第46話 私と彼は、きっと考え方が違うんです。でも……。




 ……ぼんやりと外を眺めていました。


 教室を一歩出た廊下の窓、そこからは校門が望めます。そんなところで我ながら珍しい、けだるく窓枠に手をついて、――今更、誰を待つとは言いません。

 もうお昼休みだというのに、一向に現れない彼に向け、私はお弁当袋を片手に溜息を一つ。

 いつもなら、四限目までには居るのです。もちろん遅刻ですからね。もっと自分を律しなさいと、私は二三お小言を言いたくもありますが、彼がいつものようにガハハと笑うものだから、もう、と一言つぶやいて、悲しいかな、それで終わり。

 ひどいときは、五限目の途中で来たこともありました。あの時は呆れましたが、腹減った。そう言って、旨い旨いとお弁当を食べてくれたので、私も簡単な人間ですよね。そんな彼の一言で、危うく笑みをこぼしてしまいそうになるのだから。

 まったく、自分自身に呆れ果てます。彼のことを考えるのなら、言うべきことはしっかりと、そして、やるべき事はやりなさいと注意すべきでしょうに、どうにもあの笑顔を見てしまうと、そして、私の拙いお弁当を美味しいと言ってもらえると、いかんせん次の言葉が出てこないのです。

 あぁと、私は、あの青い空に思いをはせてしまう。

 過去を振り返ってみれば、いくどとなく登校の遅い日はあるのです。つかみ所の無い風来坊ですからね。自由気ままに気の向くままに、風に吹かれて我が道を行く。

 彼らしいと言えば、彼らしい。でも、それでもですね、せめて連絡のひとつくらい、入れてくれても良いのではと思う次第でして。


 「……」


 ……まぁ私は、彼の連絡先なんて知りませんけども。


 えぇそうです。知りませんとも。

 だって、彼が聞いてこないのです。間違っても私から尋ねることなんて出来ませんし、そもそも、何を理由に相手のアドレスを聞き出すのか。

 学校外で連絡するため?

 でも、何のために?

 残念ながら、まだ彼と、放課後以外、学校外を出歩いたことはありません。

 理由がないのです。私としては、こんななりでも女子ですからね。いわゆるデートというものに憧れないといえばウソになります。

 どこに行きたいのか。そう問われれば、返答に困りますが、別に、恋人たちがするようなものでなくて良いのです。ただ単純に、図書館で並んで勉学にいそしむ、その程度で充分満足なのです。

 突然、デートしましょうなんて、彼が困るのは目に見えていますから、もちろん、恋人のような関係では無いわけですから、デートだの何だのと妄言の一種である事は理解しています。

 まったく、勘違いもここまで行けばたいしたものです。

 それならば勉強の遅れを取り戻しましょうと、大義名分貼り付けて、誘うくらいがちょうど良い。

 でもそれさえも、結局言えずじまいで今に至ります。せいぜいできたのは、放課後の教室で、彼の進級がかかっていたということもありまして、二人きりで勉強を見てあげたという程度のこと。


 ……あぁ、まったく。


 もう一年にもなります。彼と出会って色々と画策し、自分なりに行動して。どうにかこの想いを伝えようと、届けようと、ヘタクソながらも頑張ってはみたものの。……こんな私の気持ちなど、彼はまったく理解してはくれていないでしょうね。

 なんて、拗ねた幼児のように卑怯な考え方をしてしまう。我ながら嫌な生き物だ。まるで自分が悪くないかのような物言いをしているのですから。

 自分の口ベタを棚に上げ、不器用を脇に除けて、そんなの全部己のせいなのに。

 なんせ、どう足掻いたって、彼がわかるはずもないのです。だって私は、自分の気持ちなんて、これっぽっちも告げていないもの。

 確かに、何もしなかったわけではありません。ですが、あの手この手で挑んではみたものの、どれもこれも空振りに継ぐ空振り。周りの友人があきれかえるほどのポンコツっぷりで、下手の考え休むに似たり、とはまさに私のことを言うのでしょう。

 もう、イヤになる。

 今日何度目になるだろうか。ふぅと漏れた溜息に、重さを感じます。

 全く上手くいかないアピールに、最近、正直疲れたところはありまして。

 決して彼に愛想を尽かしたとか、そういう事ではありません。要は自分の不器用さに嫌気がさしてしまったと、そういう事です。

 そして、こうも思うのです。私の行動は、果たして彼にどの程度伝わっているのだろうかと。そして、どのように受け取られているのかと。

 不出来な自分にヤキモキしすぎて、いささか、強引すぎるのではないでしょうか。そう考えないこともありません。

 なんせ、頼まれてもいないくせに、毎日のようにお弁当を作ってくるのですからね。

 彼の優しさに寄りかかり、やめろの一言が無いからと、ただのクラスメイトが飽きもせず、毎日毎日、作ってくるのです。そんなの、……少し、重たくありませんか?

