土曜の昼

 財布の紐が緩い人のショッピングにつきあうのは楽しい。

 私は自他ともに認めるケチ、というか、散々迷ってから「やっぱりまた今度にする」と言ってしまうタイプ。だから桃子ももこさんの「やっぱりこっちも買っちゃおう」という一言に胸がすくというか、同じ「やっぱり」でもこういう使い方があるのだと、ほぼ感動してしまうのだった。

「ごめんなさいね、私、お買い物に時間がかかり過ぎちゃって」

 漬物を満載したカゴを手に、ようやくレジに向かった桃子さんは、そう気遣ってくれるけれど、私は平気。むしろうっかり「大丈夫です」とか言わないように注意して、あいまいに会釈する。


 堀川御池ほりかわおいけのホテルをタクシーで出発し、吉田山よしだやまの上にあるカフェでランチを楽しみ、再びタクシーに乗って街なかに戻り、丸太町まるたまちから寺町てらまち通りを下りながら、色んなショップをめぐり、仕上げはにしき市場。

 はっきり言って週末の錦なんて観光客でいっぱいだし、市場、というよりテーマパークみたいだ。私なんて大学に入ってから初めて、よそから来た友達と一緒に足を踏み入れたぐらいで、たぶん来てる回数はムギさんの方がずっと多いと思う。

 なのでどの店の何が有名だとか、ほぼ知らなくて、案内も無理な話。ただ桃子さんの後をくっついて歩き、お荷物だけは持たせていただく、という情けなさなのだった。

「これは姉に送るの。もう少し待ってね」

 あんなに買った漬物を、桃子さんは全部お姉さんにあげてしまうらしい。カウンターで宅配便の伝票に描き込む彼女の背中を見ながら、世の中には本当に気前のいい人っているんだな、と私はまた感心してしまった。

 何かの拍子でお金持ちになったとしても、私は姉に対してそこまで太っ腹になれないような気がする。まず、姉の方で、あんたにそういう真似されたくない、と拒絶しそうだし。

「どうも、お待たせしました」

 にこやかに戻ってきた桃子さんは「ねえ、一休みしない?この近くにムギさんお勧めのお店があるの。私、前に連れて行ってもらったんだけど、場所がうろ覚えで」とスマホを取り出す。もちろん私に異存などなくて、また彼女にくっついて行くのだった。


 ムギさんお勧めの店、という言葉は、いくつかの条件を満たしている。

 まずは店の雰囲気というか、趣味がよろしい事。そして知る人ぞ知る、という存在である事。誰もかれもが押し寄せるような店ではいけない。その結果として、混雑していない。そしてもちろん供されるものが美味であること。

 その店は錦から烏丸通からすまどおりを越え、少しかみにあがった路地の中にあった。京都ではそう珍しくない、町屋をそのまま使ったカフェらしい。店の前に置かれた藍色の火鉢には水がはられていて、夜店で掬ってきたばかりのような和金が五、六匹泳いでいた。

 日差しが強いせいで、中の様子は薄暗くてよくわからないけれど、桃子さんはためらう事なくガラスの引き戸を開け、朗らかに「こんにちは」と挨拶しながら中に入るのだった。私はその後から、影みたいにくっついてゆく。

 店はカウンターと四人掛けのテーブル席二つというシンプルなつくりで、先客は初老の女性が一人。近所に住んでて散歩の途中です、といった感じで、コーヒー片手に文庫本を読んでいる。

 私たちは荷物があるのでテーブル席に座り、桃子さんは「私もう決めてるから」と言って、立ててあったメニューを私に向けて広げた。

「何に決めたんですか?ムギさんお勧め?」

「さあ何かしら」

 桃子さんが微笑んだところへ、店主が水を運んで来る。その姿を見て、もしかしてムギさんお勧めというのは、彼のことかもしれない、と私は思う。たぶん六十前後の、ほどよく白髪交じり。痩せてはいるけど骨太な感じで、白いシャツに臙脂えんじのタブリエ姿がよく似合っている。

「私はもう断然、おじさまね。若い子はね、そりゃ綺麗よ。でも薄いのが耐えられないの。どんだけ可愛くても薄っぺらは嫌なの」

 ムギさんの言葉が、まるで本人がそこにいるかのように浮かんでくる。

「お決まりですか?」

 声をかけられて我に返り、私は「後でお願いします」と慌てて返事をした。たぶん、この低めの声もムギさんの好みだ。

 かるく微笑みを浮かべてカウンターの向こうに戻る店主を目で追って、桃子さんは「わかった?」と悪戯っぽく言った。

「ムギさんお勧め、の意味ですか?」

「そう。でもそれだけじゃあないのよ」

「あの、何がお勧めなんですか?」

 メニューの内容はいたってシンプル。飲み物はコーヒー、紅茶にカモミールティー。スイーツは本日のパウンドケーキ、ベイクドチーズケーキとブラウニー、それだけだ。しかもけっこうな値段がする。

