17 猫たちの晩餐
クロベエの話によると、この島の北西の海岸にはずいぶん前に放棄された無人の港があるのだという。
その周辺には危険な暗礁がいくつもあり、流れが速いためか漁師も滅多に近寄らないらしい。
「危険な人間からの隠れ家には向いていそうなんだがな。海岸線は岩がゴツゴツとして潮が激しく叩きつける、危険な場所だ。俺たちにとって快適な住処とは言えないし、岩場から落ちれば汐に流されて溺れ死んでしまうだろう。だから、あの周辺を猫がうろつくことは普段は滅多にない」
そんな感じで猫たちからは不人気な場所だが、クロベエたちは廃港へと続く古い道があることを知っていた。
鉱山の入口の脇にコンクリートの階段があり、そこを道なりに下っていけばさして時間をかけずに廃港へ着けるだろう、と説明した。
「そういや、あのクロエって婆さんも同じようなことを知っていたな。確か、あんたらのアジトの周辺に廃港に降りるための階段があるとか何とか」
若の言葉に、クロベエが頷いた。
「ああ、そうだ。陸からあそこの海岸に出るなら、俺たちのアジトを抜けて今は使われていないあの階段を下りて行く以外に道はない。でも、俺たちはよそ者を見かけていない」
「ふーん。じゃあ、不思議な声の主は階段以外のルートを使ったんだろうな。……ところで、相談なんだが。廃港周辺の調査が終わるまで、周辺を自由に散策させてもらいたい。アンタらにも都合があると思うし、情報をくれただけで御の字だ。調べ物が終わったら、すぐに消えるつもりだから安心してくれ」
と述べた若だったが、クロベエの考えは少し違っていたようだ。
「いや、調査には俺たちクロネコ団も同行させてもらおう。アジトには最小限の見張りを残して兵隊を出す。俺らにとっては寝床の近くだし、他人事じゃないからな。それに、あの人間には恩義がある」
ふぅとため息をつくと、クロベエは真剣な顔で口を開いた。
「海岸から聞こえる不気味な物音と、わざわざ関わり合いになることもないだろう。そう思って、これまでは確かめに行くこともないと放置していたが。誘拐犯が船で移動している可能性が高い、というのなら話は別だ。今回の事件と関係あるかはまだ分からないが、調べに行く価値はあるはずだ」
それは若たちにとって、願ってもない申し出だった。
「ありがてぇ。よし、じゃあさっそく――」
と、意気揚々と場を仕切ろうとした若。
その時、彼の腹の虫が大きな音を立てた。
気まずさからプルプルする若の肩を、マグロがポンポンと叩く。
「わかる、わかるよ。ボクもお腹すいちゃったし」
「……うるさい」
「っていうか、今日は一日中休まず歩き回っていたでしょ、ボクたち。クタクタだし、休憩した~い」
不機嫌そうな若の様子を完全に無視して、ゴロゴロと地面を転がりながら駄々をこね始めたマグロ。
「いったん家まで帰りますか?」
というハカセの問いに、困ったような顔をするたんぽぽ。
「う~ん、おれの家、南の方だから、ここからかなり遠いんだよなぁ。あと、脱走するのは今回が初めてじゃないけど、夜になるまで出歩いたのはこれが初めてなんだ。家に帰って人間に見つかったら、しばらく拘束されるかも……」
話を聞いたマグロは顔をしかめる。
「あー、それ、超~面倒くさそう。ボクの家においでよって言いたいところだけど、この時間、漁協には人間がいないから食べ物にありつけないと思うし」
「この中で一番遠いのはわたくしの家ですね。どうしましょう。ご飯を食べに帰りますか?」
ミルクがそう尋ねると、若は首を振った。
「いや、さすがにそれは遠すぎるだろ。往復していたら完全に日が沈んじまう。浜に降りるなら、できれば暗くなる前がいい。クロネコ団が案内してくれるとはいえ、俺たちも地形を確認しておきたいからな。いくら夜目が利くと言っても、真っ暗な中で全く知らない場所をうろつくのは可能であれば避けたい」
「え~、でも、そうしたらご飯どうするのさ? 近くに食べ物がある場所なんてないでしょ?」
ハカセも難しそうな顔をしている。
「う~ん。ここから一番近いのは自分の家ですが、この時間帯だと……。残念ながら、出されたご飯は既に他の猫に食いつくされているかと」
と話し合う猫たちを見て、クロベエはため息をついた。
「いや、目の前に森があるんだし、自力で得物を取ろうって話にならないのかよ。図体のデカい仲間もいるのに、しょうがない奴らだな。可哀想だから、俺の獲物を一匹分けてやるよ」
