19 未知との遭遇

 人なのか魚なのか分からない、二足歩行の生き物。


 そいつは、見たことも聞いたこともないような姿形をしていた。


 全身が濡れていることから、たった今、岸から上がってきたばかりなのだろう。


 ポタポタと水が垂れる音が耳につく。


 灰色がかった緑色の皮膚には、所々に鱗のような物がついているように見える。


 丸くふくらんだ腹部は異様に白く、手足には異様な形のヒレが付いていた。


 全体的な姿形はどことなく人間に似ているような気もするが、瞼のない大きな眼球はドロリと淀み、瞬きすることなく探索者達を見下ろしている。


 その頭蓋骨のてっぺんは不自然に平らになっており、頭を潰して目玉が飛び出した奇形の魚のようにも見えた。


 そして、海産物のような生臭い香りをプンプン漂わせているが、魚好きな猫から見ても到底おいしそうとは思いないような奇妙な臭いだった。


 全てにおいて醜悪で、強い嫌悪感をそそられる。


 猫たちは全身の毛を逆立て、激しく騒いで敵を威嚇した。


 だが、奴は猫たちに目をくれることもなく、斎藤ひな子に向かって一直線に進んで行く。


 手足を縛られ口をガムテープで塞がれた可哀想な女性は、恐怖のあまりパニックに陥ったようだ。大泣きしながら手足を無茶苦茶に動かして、地面を這って逃げようとしている。


 その光景を目にした町長はハッと目を逸らし、後ろめたそうな顔をした。しかし、何か行動を起こすことはなく、ただ震えてじっとしているだけだった。


 猫たちも、予想もしていなかった未知の恐ろしい存在に恐れをなし、襲い掛かって良いものかと逡巡してしまった。


 魚面がひな子に掴みかかろうとしたその時。


 たった一匹で敵前に飛び出したのはミルクだった。


「お父さんのやらかしたことの責任は、娘の私が取りますわ! お覚悟!」


 彼女は自身を奮い立たせるように唸り声を上げると、魚面の足に食らいついていった。


 成猫に思い切り食いつかれたのはさすがに痛かったのか、叫び声を上げた化け物は足を振ってふるい落とそうとする。


 爪を立て、敵の足にしがみついて奮闘したミルクだったが、振り払われて地面に転げ落ちたところを狙って蹴り飛ばされた。


 身体をクの字に曲げた彼女は、ギャンと叫びながら吹っ飛んでいった。


 目の前仲間がやられたことで、迷っていた猫たちのタガが外れた。


 最初に飛びかかって行ったのは、若とクロベエだった。


 顎と手足の爪でガッチリとしがみ付き、敵の自由を奪う。


 そして、そんな彼らの姿に勇気づけられた他の猫も、雪崩を打って組み付いて行った。


 戦闘が得意なたんぽぽは、戦況を見て即座に判断した。


 鱗で覆われた手足に食らいついている仲間の攻撃は、あまり通っていないようだ。


 柔らかくて鱗が少なそうな場所を一点狙いしなければ。


 たくさんの猫に組み付かれて、思うように動けない今は絶好のチャンスだ、と。


 ひときわ大柄な彼は驚異的な瞬発力で敵に肉薄すると、狙いすました一撃を加えた。後ろ足の固い爪で蹴り上げるようにして、奴の腹を真一文字に切り裂いたのだった。


 プニプニとした白い腹から血が噴き出すのを見て、勝機を悟った猫たちは歓喜の雄たけびをあげ、更に攻勢を増した。


 それでも最後まで諦めずに戦い続けていた魚面だったが、しばらくと持たず、地に膝をつくことになった。


 血みどろになった奴は息も絶え絶えといった様子だったが、焦点のつかめない眼球はギラギラと底光りして町長と猫たちを睨み付けている。


 魚面は、酷く訛った人間の言葉で町長を罵った。


「おのれ、裏切者! 次こそはと言ったのは嘘だったのか! 仲間に大けがをさせたのに飽き足らず、今度は猫の軍団を引き連れて来るとは! あらかた、前回襲ってきた虎猫もお前の手引きだったのだろう」


「違います! 私は決して!」


 狼狽えたように声を上げた猫島町長だったが、信じてもらえた様子には見えなかった。


 魚面は咳込んで大量の血を吐くと、最後の力を振り絞って猫たちに言葉を放った。


「この忌々しい猫どもめ! 月が南の空に上がるまでに俺が帰って来なければ、力づくで攻め入ることになっている。たくさんの仲間たちがこの島に押し寄せるだろう。せいぜい震えて隠れているがいい」


