第44話 僕は、本当にかっこ悪い男だな。




 僕は、震える手のひらで、ゆっくりと自分の頬を撫で、そして、時が止まったかのように動けなくなった。


 ……今、コイツは何をしたんだ。そして、僕は何をされてしまったんだ。


 僕の頭は、ただでさえ出来が悪いのに、さっきから続く彼女の行動に、もはや何が何やらわからない。


 ――おとといの昼も。


 ――昨日の夜も。


 ――そして、今さっきの頬の感触も。


 あまりにも唐突で、それでいて鮮烈な衝撃に、この茹だったような頭では、たぶん、今しばらくの間、正常な答えなんて出せやしないだろう。

 それに、半ばアイツに抱きしめられたような体勢のうえ、鼻が当たりそうな距離からは、本当に心臓を射貫かれそうなほど、キレイな瞳がただじっと、僕を、見つめていた。……こんな状況ではなおのこと、僕という人間は戸惑ってしまうばかりで。

 あぁ、とか、うぅ、とか。とっさに出るのは唸り声。

 そうはいっても仕方ないじゃないか。

 ぐるぐると回る頭の中は、喜怒哀楽がごちゃ混ぜになったお祭り騒ぎ、ハッキリとしているのは頬のあの感触だけ。

 あぁ、この幼馴染みは、なんだってこうも僕を困らせるんだろう。悩ませるんだろう。

 だって、目の前のコイツが、涙を溜めた瞳で、鼻水をすすりながらも僕を見るんだ。顔なんてもうお日様のように真っ赤で、口を “ への字 ” に結んで。

 やめてくれ、やめてくれよ。

 せっかく決着をつけようと、これまでの間違った関係を清算しようと、泣くのを堪えて頑張ったのに。僕は――また僕は、情けない勘違いをしてしまうじゃないか。


 ……最愛の幼馴染みから好かれているのだと、そんなことはないはずなのに。


 だから、――人気のない、特別棟の最上階。日当たりの良い、階段の踊り場で、優しく吹く風を全身に受けながら、――僕は聞いたんだ。

 気が動転していたから、支離滅裂で、彼女にちゃんと伝わったのかはわからない。でも、声を詰まらせながらも尋ねたんだ。もう苦しみたくないから、必死になって真意を探ったんだ。

 もう次なんて無いからさ。これから、ただの幼馴染みになるために、そして、10年以上もの長い間、僕が勘違いし続けた二人の関係性を、今ここではっきりとさせるために。


 ……でも。


 「なんのつもりって! なんのつもりって……」


 やっぱり僕は、彼女に対して無様な勘違いをしてしまうのだから、こればかりはどうしようもない。

 だって、彼女は本当に、一生懸命答えてくれたんだ。

 それは、自室でふと、お互いの視線が重なったときの顔に似ていて。

 それは、バレンタインの時、僕にチョコレートを渡すときの声色に似ていて。

 それは先日、僕を抱きしめてくれたとき、彼女から伝わってきた胸の高鳴りに似ていて。


 「ど、どうもこうも、……そういうことでしょ! ……ばかっ!! 」


 アイツは、不器用に、でも、頑張って、どもりながらも自分の気持ちを伝えてきたんだ。明確な言葉は無かったけれど、その表情にウソはなくて。その声に、ごまかしはなくて。そして、その姿が、本当に愛おしくって、


 ――僕は。


 ――だから僕は。


 ――ようやく、僕は。


 「……そうか」


 「そうよっ! 」


 彼女の勝ち気な声を聞きながら、もう一度、奥歯をかみしめた。

 同時に、……全身の力が、ふと、抜けたように感じた。へなへなと、まるで空気の抜けた風船みたいだ。

 アイツに抱きしめて貰っていなかったら、糸の切れた操り人形みたいになっていたかもしれない。

 そこで、理解した。結局の所、僕も今、なんてことは無い。アイツと一緒で、今日という日に挑むにあたって、ガチガチに緊張していたのだ。

 それが今、するりとほどけたのだ。

 ずっと、好きだった幼馴染みから、ずっと、大切にしていた気持ちを受け止めて貰って、ずっと、ずっと、――ずっと、願っていた結果に行き着いて。

 僕ってヤツは、もう本当にダメでダメでどうしようもない。――本当に、格好悪いな。


 「……お前は、いっつもそうだ」


 嬉しくて、嬉しくて、もう気が狂いそうなほど嬉しくて。跳び上がって喜びたいくせに、出た言葉はこんな感じで。


 「肝心なところは言わないくせに、」


 どの口が言っているんだと、過去の自分を振り返りながら後悔のしっぱなしだ。今まで、僕の口から出ていたアイツへの言葉も、なんら大差は無いのだから。


 「わかるわけないだろう」


 この台詞なんか、アイツも目の前の鈍い幼馴染みに言ってやりたい言葉だったろうに。

 遠回りで、臆病者で、言葉が足りなくて。勝手に失敗して、落ち込んで、誤解して。


 「僕は、お前と違ってバカなんだから」


 態度で示すなんて、賢いヤツにしか通用しない。僕みたいなヤツには特に、言葉にしてくれないと、わからない。――なんて、自分の事は棚に上げるんだから、たちが悪い。始末に負えないよな。

 誰だって、そうなんだよ。十年以上の付き合いがあっても、言わなきゃダメなんだ。言葉にしなきゃダメなんだ。賢いからとか、バカだからとか、そんな簡単な言葉で、言い訳しちゃダメなんだ。

