第16話 アタシとコッペパンと美女と野獣と ③
――こういうときに、人間は神や仏の存在を信じるのかもしれない。
ふと現れた目の前の彼女から、大袈裟では無く、後光が差して見えたんだから、アタシがどんだけ危機的な状況だったかなんて、語るまでも無いわよね。
とんでもなく不敬だけど、差し出された水筒を、なかば奪うように受け取ると、ぐいぐいお茶を流し込み、涙目になりながらも無事生還である。九死に一生を得たというやつか。……あぁ、またもや誰にも言えない秘密が増えてしまった。
「あ、あり、ありがとうございます」
「いえいえ、大事にならずなによりです」
ようやくコッペパンが食道を通り過ぎ、ほっと一安心。なんとか落ち着きを取り戻し、心配そうな面持ちの女生徒に、おずおずと水筒を差し出しながら、ここでやっとアタシはロボットのように頭を下げた。
初対面の人とは上手く話せない。聞き苦しい形でどもってしまうのだけど、人としてお礼だけはするべきだと思う。
だって、お茶を恵んでくれたばかりか、素早く隣へ座り、落ち着くまでアタシの背中をさすってくれたんだもん、その慈悲深さに、お礼なんていくら言っても足らないくらい。
はっ、と気がついて、お尻に轢いたクッションを差し出した。
「……す、すみません」
アタシはなんという厚かましい女だろうか。助けてくれた恩人は直接床に座っているというのに、自分はふかふかクッションに尻を乗せているのだから、とんだ恥知らずだ。
「ふふ、構いませんよ」
そして、そのままお使いくださいと辞退された。アイツにも、『お前の尻はヒーターが内蔵されてんのか』って馬鹿にされる位だから、他人の温めたホカホカのクッションは苦手なのかもしれない。
それにしても。
きっと無意識だろうけど、アタシはまじまじと、そして惚れ惚れと、彼女を眺めてしまう。
なんと表現して良いものか。とにもかくにも、そこに居るのはキレイな人だった。
制服のリボンは二年生のモノで、アタシと一つしか変わらないだろうに、こんな場面なのにね、まぁそれはもう美人で見とれちゃうの。
まるでそうであることがさも当然のように、顔の作りが優秀で秀逸。かけているのは大きめの眼鏡なんだけどね、――知的な瞳に、スッと通った鼻筋。――それでも隠せないほどに美しくって。
さらには、そのスタイルの良さよ。
アタシも女子の中では背の高い方だけど、彼女はそうねそれ以上。たぶん175くらいはあるんじゃないかしら。自分以上の長身に、それでいて顔なんてこんなに小っちゃいの。すらりと細く伸びた手足も眩しくて、もうあれね。いわゆるモデル体型というヤツだ。
肌も白磁のように色白で、それでいて髪型もただ無造作にポニーにしてるわけではない。低めに結った毛先を少しだけ巻いて動きがつけてあるし、ふぇー、似合ってるわねぇ……可愛い。完璧よね。うん、パーフェクト。
もちろん本人の努力もあるだろうけど、それであっても素材の優秀さは美の必須条件である。恥ずかしながらアタシも同じ女の子の端くれだもん、日頃色々と努力はしているけれど、こんな完成された美を見せつけられたら、うらやましくて仕方ない。
いやはや、前世でどれほどの徳を積めば、こんな造形美を生まれ持つことが出来るのかしら。キレイ系の美人って、遠い存在ではなく、意外と身近に存在するのねと感嘆してしまう。
「私の顔に何か? 」
ヨゴレでも付いていますか? 受け取った水筒の蓋を閉め、先輩は自分の頬に手を当てる。
いえいえ、滅相もございません。そんなキレイなお顔に何がついていましょうか。強いて言うならアナタには、美の女神が憑いているようです。
なんて、じっと見惚れていたのが気に障ったのかもと、そんなつもりじゃなかったんです。貴方が美しすぎるのがいけないんです。オロオロと身振り手振りで伝えようと努力していると、先輩は眼鏡越しに目を細め、優しく微笑んでくれた。
