第29話 僕は、怪文書に誘われ、そして彼女の決意を聞く。 ①




 そのメッセージが届いたのは、ちょうど母親からの頼まれごとで、タッパー片手に自宅の玄関を出た所だった。

 ぶるりと震えたスマートフォン。その画面にはアイツの妹の名前が表示されていて、ただ一言、『姉危篤、すぐに来て』とだけ。


 ……なんだそりゃ。


 どんな怪文書だよと訝しんだが、でもまぁ、あの姉妹の奇天烈っぷりは今に始まったことではない。もちろん姉の方は言わずもがなだが、どうしてあの妹もなかなかのファンタジスタ。

 今日の夕方もそうだった。

 プロポーズの真似事をした帰り道、――まず間違いなくヘソを曲げていたのだろう。一言もしゃべらずに、それでいて、どこか心ここにあらずといった風情のアイツを家にまで送り届け、僕は隣の自宅へと足を向けた。

 まぁ、先日あれだけアイツが激怒するきっかけとなった事を、僕がまた性懲りもなくやったのだからこの態度も当然か。それと同時に、突然訳のわからないタイミングでプロポーズまでされたんだ、その気のない相手な訳だし、きっと断りの台詞を探していたのだろう。

 もちろん求婚なんてされたことなんてないだろうし、すぐさま良い言い切り返しが思いつく物でもないからな。彼女のだんまりも、仕方ないと言えば仕方ないことか。僕としても、勢いとはいえ初めてのプロポーズ。『え、イヤ。迷惑。あとキモい』といった内容の、返す刀で切り伏せられるよりは幾分かはマシ。


 ……なんてさ。うじうじと、カッコ悪い言い訳しか出てこない自分が、ほとほと嫌になる。


 我ながら、相手の気持ちなんて考えてもいないクセに、自分は傷つきたくないなんて、つくづく己に都合の良いヤツだと思う。

 昨日の告白に続き、今日はプロポーズときてるからな。きっと、変に思われただろうな。手遅れだろうけど、やっぱり、もう少し落ち着いて考えて行動したほうが良かったかな。

 ここ数日、どうも勢いだけで突っ走り過ぎているなとは感じている。こなくそと、もはやヤケクソで捨て鉢な行動に走りすぎているきらいすらある。

 自分自身、もう少し石橋を叩いて渡るタイプだと思っていたんだけど、どうやらそうでは無かったようで。だけど、今の精神状態では、もはやそうでもしないとやってられないと言うのも正直なところな訳で。

 そんな、自宅まであと数歩の距離を、薄暗くなった風景に少しだけ肌寒さを感じながら歩いていると、――ふと道の先の方、見知った人物が、こっちに向かって大きく手を振りながら駆けてきた。

 中学校のセーラー服に、彼女によく似合うショートカット。すらりとしたスタイルのそんな見慣れた影が、そのまま、『どーん! 』


 ――突然ミサイルのように駆けてきたのは、僕の大好きなあの幼馴染み。そのふたつ下の妹だった。


 かけ声と共に僕の胸に飛び込むと、こちらの背中に手を回し、ぐりぐりといつものように頭を押しつけてきた。

 普段は飄々としたクールなイメージなのだが、僕と二人きりのとき限定で、この妹はこんな感じで甘えてくる。それがまるで本当の妹かのように錯覚させるもんだから、こちらとしても全力で甘やかしてしまう。

 『なんだ、今日は遅かったな』と、頭を撫でると、がばりと上げた顔を満点の笑みで飾り、『ただいまっ』発した声は元気印。


 『兄ちゃんこそ珍しいじゃん、お姉ちゃんは? 』


 何か嬉しいことでもあったのだろうか。キラキラと瞳を輝かせ、僕に身体全体を密着させてくる。


 『今家に入ったところだよ。お前も暗くなる前に早く帰りな』


 もういつ日が沈んでもおかしくない。兄(自称)としては、こんな時間までウロウロとほっつき回られるのは心配で仕方ない。

 近所では、奇跡の姉妹と言われるほど、見目麗しい二人であるからなおさらだ。

 まぁ、姉はともかく妹は、その呼び名に心底迷惑そうな顔をするのだが、褒められているのだから僕は良いと思うのだけど、彼女曰く、一緒くたにしないで欲しいとのこと。

 確かに、言わんとせんところはわかる。少しの差異はあれど、とてもよく似た姉妹である。僕はいわゆる腐れ縁というヤツで、言葉や仕草など無くても雰囲気でどちらか判断できるのだが、付き合いの浅い人たちからはよく間違えられる、それがどうもこの妹の癇に障るようで。