 そう言い残すと、魚面は全身を痙攣させ、そのまま動かなくなった。


 人間の言葉が分からない猫たちは、魚面の残した言葉を知らない。ただ勝利を喜ぶだけで、呑気に構えていたのだが。


 町長は真っ青な顔で、ブルブル震えている。


「おい人間! いい加減にシャキッとしろ!」


 と、一向に動こうとしない町長に対し、若がひっかき攻撃を入れる。


 そして、お父さんを助けに来たミルクの猫パンチを脳天に叩き込まれたのだった。


「いって~! 何すんだよ!」


「あなたがお父さんを虐めるからですわ!」


 どうやら、ミルクは派手にぶっ飛ばされただけで、大したダメージを受けていなかったようだ。


 ピンピンしている彼女は、若とポカスカやりあっている。


「こういう奴に何を言っても無駄だ。ドついて正気に戻すのが一番手っ取り早いんだよ!」


「乱暴者! すぐに暴力に訴えるのはよくないわ!」


「真っ先にあの魚面に襲い掛かって行ったお転婆のくせのに、よく言うぜ」


「まぁ、なんですって!」


 と、やり合っている二匹をハカセが叱り飛ばす。


「こんな非常事態に何やってるんですか! ケンカなんかしている場合じゃないですよ! ミルクさんだって、さっきのアイツの言葉を理解できたでしょう!?」


 ミルクはバツの悪そうな顔で、小競り合いをやめた。


「あ? さっきゴチャゴチャ鳴いていたやつか? 猫語っぽくなかったけどな」


「おバカさんですわね。下手くそだったけど、どう聞いてもあれは人語だったでしょう?」


「うるさい、そんなの知るか!」


 懲りずに再燃し始める言い争い。


 温厚で臆病なハカセが、とうとうブチ切れた。声を荒げ、一言一句を鋭く区切るように言う。


「あ~、もう! あなたたちは黙っていてください! 話が進まないでしょうが! いいですか! さっき倒した奴の仲間が! 大群になって押し寄せて来るって言っていたんです!」


「へぇ……」


 と特に慌てる様子を見せないクロベエ。


「あなたも、何でそんなに落ち着き払っているんですか! あいつらの仲間が攻めて来るんですよ! それも大群で! 月が南の空に昇るころに! あああ、もうそんなに時間がないじゃないですか!」


 狼狽えるハカセを見て、若とクロベエは顔を見合わせた。


 無言で目線を交わし、どちらからともなくニヤリと笑う。


 言葉に出さなくても、何やら伝わる物があったらしい。


「なるほど、お前もそう思っているのか」


「ああ、お前とは気が合いそうだ」


 二匹はきっぱりと答えた。


「「返り討ちにしてやる!」」


 若は声高に宣言した。


「俺たち西部の猫は、クロネコ団と共闘することを希望する」


「了解した。クロネコ団はこの島の防衛戦に、全面的に協力する」


 ざわめき始める猫たちに、若きボス猫たちは指示を出した。


「クロネコ団は、戦える奴を全員集結させろ。非戦闘員は裏山の奥に隠れていること。この島の北は断崖絶壁で、あいつらのヒレが付いた足では登れない。俺たちの縄張りに奴らが攻めて来るとしたら、この廃港周辺になるだろう。敵影を補足したら、他の地域の猫に伝令を走らせろ」


「俺たち西部の猫は、西の民家沿いから南の漁港の監視を受け持つ。こっちも全員総出で迎え撃つぞ。海岸沿いを監視して、異常があったらすぐに知らせろ。それと、大至急ヤシチの親分と東海岸のブッチに伝令を出せ。それから、東部のソンチョーにも遣いを出して、ダメもとで協力要請してみてくれ。ソンチョー達が首を縦に振らなければ、ムギって奴に東部の飼い猫たちに声をかけて回るように伝えろ。東のブッチたちのシマはうちより小規模だ。手伝いの手は多ければ多いほうが良い」


 落ち着いてテキパキと指示を出すボス猫を見て、浮足立っていた仲間も平常心を取り戻していった。


 頭に血が上っていたハカセも、ようやく落ち着いたらしい。


 冷静になった彼は若に対して非礼を詫びると、腹をくくったような顔で言った。


「ブッチもムギもソンチョーも、顔を知っている猫を伝令に出すのが確実でしょう。自分が東部へ行きます。戦闘は苦手な方ですが、順序立てて説明したり、言葉で説得するのは得意分野ですから」


 彼の言葉を聞いて、若は真剣な顔で尋ねた。


「……お前にできるか?」


「はい。できるかどうかじゃなくて、やらなくちゃダメですから。どんなことがあっても絶対にやってみせます。ソンチョー達も何とかして動かしてみせます。だから、行かせてください」


 ハカセは言う。


「さっきは多勢に無勢な有利な状況でしたが、それでもアイツはそう簡単には倒れなかった。あんな奴が大群になって押し寄せて来るんです。島中の猫をかき集めて、数で押し切らないと絶対に勝てっこない。もし自分たちがここで負けて奴らに島を占拠されてしまったら……。他の猫たちもタダでは済まないでしょう。虎丸くんを不幸にしてしまっては、亡くなった虎徹さんに顔向けができません」


「分かった。お前は頭がいいし、きっとうまくやれるだろう。気を付けて行って来い!」


「はい、行ってきます」


 ハカセはこくりと頷くと、全速力で目的地へと駆けて行った。


 残された時間はわずか。


 他の猫たちも、魚面を迎え撃つために各々の持ち場へと散っていった。

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