ブン投げられた物を見て、飼い猫たちは全身の毛を逆立てた。
血を流し、ダラリと舌を出したまま、ピクリともせず横たわる野ウサギ。
舌なめずりして喜んでいるのは若とクロエだけだった。
「おお、丸々と太って美味しそうだな」
「おやまぁ、立派な獲物じゃないか。人間はこういうご飯をくれないからねぇ。アタシも少しだけご相伴にあずからせておくれ」
マグロはちょっぴり残念そうな顔だ。
「あーあ、カリカリじゃないのか~。まぁ、新鮮そうだし、ネズミや生魚と同じと思えば、食べられないことはないけどさぁ」
と、ブチブチ言いながらも背に腹は変えられないと若に続く。
肉にかじりつく仲間――若とマグロを前に、残された3匹の飼い猫は信じられないと言う顔をしていた。
キャットフードを食べ慣れている飼い猫にとって、丸のままの生肉はワイルドすぎたようだ。
「む、無理ですわ。わたくし、こんなもの食べられません……」
涙目になって怯えているミルク。
武闘派のたんぽぽも、取った獲物を口にした経験はない。彼は気の進まなさそうな顔を隠しもせず、せっかくの晩餐に手をつけようとしなかった。
仲間内で一番ひどいのがハカセで、すっかりビビってしまい、しっぽを股に挟んで震えている。彼は狩りごっこを好まないどころか、生き物の死体を見慣れていない。
ハカセはへっぴり腰のまま、足先でチョイチョイと獲物をつついてみた。だが、ふいにビュウと吹いた風の音に驚いたらしく、叫び声を上げながら全速力で逃走した。
クロネコ団たちは、そんな様子に我慢できずに噴き出している。
クロエはあきれ顔だ。
「まったく。情けない声を出すんじゃないよ。仕方ない子だねぇ。ワタシはこっちのお肉を頂くから、お前たちは私の晩ご飯をおあがり。ほら、寝床にカリカリの入った皿があったろ? あそこなら、ここからそう遠くないし」
たんぽぽはとても嬉しそうな顔で、クロエの提案に感謝の言葉を返した。
「助かる。今度お礼に美味しい煮干しを持ってくるよ」
茂みに頭を突っ込んで震えているハカセの首根っこをくわえて引っ張り出したたんぽぽ。
嗅覚の優れた臆病者の猫をなだめすかし、通ってきた道の匂いを辿って斎場へと向かう。
他の猫たちは思い思いの場所で手早く食事を終えると、再びクロネコ団のアジトに集合した。
だが、すぐ戻って来るはずのたんぽぽとハカセ、ミルクの姿がない。
この時、他のメンバーには知る由もなかったが、彼らはたまたま通りがかったクロエの舎弟たちにエサ泥棒と取り違えられてしまったのだった。
外見からクロネコ団の関係者と思われるだけに、すっかり困ってしまったたんぽぽ。この巨漢が本気で攻撃をすると、普通の猫はひとたまりもない。
飛び交う怒声とかすかな血の匂い。相手に大怪我をさせないよう、防戦に徹するたんぽぽ。そして、全身を膨らませて威嚇をするミルク。
そんな2匹の背に隠れ、ハカセは怯えて泣いていたという。
戻りが遅すぎるので心配して様子を見に行ったクロエは、ハカセにとってまさに救世主だった。
返って来る頃にはすっかり心酔したのか、ハカセはクロエにべったり懐いていた。
「ごめん。予定より時間を取られてしまった」
大きな体を縮こまらせて、しょんぼりと耳を垂れるたんぽぽ。
「不可抗力だろ。気にすんな」
と、若はカラカラと笑った。
そんなハプニングに見舞われ、たんぽぽたちが仲間と合流したころには完全に日が沈んでしまっていた。
クロネコ団が道案内をしてくれるということもあり、若たちは多少遅くなっても同じと開き直り、1・2時間ほど仮眠を取って探索に向かうことにした。
真っ暗になった廃鉱山を、猫の群れがゾロゾロと進んで行く。
空には雲一つなく、満天の星空にまん丸なお月様がぽっかりと空に浮かんでいる。周囲に一切の明かりがなくても、猫たちにとってはには十分だった。
朽ちたコンクリートの階段は所々が少し崩れていたが、野良猫たちはスルスルと滑るように進んだ。
こういった場所に不慣れなミルクだが、部屋に大量のアスレチックが用意されているからか、何とかその流れについていけているようだ。
「虎丸にいい報告ができればいいな」
暗闇を見通すように、鋭い眼光をした若が呟いた。
そんな彼の言葉は、子猫のために奔走する彼らの気持ちを一言で表していた。
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