 その原因の発端というか、それこそ過去幾度となく目の当たりにしてきたのだけど、僕も、流石にこれは可哀想だと思うことがあった。

 つい先日のこと、お姉ちゃんには絶対内緒でと言うもんだから、アイツに黙って妹と二人、休日に街へと出かけたときだった。

 まぁ、中学生といえど、こいつも誰かさんと同じで、僕にとってはどこに出しても恥ずかしくない自慢の幼馴染みである。

 ある程度の背丈はあるし、少し勝ち気な瞳はどことなくミステリアス。大人びた雰囲気も相まって、年齢よりも上に見えるのだから仕方ないのかもしれないが、例に違わず、ビックリするほどモテるモテる。

 ナンパ、ナンパ、またナンパ。ナンパの整理券でも配っているのかと疑うほどに、映画館に雑貨屋、ゲームセンターにアパレルショップ。行くとこ行くとこ、まぁ、モテた。

 いつもは姉と一緒でラフな格好をしているくせに、二人きりの時は妙におめかししてくるんだもんな。妹いわく、兄ちゃんに恥を掻かさないように身なりを整えているとのこと。

 別に僕としては、変に気負わずともいつもどおりで充分だよと言うのだけど、この妹はまったくもって首を縦に振らないのだ。

 でもそのせいで、彼女の魅力はうなぎ登り。それこそ、道行く男達が放っておく訳がない。

 だが、そういった “ お誘い ” をあしらうのも、慣れているとはいえわりかし体力がいる訳で、全部を裁く頃には、もうヘトヘト。特にその中の一人、軽薄が服を着て歩いているような輩から呆れるほどにしつこいナンパを喰らったんだが、そいつがなかなかの猛者で、すがすがしいほどのクズだった。


 『なんだ、よく見たら貧相な妹の方かよ。まぁ、いいや、連絡先教えてよ。ついでに姉ちゃんの方のもさ』


 その言動に、正直、僕もカチンときた。

 この男、まさに人違いで声をかけてきたのだから、ただでさえ姉と同一視されるのを嫌う妹だ。それだけでも酷いというのに、彼女のある一部分をこれ見よがしに凝視して、可哀想にといった雰囲気を感じさせながら鼻で笑うのだから、輪をかけてあんまりだ。

 そういえばコイツ、先日、アイツを口説いてきたヤツじゃないか。その時もあまりのしつこさに辟易したのだが、今回の一件と相まって、またお前なのかといよいよ呆れて言葉が出ない。

 もし、例の幼馴染みならいよいよ我慢ならんと罵詈雑言を浴びせかけ、メチャクチャに暴れかねない場面だろうけど、でもこの手のヤツは経験上、冷静に対処するのがベター。

 なにやら目の座った妹が殺気を放っているようにも思え、これはいけないと、彼女と男の間に割り込むと、あとは手慣れたものだ。極めて簡潔に、かつ事務的に処理してやった。


 『んだよ、またテメェかよ。ったく、不細工なクセして相変わらずエラそうによぉ』


 最後の捨て台詞に少しだけ傷ついたけど、どうやら僕以上にその言葉が、妹の逆鱗をゴリゴリと力任せにヤスリで削ったようで、その日はしばらくご機嫌斜め。

 アイスをおごって、アクセを買ってあげて、少しは気が晴れたみたいだったけど、それでも終始ブータレ顔。

 結局、帰りのその時まで僕の腕を抱いたまま、ブツブツと、兄ちゃんが馬鹿にされた。許せない。ナンパ野郎は末代まで全部死ね。お姉ちゃんと比べるヤツは一族郎党絶滅しろなんて物騒なことを言うもんだから、フォローのひとつでも入れといてやろうかと思ったわけで。

 これが、ちょっとした老婆心というやつだろうか。隣を歩く、その頭を優しく撫でながら、


 『二人とも可愛いし、美人だからな。両方とみんな仲良くなりたいんだよ』


 それにさ、もし困った時は僕に言え。いつでも守ってやるから。なんて、確か、そんな類いの事を言った気がする。

 もしかすると、その時の僕の言動がきっかけだったのかも知れない。

 なんせ、その後アイツが展開したそれから先の一連の返しが、非常にちんぷんかんぷん謎めいていて、今思い返してもいやはや不思議なのである。


 『アタシ、可愛い? ホントに美人? 』


 ふと、僕の前にくるりと回り立ち塞がると、アイツは背中側で手を組んで、上目遣いに疑うような素振りを見せたのだ。

 僕は、間髪入れずに大きく頷いて肯定する。あぁ。お前は美人だし可愛い。僕が保証するよ。もう一度、妹の頭を優しく撫でながら、僕はニカッと笑って見せた。

 一瞬、キョトンとした顔を見せた妹だが、おもむろに、前方から僕の首に両腕を回して、『ホントかなぁ』お互いに見つめるような体制で、にやり。形の良い瞳の奥がギラリと、確かに悪い顔で微笑んだんだ。


 『アタシ、二号さんはイヤなんだけど? 』


 ……2号?


