第8話『マイシスター』

 撫子を呼び出した生徒が既に体育館裏にいるかもしれない。なので、近くまで来たところで撫子とは別れる。

 僕は向日葵と一緒に、体育館裏の様子がよく見え、撫子や呼び出している男子から隠れられるところへと向かう。


「この木の陰なら大丈夫そうかな」

「いいと思うわ」


 生垣の近くに生えている大きな木から、僕達は体育館裏の様子を見ることに。

 今は撫子だけが立っており、撫子を呼び出したと思われる男子の姿はない。


「自分で呼び出しておきながら、撫子ちゃんを待たせるなんて。失礼な男子ね」

「放課後になってからあまり時間は経っていないし、終礼が長引いているのかも。それか、告白するのに緊張して、気分が悪くなったからお手洗いに行っているとか。まあ、待たせないのがベストだよね」


 断るという撫子の意向を知っているので、もし遅れている理由が後者なら、呼び出した男子がとてもかわいそうに思えてくる。

 見始めてから2、3分ほど。長身で金髪の男子生徒が姿を現し、撫子の前で立ち止まる。その男子はスクールバッグの他にエナメルバッグを持っているから、告白した後に部活動に行くのだろう。


「加瀬撫子さん」

「はい。もしかして、あなたがこの手紙を書いた林田はやしださんですか?」

「ああ。1年2組の林田だ。担任が教室に来るのが遅かったから、終礼も遅れたんだ。待たせる形になってごめん」


 撫子を待たせたことを謝れるのは評価できる。

 あの男子生徒……林田は1年生か。高校に入学して、撫子の姿を初めて見たときから気になっていたという感じだろうか。

 撫子はこれから林田の告白を断る。そのとき、どんな反応を見せるのか恐ろしさもある。


「あの林田っていう男子生徒。撫子に何かしたら許さないからな……」

「……桔梗の目、物凄く鋭いわ。さっき、撫子ちゃんに会ったときから思っていたんだけど、もしかしてシスコン? だったらキモいんですけど」

「キモい結構シスコン上等だ。僕は何としてでも撫子のことを守るぞ」

「……そこまできっぱりと言われるとキモさが吹き飛ぶわ」


 はあっ、と向日葵は呆れた様子で溜息をついた。

 可愛い妹の撫子を幸せにするためなら、兄としてできるだけのことを決めている。小学生の頃、撫子は名前などを口実に、クラスメイトからいじめられた経験がある。そのクラスメイトから撫子を守ったのを機に、撫子を守りたい気持ちがより強くなった。


「加瀬撫子さん。手紙に書いたとおり、入学した直後に君の姿を初めて見たときから気になっていました。一目惚れです。俺と恋人として付き合ってください!」


 予想通りの理由か。1年生だし、別々のクラスだから一目惚れが理由だよなぁ。

 林田には申し訳ないけど……撫子。向日葵と僕が見守っているから、しっかりと断る意思を伝えるんだよ。


「ごめんなさい。あなたとお付き合いできません。今は誰とも付き合う気がないので」


 おっ、ちゃんと言えたな。隣で向日葵が「よしっ」と声を漏らしている。

 これで相手が引き下がってくれれば――。


「じゃあ、いつかは付き合ってくれるの?」


 すぐには引き下がらないかぁ。まあ、撫子は凄く可愛い女の子だもんなぁ。態度が悪かったり、手を出しそうになったりしたら僕が出て行かないと。


「いいえ、あなたは私のタイプではないので」

「ふざけるな! 人の好きな気持ちを否定するのかよ!」


 突如、林田は豹変して、撫子に向かって恫喝する。そんな彼の表情や声の迫力に気圧されてしまったのか、撫子の脚が震え始める。顔は見えないけど、きっと怖がっているに違いない。


