第37話 僕は、彼女の前で、仕方ないなと頭を掻いた。




 四限目の終わりを告げる鐘が鳴り、皆が思い思いの相手と顔を突き合わせながら、机の上に色とりどりの弁当を広げていく。

 僕もいつものメンバーが『さっきの授業、ノートとれたかよ? 』とか、『毎回消すの早ぇんだよな』なんて、悪態着きながら、呼んでもいないのに寄ってきたもんで、仕方ないなと苦笑い。今朝、母親に持たされた自分専用の弁当袋を取り出した。

 淡いピンクの外装が少し少女趣味な所が玉にキズだけど、せっかく朝早くから母親の作ってくれた弁当だ。特段文句はない。

 それに僕の性格上、購買や学食で昼にありつくというのもあまり良しとはしない。

 教室の半数が購買か学食を利用しているらしいから、値段や味は及第点なのだろうけど、どちらの場所も人が多く、人混みの苦手な僕にとって得意な場所ではないのだ。

 いつも一緒に昼飯を食べる奴らも揃いも揃って弁当派。おのおの理由は違えども、バカみたいな内容で笑い、ゲームや漫画、昨日見たバラエティ番組なんかで盛り上がる、そんな不思議と気が合う、学校生活でも1、2を争う楽しい時間。僕は、口に出しては言わないけれど、結構この時間を気に入っていた。

 でも、


 「――ごめん。今日は席外す」


 そう言って、僕は立ち上がる。

 そっと軽く目配せをすると、視線に気がついたアイツは、少しだけ表情を変えた。

 いつものメンバーは、どうしたよ? なんて、心配してくれているみたいだけど、今回ばかりは口が裂けても説明できそうにない。

 だって、僕の大好きな幼馴染がこっちを見ている。ただそれだけが理由なのだから。

 周りを囲む、アイツの友人達も困っているように見える。教室では物静かなヤツだ。静かに本を読むか、聞き役に徹し、ニコニコと人の話に相づちを打つか。大体はこの二択。

 そんな彼女が、何か言いたげな顔でだんまりと、ただ一点を見ているのだ。

 しかも、ただ見ているわけじゃない。自分の席に座ったまま、ただただ、まっすぐに僕の顔を見つめているわけで。

 まったく、あの泣きそうな顔はなんだよ。アヒル口にして、変に拗ねたような、眉をハの字にしたままのあの表情。僕は知っている。あれは、何かお願い事のあるときの顔で、しかもそれは僕にしか頼めない時に、良く見せるやつ。

 あぁ、仕方ない。溜息をつきながらも、僕は遅れて鞄から水筒を取り出す。まったく、アイツは全部わかってやっているのじゃないかと思う時がある。

 僕が、彼女のあの表情に、めっぽう弱いということが、まさかバレているのだろうか。

 そして、アイツが膝の上にのせて、お腹に抱きかかえるようにした大きめのランチバックも、僕が腰を上げるのには充分な理由で。

 仲間内の一人が、僕の視線の先に目を向けて、『なるほど』と呟いた。そして、呆れたように鼻で笑う。

 残りの奴らも、順に合点がいったような顔になると、


 「お姫様が呼んでるってわけか。いいじゃん」


 「俺は別にうらやましくないぞ」


 「う~わダサっ。めっちゃ悔しそうな顔してんぞ? 」


 「うるせっ! 」


 なぜか、そのうちの一人が、拗ねたように背中を押してくるもんだから、僕は弁当の袋を手に、その場を後にした。


 ……僕は、照れ隠しかな。きっと、照れ隠しだろうな。


 「――ブスな顔してるぞ」


 彼女の前で、軽く自分の頭を掻きながら、心にもない一言をぽつり。


 「……どうせ、可愛くないわよ」


 彼女も、そんな僕の言葉にムスリとふてくされたような顔を見せたが、目の奥に、どこか安心の色が見えたように思う。

 多分、お昼時に話しかけたのは、高校に入って初めてだと思う。彼女も教室では日に二、三度ほどしか話しかけてこないから、――皆が皆、振り返る憧れの美少女と、これといった魅力もない、冴えない男である。――そんな二人が、お昼時に弁当片手に話しているのだ。よっぽどこの光景は希少なのだろう。