 まさに、その言葉がどうにも上手く理解できなくて。

 はてさて、2号とは何だ?

 唐突に何を言うかと思ったら、……ふと、特徴的なベルトに赤いマフラーの某特撮ヒーローの姿が僕の脳裏をよぎる。


 ……あぁ、はいはい。なるほど2号か。


 今となってはそれで合っているかどうか疑問なのだけど、あの二人、姿形は似ているもんな。その時は、確かにそうだと膝を叩いたわけで。

 知らないヤツが見れば、あの1号と2号だ。どちらがどちらなんて判断に困るだろう。要するに、当事者以外は、正義の味方に助けて貰えれば1号だとか2号だとか、どちらでもかまわない。そして、彼女たちの場合は、見てくれが一緒なら姉妹どちらと仲良くなってもかまわない。みんなはそう思っている。兄ちゃんが言ったさっきの台詞は、そう言うことなんでしょうと、僕を――試しているのか。

 だけど、なめて貰っては困るな。


 『僕は、お前を2号だなんて思ったことはないんだけど』


 お前がこんな小さな時から知っているんだと、そして、姉のほうと間違えることはあり得ないと、たくさんの意味を込めて僕は自信満々に答えてやった。


 『あれ? もしかして、アタシが一号でも良いの? 』


 『お前が1号だって言うんなら、そうだろう』


 なんならあの姉の方をアマゾンと呼んでやってもいい。呼んだ側から喰い気味にひっぱたかれるかもしれないけれど、僕は、お前たち姉妹を一度も一緒くたに扱ったことは無いのだから。

 妹は、目と鼻の先で、ひどく怪訝な顔をしてみせると、何やら合点がいったかのように鼻を鳴らした。


 『もう、そんなわけないじゃんか。ウソつき兄ちゃんめ』


 にひひと笑った顔は、確かに姉を連想させる。でもやっぱり、彼女とは違う。また別の可愛いさがある。

 そして、僕の首から腕をはなし、『わかってくれない男だなぁ』と今度はその長く白い人差し指をこちらの唇にそっと触れさせた。


 『一号の席が空いたらすぐに教えてってこと』


 だから、1号とか2号とか、そんなふうに見てないって言うのに、そっちこそわかっていないじゃないか。

 どことなく年齢に見合わない、分不相応というべき妖艶な笑みを浮かべると、何やら唐突にご機嫌となった妹に頭をかしげながら、僕たちは帰路についた。

 たまに、姉妹共々こういう奇行を繰り出すことがある。そして、こういう奇天烈な行動をとった後、不思議と僕にとって良くないことが起こるのも、定説と化していて。

 その時も御多分に漏れず、――帰り着いた先、隣の家の玄関を開けると、そこには見知ったあの子が仁王立ちで待ち構えていた。

 どうやら彼女をハブって遊びに行った事が、どこかからバレたらしい。絶命するかのように、息を止めた僕を、


 『あら、遅かったじゃない』


 もはや絶対零度ともいえる冷え切った声が、襲ったのだから。

 あの時は本当に大変だった。妹もなぜかこれ見よがしに僕の腕を抱き直し、アイツと張り合うもんだから、もうメチャクチャで。


 『あぁやだやだ、兄ちゃんとデートしただけじゃん』


 『は? はぁっ!? デート!? へぇ、そう!! デートしたんだぁ!? 』


 『あのさぁ、お姉ちゃんには関係なくない? 彼女でもないクセにさ、ウザっ』


 『……あんた、もしかしてケンカ売ってんの? 』


 『だとしたら、……なによ? 』


 『いやいや、まてまてまて! 僕を挟んで殺気立つんじゃない。そもそもデートってなんだよ。ただ、飯喰って、映画見て、買い物して、遊んだだけ――』


 『デートじゃんっ!!! 』


 だから、今日の夕方のように薄暗い道ばたで、僕に抱きついてくるのもそうだし、今、妙な文面のメッセージを送ってくるのも、経験上、何かが起こる前触れとしか思えない。

 玄関灯に照らされた大きく濃い自分の影を見つめながら、僕は綺麗に洗われたタッパー片手に、いやはやどうしたものかと、ひとり立ち尽くした。



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