。金髪の男は驚きを隠せずにその目を見開いていた。


 今まで怯えて震えていたのではない、少女は笑っていたのだ。それはとても無邪気で、とても邪悪な笑顔だった。


「たっぷり楽しめよ? クソ野郎」


 中指を立ててそう言うと天使のような、それでいて悪魔のような笑みをまた浮かべた。


 中心より少し左から分けられた前髪。そこから覗く少女の左の瞳は碧く、右の瞳はレッドダイヤモンドのように紅い……まるで鮮血のような紅。


 次の瞬間、けたたましい銃声と共に男達の体にいくつもの銃弾が撃ち込まれる。まるで踊るように男達の体が揺れて、その度に紅い液体が辺りに散っていく。


 しばらくすると銃声が鳴り止んだ。そして地面に崩れ落ちる二つの音が響いた後、辺りは再び静寂に包まれた。


 白い髪の少女が耳に手をあてる。長い髪に隠されて周りからは見えないが、耳につけたインカムに無線が入ったからだ。


『ルナ、確認してくれ』

「オッケー」


 ルナと呼ばれた白い髪の少女は先程のスクラップの中に隠していたハンドガンを取り出した。先ほどまでとは打って変わって軽快な動きで立ち上がると倒れた男達に体を向ける。長く白い髪がスカートのように広がった。


 金髪の男は夜空を見上げるように倒れ、その目を見開いたままだ。衣服や体には無数の穴が開いていて血だらけになっている。先程まで黒かった瞳が紅く変わっているのは、撃たれた衝撃でカラコンが外れたからだ。

 もう一人の男もかけていたサングラスが外れて紅い瞳が露わになっていた。

 金髪の男と同じく血だらけだが、その一部はすでに肉を盛り返していて体内に残った弾丸を排出しようとしている。


 ルナはサングラスをかけていた男の胸のあたりを踏みつけて銃口を向ける。

 途端に男は唸り声をあげながら真紅の瞳でルナを睨みつけた。


「アンタをヴァンパイアに変えた奴はどこにいるの?」


 そう問うたルナに、男は大きな口を開けて牙を剥きだしにした。それは威嚇だ。眉間に皺を寄せて獣のような唸り声を発している。


「ヴァンパイアは死なないとでも思ってんの? いくらヴァンパイアでも頭を撃ち抜かれたら死ぬんだよ。しかも銃に込められてるのは銀弾……分かる?」


 その言葉に男の表情が変わる。


「ま、待ってくれ! 知らないんだ! ソレイユってクラブを出た所で、急に、拉致されて。気付いたらビルの空きフロアのような所に居たんだよ!」

「それで?」

「そこに何人か居て、その中の長髪の男が近づいて来たんだ……俺は怖くて動けなくて。そこで首を咬まれて気絶したんだよ! 起きたらもう誰もいなくて……血が欲しくてたまらなくなって。アイツも同じだって! 本当なんだよ」

「そう、残念」


 そう言うとルナは引き金にかけた人差し指を引く。乾いた銃声が響き渡ると男は目を見開いたまま動かなくなった。


「ターゲット撃破……うん……何も知らないってさ」


 ルナが耳に手をあてながら答えていると、先程まで動かなかった金髪の男の紅い瞳がルナの背中へと向けられる。そして後ろから襲い掛かろうと素早く起き上がった。


 だが金髪の男の奇襲を予想していたルナは、振り返って男の頭に銀弾を三発撃ち込んだ。地面に突っ伏した男の金髪が紅く染まっていく。


「全部分かってんだよバーカ」


 見下すそのオッドアイが妖しく浮かぶ。息絶えた事を視認したルナは耳に手を当てて夜空を仰ぐ。そこには笑みを浮かべたような三日月が雲の切れ間から顔を出していた。


「銀次さん。二体とも殺したよ……分かった。うん、そっちに行く」


 そう言うとルナはどこからともなく取り出したチョコバーの袋を開けてかじりついた。


「おほっ……うまっ」


 ルナは一人そう呟く。そして幸せそうに笑った。

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