 いつだったか、『彼女は日に数回、素を見せるときがある』という噂を聞いたことがある。

 何でも、その時の彼女が、最高に綺麗で可愛いらしい。僕としては、それがいつなのかわからないけれど、どうやら皆、その瞬間を見ようと心待ちにしているらしい。

 でもそれは、冴えない僕と対峙した、今のタイミングでは決してないだろうに。

 まるで、クラス中が聞き耳を立てるかのような、そんな妙に静かになった教室に、居心地の悪さを感じてしまう。

 だけど、それでも僕は、彼女のこの表情を見てしまったのだから、ここに立つほかない。例え、好奇の目にさらされようとも話かけるしかないのだ。

 それに、彼女の用件は察しがつく。僕は鈍いヤツだとよく言われるけれど、目の前の少女に関してなら、おおよそのことは理解できるつもりでいるのだから。

 僕は自前の弁当一式を彼女の机に置くと、出来るだけ小声で、訊いた。


 「……放課後のことだろ」


 僕がひとりで勝手に苦しんだ、例の告白に付き合ってくれという話。

 一限目の休み時間、ふと、コイツの姿が見えないなと見回したが、始業チャイムのギリギリに教室へと滑り込んできた。その際、こちらに向けてどこか満足げなやりきった顔を、控えめなピースと共に見せてきたもんだから、僕は、あぁなるほどと合点がいった。

 たぶん、想い人に約束を取り付けてきたのだろう。もしくは、下駄箱に手紙みたいなお決まりの手法かもしれない。何らかの方法で、放課後に呼び出す算段をつけてきたのか。

 そして、さっきの休み時間も突っ伏したまま、授業開始のその時まで動かないもんだから、放課後のためにどう行動するのか頭の中で熱心にシミュレートしていたのかもしれない。


 ……握りつぶされるかのように、胸が締め付けられた。


 だけど、ちゃんと自分の中で整理して、傷だらけになりながらも飲み込んだんだ。今更ジタバタなんかするもんか。

 そんな僕の問いかけに、とうの彼女は耳まで真っ赤に染めるもんだから、ほら見ろ。正解のようだ。

 口をわなわなと震わせて、続けざま、何か言いたげに睨みつけてきたけど、震える口からは言葉が出てこないようで。

 きっとコイツの事だ。本当は色々聞いて欲しい話があるだろうに、恥ずかしさもあるんだろうさ、モジモジと躊躇して、ずるずると時間ばかりが過ぎていって、結局、今日というこんなギリギリになるまで切り出せなかったのだろう。

 僕なんか、一言コイツから聞いて欲しい事があると言われれば、二つ返事で話のひとつやふたつ、お前の気の済むまで聞いてやるのに。

 不器用というかヘタクソというか。今日こそは話を聞いて貰おうと、早起きして弁当まで作ってきたんだろう。

 僕にそんなことしても全く自分に利はないだろうにさ。逆に、変な噂が立って、意中の相手と気まずくならないだろうか。

 コイツがフラれる姿なんて、僕にはまったく微塵も想像できないけれど、万が一ということもある。


 『あの仲の良い男子はどういう関係なの? 』


 もっともな質問で、かつ、告白するそんな日に、他の男子と並んで弁当なんざ食べていれば、誰しもが尋ねたくなるだろう。


 『アイツは、ただの幼馴染みよ』


 と、はたしてこいつは簡潔に応えることが出来るだろうか。……無理だろうな。ただでさえ上がり症な彼女である。意中の相手を前にして、ぐだぐだで支離滅裂な事をいってしまって、相手を困惑させてしまいかねない。

 だというのに。

 コイツは、色々打算的な理由はあるのだろうけど、わざわざ僕とお昼を共にするために、弁当を作ってきたのだ。そんなの、こちらとしては、断る理由なんて万にひとつもない。

 僕は、今だアヒル口のまま睨みつけてくる彼女へと、貸せ、といわんばかりに手を差し出す。


 「まぁ、なんだ。昼休みは長いようで短いからさ。……そういう事だ」


 「……どういうことよ」


 なんて言いながらも、彼女は僕にランチバッグを差し出してきて。

 しかも、もう我慢できないといわんばかりに、アイツの顔からはハニカミがにじみ出していた。一応、我慢しようと頑張っているのは見て取れるけど、あぁくそ。彼女の瞳が、キラキラと輝きを増して、次の僕の台詞を今か今かと待ち望んでいる。