 心から溢れた言葉は、もう止めようがなくて。口から次々とこぼれていく。


 「……好きだ」


 「うん」


 「……大好きだ」


 「うん」


 「でも、こんなかっこ悪い僕なんかじゃ……」


 「……そんなことない」


 「お前は、美人で、可愛くて、頭も良いから、僕なんか隣にいても」


 「そんなことない! そんなことないもん!!」


 過去何度も、今思い出してみれば思い当たる節がいくつもある。

 アイツの悔しそうな顔。悲しそうな顔。怒った顔。彼女もきっと、僕なんかに負けないくらい頑張ったんだろうな。


 ――僕ってヤツは、本当にどうしようもない男だ。


 「アタシもさ! こ、こんなだから、……ゴメン」


 結局、この場では、お互いに明確な言葉では表せてはいないけれど、


 「でも、でもさ、捕まえたよね! 今アタシ、アンタの事、ちゃんと捕まえたよね! 」


 しっかりと、僕をその両腕で抱きしめて、もう離さないからと、絶対絶対、離さないからと、彼女が言ってくれるから、僕はもう――無理そうだ。

 だから、きっとこの言葉で精一杯。これ以上はもう、しゃべれない。


 「……僕は、これからもずっと、」


 絞り出した声は、ちゃんとアイツに届いただろうか。いや、届いてないと困るな。

 だって、


 「……おまえの事を、好きでいていいんだな」


 もう一回言って、なんてせがまれても、今すぐに言葉にするのは難しそうだから。

 なんて、まったく、相変わらず僕ってヤツは心配性で、勘違い野郎で、ネガティブな男だ。

 だって、そんなの今更何を心配することがあろうか。

 アイツはこんなにも近くに居るだろう。

 こんなにも、強く抱きしめてくれているだろう。そして、


 ……ほんの少しの空白の後、もう一度、柔らかな感触を僕は頬に感じ、アイツが、


 「ずっと! 」


 一度言い淀んだ後、


 「……ず~っと、好きでいてよ」


 どこか照れくさそうに、 “ にひひ ” と、僕が一番好きな顔で微笑んでくれたのだから。


 ――ふいに、胸が詰まって……ゆっくりと顔を逸らしてしまう。心臓がわしづかみにされたかのように痛んでしかたがない。


 アイツには、たくさん言いたいこともあるし、力一杯抱きしめてもやりたい。でも、どうか今だけは僕を見ないで欲しい。

 そんな、僕に何かを感じたのか、アイツは鼻をすすり、涙声で、所々つっかかりながらも、言葉をくれた。


 「アタシ、ダメなヤツだよね。でも、でもね。キライなヤツと、アタシは手なんか繋がないもん。一緒に帰ったりしないもん」


 僕もそうさ。なんて、今の僕は言葉が出ない。


 「おはよーってあいさつも、またねってさよならも、笑顔で言えるのはアンタだからだもん。アンタだから、アタシは素直でいられるんだもん。アタシでいられるんだもん」


 ゆっくりと背後の壁に僕は背中を預けた。もう、こうでもしないと座ってさえいれないから。


 「あぁ、コイツしかいないなって思って欲しいから、嬉しいなって喜んで欲しいから、早起きしてお弁当だって作るの」


 僕の胸に、重さを感じる。きっと、アイツが頭を預けているのだろう。


 「それに、」


 その一言が、たぶん、ずっと、僕は聞きたかったんだと思う。


 「本当に好きな人にしか、アタシ、……アンタにしか、こんな話しないもん」


 もう、無理だった。


 ――ずっと怖かった。あの噂を聞いてから、ずっと怖かった。


 彼女が、僕とは違う、別の誰かに取られるのがイヤだった。本当に苦痛だった。

 アイツが笑う度に、ふと思い出すんだ。アイツを愛おしく感じたときに、胸が締め付けられるんだ。

 あぁ、やっぱり僕の勘違いだったのか。やっぱり、彼女の隣には僕なんかじゃ立てないのかって。

 もしかして、あの時ああすれば。あの時こう言えば。あの時、あの時、あの時……。

 そんな “ もしも ” が頭の中をかき回し、でも、僕は臆病者だから、彼女に聞いて確かめるなんて出来なくて。ずっと、胸の中でイヤなモノがグチャグチャとうごめいていて。

 がむしゃらだった必死の告白も、結局自分の事しか考えて無くて、後悔して、答えを聞けなくて。

 そんな自分がイヤだった。

 この関係が壊れるくらいなら、それに、アイツが幸せならそれでいいじゃないか。そう言い訳して、何もしないうちに諦めて、そして、失敗したからとふてくされて。そんな自分自身が、たまらなく惨めで、心底キライだった。

 情けない。

 本当に情けない。

 だから、僕は、せめてカッコだけはつけようと踏ん張ったんだ。頑張ったんだ。ダサくて、冴えない、微妙な僕だけど、せめて、コイツの前ではかっこ悪いところを見せたくなかったから、ずっと、ずっと、堪えていたのに。


 「だからね、」


 ――こんな、階段の踊り場で、僕は本当に情けない男だ。


 「だから、」


 あろうことか、ずっとずっと好きだった、本当に好きで好きでたまらない幼馴染の前で、


 「お願いだから、泣かないで……」


 僕は涙を見せてしまったのだから。


 ……本当に、これっきりにしよう。


 アイツの目の前で、両の手のひらで目元を覆い、情けなく嗚咽を堪えて泣くのは、本当に今日が最後だと、僕は、溢れて止まらない涙に、そう誓った。


 涙は、もうしばらくの間、止まりそうになかった。



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