「コーヒーはマストね」

 桃子さんはそれしか言わない。仕方ないので私は「じゃあ、それとブラウニーにします」と決めた。

「了解」とうなずいて、桃子さんは店主を呼んだ。

「コーヒー二つと、彼はブラウニー、あと、本日のパウンドケーキは何ですか?」

「バナナとダークチェリーの二種類です」

「半分ずつ二種類ってできますか?」

「大丈夫ですよ」

 店主はにこやかに頷いて去って行った。今の「大丈夫」は大丈夫な方の「大丈夫」だな。そう思いつつも、私は桃子さんの選択に驚いていた。

 まず、本日のパウンドケーキって段階で、私はもうそれが何かを尋ねることができないのだ。うまく質問が伝わらなかったりして、気まずい感じになるのが嫌だから。

 そしてさらに、ちゃんと質問できたとしても、半分ずつ二種類なんてリクエストはできない。メニューに書いてあれば別だけれど、自分でオプションを提案してしまうなんて、それは私にとってはわがまま以外の何物でもないからだ。

 断っておくけど、私は別に桃子さんを非難しているわけじゃない。ただ、自分がそんな事を言い出せば、周囲にわがままだと思われるだろうと、そう恐れるのである。

 面倒くさい奴。

 そんなの百も承知だけれど、考えてしまうものは仕方ない。そしてそれはけっこう疲れる事だったりする。

「疲れちゃった?」

まるで心の中お見通し、といった桃子さんの言葉に、私は飛び上がりそうになりながら「だ・・・いいえ」と答えていた。

「よかった。若いもんね」

 にっこり笑ってグラスの水を飲む。そう言う桃子さんだって十分若いのに。

「やっぱり駄目ね。お買い物してる最中はすこぶる元気なんだけど、こうやって座ってしまうと、もうずーっと座ってたい、なんて思っちゃうの。私、あなたぐらいの頃は本当に疲れ知らずで、夜通し遊んでそのまま学校とか行けてたのよね」

 それは元気過ぎ。友達なら突っ込むところだけれど、ここは「そうなんですか」としか言えない。

「ハニーさんは夜遊びとかしないの?」

 だからその名前呼ぶのはやめてって。顔がひきつったところへ店主が来て、コーヒーとケーキを出してゆく。

「あら、生クリームついてるんだ」

 桃子さんのパウンドケーキと私のブラウニー、それぞれにホイップした生クリームとミントの葉が添えられている。でも私の目を惹いたのはコーヒーの方だった。なんかやけに黒いというか、濃厚?

「これね、トルココーヒーなんだって」

 私の当惑顔に気づいたのか、桃子さんが教えてくれた。

「普通のコーヒーとどう違うんですか?」

「フィルターで濾してないの。だから豆の粉がちゃんと沈んでから飲むのよ」

「そうなんですか」

 といいながらも、一口飲んでみる。思ったほど濃いというわけではなく、ブラウニーの甘さと生クリームにも助けられて、普通に飲むことができたけど、たしかに底の方に粉が沈殿している。

「飲み終わったらね、ソーサーにカップを伏せるのよ」

 ぱくぱくとパウンドケーキを口に運びながら、桃子さんはさらに説明する。

「え?伏せる、って、ひっくり返すってことですか?それがトルコの飲み方?」

「飲み方っていうか、占いのためにね」

「占い?」

「そう。底に溜まった粉がどう見えるかで、運勢を占うの」

 本気だろうか。半信半疑の私の反応は織り込み済み、といった感じで、桃子さんはパウンドケーキを平らげ、コーヒーを飲み干すと、慣れた手つきでカップをソーサーの上に伏せた。

「ハニーさんもやってみて」

 言われるがまま、私はブラウニーの最後の一切れをほおばると、コーヒーを飲み、桃子さんの手つきをまねてカップを伏せる。

「準備完了ね」

 桃子さんはにこりと笑うと、いきなりカウンターの方を向いて「すみません」と呼びかけた。店主はすぐに私たちのところまでやって来て、「どちら様から?」と尋ねる。

「どうしましょう。ハニーさん、先いく?

「え?占いって、もしかしてこの人が見てくれはるんですか?」

「そうよ。私は一度来たことあるけど、よく当たると思うわ」

 そう言って桃子さんが店主の方を見ると、彼はにこやかに「ありがとうございます」と頭を下げるのだった。

「あ、わ、た、後でいいです」

 いきなり占いだなんて、何を言われるかわからないし、どう反応していいかも困るし。とりあえず桃子さんのを見てからにしなくては。桃子さんは「そう?じゃあお先に」と言いながら、カップを伏せたソーサーを店主の方へと滑らせる。

 その間に、店主はカウンターの隅に置いてあった、踏み台のような木の椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「失礼します」