「加瀬が今まで何人もの生徒に告白されたみたいだな。だからって調子に乗っているんじゃねえぞ!」

「そ、そんなこと……」


「あたし、もう我慢できない!」

「僕が行く。僕も我慢できないからな。それに、兄貴が行った方がいいんじゃないかな」


 僕がそう言って向日葵の方を見ると、彼女はとても怒った様子で僕に頷いてくれた。

 僕は向日葵に一度頷いて、ゆっくりと撫子のところへと向かう。歩き出す際、向日葵に背中をポンと叩かれる。彼女に「任せたわ」と言われたような気がした。


「随分な態度の変貌ぶりだね」


 林田にそう言って、僕は撫子の横に立つ。撫子をチラッと見ると、撫子は安堵の笑みを見せ、脚の震えが止まる。

 林田の鋭い視線は撫子から僕へと移る。撫子の彼氏とか思っているのかな。


「……お前、誰だよ」

「2年の加瀬桔梗。加瀬撫子のお兄さんだ」

「……そ、そうだったんですかぁ」


 撫子の兄で2年生だと分かったからか、林田は不格好な笑みを顔に浮かべ始める。


「お兄さんからも行ってくださいよ。好きな気持ちを否定するなって」

「申し訳ないね。君のお願いには応えられない。僕は妹ファースト。つまり、撫子ファーストなんだ。撫子がここに来る前に、僕は撫子が君からの告白を断ると聞いているんだよ。ただ、さっきの君の様子を見ていたら、あんなの告白じゃないね。脅迫だ。好きな人の気持ちを尊重せず、強い言葉を吐いて自分の思い通りにしようとする。そんな人間が撫子と交際するなんてことは兄として絶対に許さない」


 目つきを鋭くさせて林田を見ると、彼は怯え始める。

 撫子は一度「ふーっ」と長く息を吐き、真剣な表情で林田のことを見る。


「さっきも言ったとおり、今は誰とも付き合う気はありません。ただ、今のことであなたとは一生付き合うことはないです。……この手紙、あなたにお返しします」

「僕が返すよ。何されるか分からないから」


 僕は撫子から林田からのラブレターを受け取り、林田のブレザーの左ポケットにそっと入れた。その間、林田が僕を殴ったりすることはしない。


「撫子に報復なんてしないでね。もし、そんなことをしたら、然るべき罰をちゃんと受けてもらうよ。……分かった?」

「わ、分かりました! 妹さんのことは諦めます! さっきは怒鳴ったりしてごめんなさい!」

「……謝意は受け取るけど許さない」


 撫子は普段よりも低い声できっぱりと言った。林田に怒鳴られたとき、脚が震えるほどだったからな。

 許さないと言われたからか、林田は絶望の表情になっていく。これも撫子にひどい態度を取った然るべき報いだろう。


「……エナメルバッグを持っているってことは、どこか運動系の部活に入っているんだろう? さっさと行きな」

「は、はい。失礼しました……」


 林田は僕らに背を向け、とぼとぼと歩いていった。キツく言っておいたから、撫子に報復してくることもないだろう。

 林田の姿が見えなくなったとき、背後からパチパチと拍手の音が聞こえてくる。振り返ると、向日葵が拍手をしながらこちらに向かって歩いてきていた。そんな彼女の顔にはとっても爽やかな笑み。


「見事なフォローだったわ、桔梗。撫子ちゃんも、あの男子に一生付き合うことはないってよく言った」


 頑張ったね~、と向日葵は撫子の頭を撫でる。そのことで撫子は微笑む。髪の色や顔の雰囲気は違うけど、2人が姉妹のように見えてきた。


「兄さんが側にいてくれて、向日葵先輩が見守ってくれていたおかげで、何とか断りの言葉を言えました。2人ともありがとうございました」

「いえいえ」

「撫子を守りたい気持ちはもちろんだけど、あの林田っていう男子の態度に物凄く苛立ったからね。調子に乗るなって撫子に罵倒したときは、かぐやの餌にしてやろうかっていうくらいに怒りが湧いたから」

「もう、兄さんったら……」


 ふふっ、と撫子は上品に笑う。その姿を見て、林田とのことでの恐怖心はなくなったのだと分かった。

 かぐやの餌にするのは大げさだけど、林田の顔に一発拳を喰らわせたいとは思っていた。我ながら、よく手を出さずに言葉だけで済んだと思う。


「ねえ、桔梗。かぐやって何のこと? かぐやの餌って言っていたから、飼っているペットのことかな」

「うん、そうだよ。うちで飼っている三毛猫の名前」

「へえ、猫飼っているんだ!」


 猫の話題になったからか、向日葵の笑顔がさらに明るくなり、声がさっきよりも高くなる。


「向日葵先輩は猫がお好きなんですか?」

「大好き! 犬も好きだけど、犬派か猫派かって訊かれたら断然猫派ね」


 断然を付けるほどなのか。向日葵は犬派のイメージがあったので意外だ。僕も猫派なので今まで以上に親近感が湧く。


「そうなんですね。私達兄妹も猫派です。先輩さえ良ければ、これから家に来てかぐやに会いますか?」

「かぐやは大人しい性格だし、よほど変なことをしなければ、初めて会う人でも頭や背中を触らせてくれるよ」

「そ、そうなの? じゃあ……伺おうかしら」


 向日葵とかぐやが会ったとき、互いにどんな反応をするのか楽しみだな。

 3人で学校を後にし、自宅に向かって歩き出すのであった。

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