 まったく。こういう所が、コイツの卑怯なところだと思う。惚れた弱みだと言われれば、それまでで、こちらとしては唸りながらも仕方ないなと観念するしかないのも頭の痛いところ。

 だから、一段と静まりかえる教室内で、僕は、どこか負けたような気分で、この言葉を吐くしかなかった。

 誰かの息を呑む声が聞こえてくる、そんな緊張感のある空気を意識しないように、溜息交じりだけど、あの目映い表情をしたアイツに向けて、


 「昼ご飯、たまにはふたりで食べないか」


 いつもならこんな公衆の面前で、とんだ赤っ恥だ。なんて、苦虫のひとつでも噛み潰すだろうけど。

 こんな台詞を言えるのも今日で最後だろうから、僕は不思議とイヤだなとは感じなかった。


 ――うん! と、元気な声がクラスに溶けていく。


 彼女が、大輪の花束にも負けない笑みをこぼし、身体をぶつけるように、僕の腕を抱いてきた。

 しっかりと、彼女の手には僕の弁当箱と水筒が握られていて、準備万端といったところか。

 僕の視線のすぐ下で、彼女のまつげが揺れる。なぜか少し潤んで見えたのは気のせいだろうか。


 「アタシね、良い場所知ってるの」


 そう言って、嬉しそうに彼女は僕の腕を引っ張っていく。

 その間、僕は終始苦笑い。

 だって、これが今日の放課後に、別の誰かへと告白する少女かと思うと、つくづく僕の幼馴染みは変わっているなと笑みがこぼれてしまう。

 でも、それでもだ。呆れてものも言えないけれど、ソコがまた可愛くて、愛おしく感じてしまうのだから困りもので。


 ――だからかな、とても嬉しくて、少し切なくて、ほんのちょっとだけ気が緩んだのかもしれない。こんな皆のいる教室で、あろうことか素の自分を出してしまったのは。


 「弁当の中身、ひとつだけ当ててやろうか? 」


 教室の出入り口で、普段自室でやっているかのように、僕は彼女のおでこに自分の額を軽くぶつける。


 「あら、おもしろいじゃない」


 ハズレたら罰ゲームねと、鼻のぶつかりそうな距離で、不適に笑う彼女に、僕は負けじと笑みをこぼした。

 だって、こんなのハズしようがない。別の意味で、彼女がそれをハズすわけがないのだ。

 僕が無残にフラれたことを、もし知ってる人がいたのなら、ソイツから、このうぬぼれ屋の勘違いヤロウめと鼻で笑われるだろう。だけど、それでもきっと、彼女は僕を喜ばせようとしてくれるだろう。大切な幼馴染みとして僕が一番好きなものを入れてくれるだろうと、期待してしまう。

 僕が、お弁当の中で一番好きなやつ。そんなもの、わざわざ好きって公言するのもどうかと思うけど、好きなのだから仕方ない。そんな、


 「……梅干しのおにぎり」


 が、入ってると嬉しいなぁ。

 一応保険をかけて、希望的観測だと匂わせておいたのだけど、彼女が照れたように笑うもんだから、その仕草がとても可愛くて、それでいて同じくらい辛い。しかも、


 「入ってたら嬉しい? 」


 なんて、いつものように、僕に向けてふわりと優しく微笑むんだ。そんなの、もはや答えを聞いたようなものだ。


 「うれしい」


 ポロリとこぼれた本音に、彼女が「やった」と、呟いて小さくガッツポーズ。僕は妙に照れくさくて、それでいて酷く胸が苦しくて。ただただ、顔を背けるしかなかった。


 ――それにしても、廊下に出て、少し行ったところで、突然、教室内が熱気に包まれるかのように盛り上がっていたのだけど、中でいったい何が起きているのだろうか。


 「……何か面白いことでもあったのかしら」


 そんな、僕の腕を抱いたまま歩く彼女の問いかけに、


 「さぁ」


 なんだろうな。

 すれ違う針のような男子生徒たちの視線を、ただ一身に受けながら、僕は、そう答えることしか出来なかった。


 廊下からの見慣れた景色は、不思議とほんの少し春めいて見えた。



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