うやうやしくカップを手に取ってひっくり返し、コーヒー豆の粉が描き出したマーブル模様をじっと見つめる。

「何についてお伝えしましょう。仕事、恋愛、金運、お好きなものを」

「恋愛」

 何の迷いもなく、桃子さんはそう言って身を乗り出した。店主は軽く眉を持ち上げ、「終わってますね」と告げた。

 恋愛、終わってる。

 なんかこれ、衝撃的なフレーズ?でも桃子さんはまるで他人事みたいに冷静で、了解したとばかりに頷いた。

「ただ、形としては続いているので、実際に終わらせるかどうかは、貴女しだいです」

「私しだい」

「そうですね。まあ、終わっているのはこれまでの関係で、貴女はすぐにでも新しい相手に出会うことができるでしょう。それが貴女にとって良いことかどうかは判りませんが」

 店主の言葉を聞きながら、私は「当然かもね」と考えていた。桃子さんの今の恋愛がどうなってるか知らないけど、こんなに魅力的な人なのだもの、新しい相手なんて行列つくるほど待ち受けてるに違いない。

「なんだかすごく納得しちゃった。ありがとうございます」

 思い当たるふしがあるみたいで、桃子さんはさらに何度か頷くと、「じゃ、次はハニーさんね」と、私のカップとソーサーを移動させた。店主はそれを引き取って「お客様は何になさいますか?」とこちらを見る。

「え、え?ええと」

 何?恋愛は絶対ダメ。でも金運ってのも夢がないし、仕事はしてないし勉強もしてないし、健康についても特に心配してない。いや待て、そもそもこの宙ぶらりんな生活じたいが問題なの?つまり人生全般?でもいきなり人前で占ってもらうなんてそんな。

 額から汗が滴りそうな勢いで、考えを巡らせている私のことなんか軽く流して、桃子さんは「もちろん恋愛よね」と断言した。

 嫌です!

 そう言いたいところだけど、なんか白けさせてしまうと悪いし、私は「え~」なんて声を出しながら、逃げ道が閉ざされたと観念した。いいや、どうせお遊びだもの。

「それでよろしいですか?」と店主は念を押し、私は仕方なくうなずく。

 カップの底に描かれた模様は、桃子さんのとは全く違っていて、店主は目の悪い人が遠くを見る時のように、眉間に軽くしわを寄せてそれを見た。

 何を言われるかどきどきしながら、私は彼の言葉を待つ。二人続けて「終わってる」はありえないとして、かなりネガティブな事もさらっと言われてしまいそうで恐ろしい。

「二つ、可能性があります」

 店主は淡々と言った。

「一つは、短くて困難だけれど後悔はしない。もう一つは長続きして穏やかだけれど悔いが残る」

「はあ」

 あんまりよく分からない。つまり何?

「二つの可能性って、それは自分が選ぶの?それとも勝手に決まってしまうの?」

 私より桃子さんの方がずっと前のめり。店主の回答は「自分で決める事です」だった。

「自分で決めるの?じゃあ、ハニーさんはどっちがいいの?」

「え?どっちって言われても」

 困る。どうせ気の利いた答えなんかできないんだし、私のことなんかスルーしてほしいのに、桃子さんはまっすぐ私の顔をのぞきこんで答えを待っている。

「あの、長続きする方がいいです」

「それはどうして?長続きって、悔いが残る方でしょ?」

「困難なのは嫌なんで」

 そう、私はとにかく苦しい思いをするのが嫌いなのだ。だから体育会系の部活は避けてきたし、大学だって推薦で入ったし、バイトだって時給より楽な仕事優先。

「でも、恋愛に困難はつきものっていうか、困難だからこそ楽しいんじゃないかしら」

 桃子さんのその言葉に、私は姉との電話を思い出していた。

 ジェットコースターの桃子さん。

 もしかして、ヤバい恋愛にのめりこむタイプ?

 とにかく何か返事しなきゃ、と考えていると、店主が「そこは人それぞれじゃないですかね」と、間をもたせてくれた。

「刺激の多い生活を好む人と、穏やかな生活を好む人。どちらも同じくらいいますからね」

「私、あえて困難を求める方だわ。ねえ、私初めてこに来たの、四年ほど前なんだけれど、その時に占ってもらって、ご自分のおっしゃった事、憶えてます?」

「いやあ、占いの結果は憶えてないというか、むしろ忘れるように心がけてますから」

 店主は困惑ぎみの笑顔でそう答えた。

「占いの結果はお客様のものであって、私はそれをお伝えするだけですし、それに」

 そこで彼はいったん黙った。言おうかどうしようか、考えてるみたいに。桃子さんは「それに?」と続きを促した。

「私にこの占いを教えてくれた師匠が言ったんですが、一度言葉にしたものには力がある。特に占いというものは日常の言葉とは強さが違うから、うまく流しておかないと溜まってゆくと」

「溜まるって、どういう風に?」

「気が滞る、みたいなものでしょうか。じっさい、師匠は胆石でお腹を切ってるんですけど、関係あるかと言われると、あるような、ないような」

「あると思う」

 桃子さんは妙に神妙な顔つきでそう言った。

「だってここの占い、本当によく当たるんだもの。四年前の言葉、いま思い出しても鳥肌ものよ」



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