 今日だって、いつもなら、まだ来ない彼の事を想いながら、あの踊り場へ私はお弁当を置きに行くのです。

 もちろん、彼と私の間には、お弁当を作ってくる。この行為に含まれた意味、そこに重大な齟齬が発生しているのは理解しています。

 片や恋愛感情を乗せ、片や、変わったヤツだなと頭をかしげる。そんな相反する行為なわけですから、いよいよ行き過ぎてやしないだろうか。もしかして、彼は優しいから言わないだけで、本当は迷惑に感じているかも。なんだアイツは不気味だと顔を引きつらせているのかも。そんな不安を募らせてしまうのも無理ない話。

 じゃぁ、やめてしまえと言う人もいるでしょう。

 でも、ならやめますと、二つ返事で誰が言えましょうか。

 だって、私にとって、彼とのつながりは、このお弁当しかないのです。

 ゆえに、毎日が、藁にも縋る思いです。

 もし、今日食べてもらえなかったらどうしよう。そのうち、もう面倒だから作らなくて良いぞと、お前の弁当はヘタクソだから飽きた。なんて言われた日にはどうしよう。

 このお弁当というつながりを失ってしまえば、きっと彼と話す機会は減るでしょう。そうなれば、私のことですから、もじもじとしたままであっという間に時間ばかりが過ぎていくのは容易に想像できます。あれよあれよという間に、そのまま彼は私のことなんて忘れてしまうかもしれません。

 そんなの、嫌だ。無理だ。お弁当を自宅の三角コーナーに捨てる、そんなシーンが実際に起ころうものなら、私、確実に泣いてしまいます。だって、悲しみの限界を超えている。

 あぁ。本当に嫌だ。溜息が止まらない。

 こんなにも天気の良いお昼時に、鬱々とした感情に押しつぶされそうになる。

 いつもより、気持ちが落ち込むのはなぜだろう。――ただ彼が、居ないだけなのに。

 彼が、そんな薄情なヒトではない事を私は理解しているはずなのに、……嫌な想像ばかりしてしまう。

 もしかすると、さっき見かけた、あの踊り場へと向かう彼女のせいでしょうか。

 昼休みに入って数分後、たまたま見かけた、北校舎へと続く渡り廊下。――その時隣に居た彼が、朝聞いた、例のお弁当の君だということは一目でわかりました。

 あれが、その時のあの表情こそが、彼女の言っていた “ 恋する乙女の顔 ” というものでしょうね。

 昨日は私に向けられた言葉でしたが、残念ながら、あんなに可愛く笑えませんからね。ですが、本当に嬉しそうで楽しそうで幸せそうで。あぁ、本当に彼のことが大好きなんだなと、そういう気持ちが伝わってきて。

 きっと、あの快活なお日様のような彼女です。相手の事を好きだと気づいたその日から、猛アタックを仕掛けたのでしょうね。

 女は度胸。

 いつぞやの母の言葉を思い出します。

 そう、私に足りない度胸を持って、押して押して押しきって。あんなに見目麗しい少女ですから、そんな彼女の気持ちを嬉しく思わない殿方などはたしているのでしょうか。その勢いのまま、あっという間に彼の心をモノにしたことでしょう。

 対して私はというと、一年もの長い間、もじもじといじけたように片想い。きっとあの子なら、一ヶ月もかからないでしょうけど、私はやっぱり心が日陰者。腕を組み仲睦まじいその姿を羨ましく思い、そして、決して私と彼では出来やしない光景を目の当たりにして、ただただ、いいなと。指をくわえてみているばかり。

 せめて、彼が近くに居てくれれば、感想も変わっただろうに。

 もう肺の中の空気を全て出し尽くしたのでは無いだろうか。幾度目になるかわからない、そんな淡い吐息がこぼれます。

 まったく、もうお昼ですよ。どこでなにをやっているのやら。……寂しいですよ。


 「もー、いーじゃん。お腹減ったら勝手に来るって」


 そんな煮え切らない姿に、いよいよ友人達のお腹も限界のようで、待っていて貰ったようで申し訳ありません。お昼にしようよと、教室の中から私を呼ぶ声がします。

そうですね。と私もいよいよ観念します。

 今日は珍しく、例の踊り場は予約済み。いつものように、このお弁当を置いておくことが出来ず、それならば直接手渡そうと、彼の到着を待ちはしたけれど、どうやら上手くいきそうに無い。

 もしかするとあの彼にしては珍しいこともあるもので、今日は欠席なのかもしれません。昨日の帰り、あの校門で、少し顔が赤いような気もしましたし、もしかするとあのときの、私の勘が当たってしまったのかもしれませんね。

 でもそうなれば、お見舞いに行くべきではないでしょうか。プリンなんか持って、行った事も無い彼の自宅を探しながら、右往左往したりして。でも、流石にそれは、いよいよ図々しいかも。なんて、


 「はーやーくー! 」


 お腹と背中がくっついちゃうよー。

 そんな声に、後ろ髪を引かれながらも、私は窓から離れます。そろそろ皆の空きっ腹も限界のようで、来ない彼への恨み節をぐっと飲み込んで、教室へと足を向けます。

 でも、最後にもう一度だけ、彼へのお弁当を胸に抱き、視線だけを窓の外に向けた。――その時でした。


 ――見間違えるはずがありません。


 今まさに、あの大きな身体を揺らしながら、彼が冬眠明けの熊のように校門をくぐったのです。

 でも、彼はやっぱり私の思うとおりには動いてくれないもので。


 「あっ! 」


 と思わず出た声。そして、

 ダメ! ダメです! 今日はそっちに行ってはいけません!

 続けざまに、私が、マヌケな声を出すものだから、友人達がどうしたのと、近寄ってきまして。


 ――私は、駆け出しました。お弁当を片手に、はじめてです。廊下を全速力でした。


 だって、彼ったら困ったもので。

 校門をくぐるまでは良かったのです。ようやく来ましたかと、ほっとしたのもつかの間に、あろうことか、ぐるりと大きく方向を変え、例の踊り場のある北校舎へと、その歩を進めたのですから。

 きっと今、先生方に見つかれば、大目玉を食らうでしょうね。両親にも叱られることでしょう。まさか校舎内を、こんなスカート姿のままで、大股開いて全力疾走なのですから。

 でも、私は足を止める訳にはいきません。

 なんせ、約束したのです。今日の朝、一限目の休み時間に、彼女と。

 その少女の姿に、人混みが苦手なのは一目見てわかりました。それでも一緒にお弁当を食べたい人がいるからと、覚悟を決めて、勇気を振り絞ったその姿を、私は裏切ることが出来ません。

 だって私は、彼女がお弁当を作ってきた意味をわかってあげているつもりだから。

 いいですか、どこの誰に言って聞かせるわけではありませんが、お弁当は、大変なんですからね。献立から、完成まで、すごくすごく考えるんです。手の込んだモノなんか、失敗したりする事もざらにあります。夏はコンロの前に立つだけで汗が噴き出しますし、冬は、とても水が冷たいのだから。

 でも、それでも、お弁当を作るのです。だって、だって、大切な彼に、喜んで貰いたいから。そして、こんな私を、好きになってもらいたいから。

 彼が、私のことを好きだなんて、天地がひっくり返っても無いでしょう。それは理解しているつもりです。でも、たまに、勘違いしてしまいそうになるんです。

 毎日、こんな私に笑顔で挨拶をしてくれて。

 毎日、ヘタクソなお弁当を、美味しいって食べてくれて。

 そして、当たり前のように、私と手を繋いで帰ってくれて。

 ふと、言葉を交わしたその時に、目が合ったその時に、手が触れたその時に、私は、特別を感じてしまって。彼も同じ気持ちなのかと勘違いしてしまいそうになるのです。

 だから、例え失恋しようとも、私は彼の気持ちが知りたいのです。想いを伝えたいのです。


 ……これもまた、私のワガママなのでしょうけど。


 渡り廊下を抜けた先、北校舎で彼を見つけ、その腕を捕まえたときは、――そんな長距離を駆けたわけでは無いですが、――もう息も切れ切れ、足は笑っていました。

 彼が目を白黒させて、狼狽したように見えたのは、突然私が抱きついたのだから無理もありません。

 彼としては、一体全体どうしたのかと混乱を来す場面だと思います。

 それなのに、私の口から出た言葉はひどくお門違いで、本当は、こんなことを言うべきでは無いだろうに、でも、どうにも言ってやらねば気が済まなくて。

 言えない事が多すぎて、伝えきれない自分がもどかしくて、意気地の無いことが腹立たしくて、そして、ここ数日の間に、色々と考えるところがありまして。だから、――たくさんの想いを込めたのだと思います。


 「アナタは何をやっているんですかっ」


 ――遅刻はダメです。


 ――毎日、しっかり授業には出るべきです。そして、


 私の気持ちに、どうか気づいて下さい。……もう、辛いです



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