「ふふ。可愛い一年生ね」
その笑顔も10000ボルト。よりいっそう見惚れてしまう。
こんな笑顔を間近で見ては、もしアタシが男子なら一発で恋に落ちるわね。
それに話し方や所作に気品があるのも個人的にポイントが高い。住む世界が違う異性に憧れるのは、恋愛漫画の大道だもん。きっと、アタシみたいな貧乏一家の長女ではなく、由緒正しい家柄の娘さんなのだろう。そんな身分違いの出会いなんて聞くだけでときめいちゃうわ。
と。そこで、一つ疑問がわいた。
そんな気品のある彼女が、なぜこんな所にいるのだろうか、と。
だって、こんなにも見目麗しい少女が、あんな熊みたいな不良が闊歩するようなこんな場所に来る理由なんて、それこそまったく見当たらないんだもの。アタシみたいなおマヌケさんだっていうなら少しは納得できるけど、目の前の彼女からはそんな御転婆は感じない。
なんて、些細な引っかかりに首をかしげたが、その理由はすぐにわかった。
さっきまでパンを喉に詰まらせていたもんだから気がつかなかったのだけど、先輩の手には、美化委員と書かれたバケツとその中には掃除道具が一式入っていたのだ。
あぁ。なるほど。
納得してしまう。こういう普段サボりがちな所をわざわざ時間を作って掃除して回る。きっと、それが美化委員の活動なのだろう。美人でスタイルも良くて、それでいて周りのために行動が出来るなんて、同じ在校生として頭が下がる。
たしか彼も同じ委員会だったはずだけど、はたしてアイツはこれほどまでに真摯に取り組んでいるのだろうか。先輩が手慣れた様子で拭き掃除を始めるもんだから、もちろん手伝いますよと、アタシは上着を脱いで腕まくり。
「けっこうですよ、汚れますから」
私は好きでやっていますので。なんて先輩が言うもんだから、アタシはなんて出来た上級生なのかと感動してしまう。だって、パンを喉に詰まらせた見ず知らずのおバカの窮地を救ってくれたばかりか、こんな誰も見ていないところで、慈悲深い活動を行っているのだ。
ますますアタシが男子だったら危なかったわ。間違いなく告白して、当然玉砕して、でもそれでも諦めきれなくてストーキングしてしまうほどに恋焦がれたでしょうね。
と、そんな馬鹿なことを考えている最中、そういえばとアタシは踊り場の隅に置いてある例のブツを思い出した。あの不良が置いていったあの巾着袋である。
いちおう知らせておいた方が良いでしょうね。もし知らずにあの巾着袋を先輩が片付けちゃって、万が一にもあの不良が難クセつけてきたら可哀想だ。
だって先輩はこんなに美人なんだもん、どんなイチャモンつけられるかわかったものじゃないわ。もしかするとそれが狙いであの不良熊も、ここに置いていったのかもしれないし。だから、
「あの巾着袋には触らない方が良いですよ」
アタシは言ったの。当然、先輩は不思議そうに聞き返してきた。
「あら。どうして? 」
やっぱり、というか、先輩があの巾着袋の怖さをわかっているはずもないか。
「恐くてデカい熊みたいな二年生が置いていったんです」
絶対に触んなよ。ってな感じで。
アタシはできるだけわかりやすく、あの不良の立ち振る舞いをまねて、背格好などの情報を先輩に伝えた。
すると、先輩は口元に手を当てて、おかしそうに笑い始めるもんだから、アタシは首をかしげてしまう。
「その人、クッション持って行ったでしょう」
「え? 」
「それなら今頃校舎裏でお昼寝中かしら。きっとアナタみたいな美人に寝床を奪われたものだから何も言えなかったのね。それと、」
照れ隠しにガハハって笑わなかった? なんて、笑いかたを真似するもんだから、それが妙に可愛くてそれでいて先輩のキャラに合ってなくて、ついにアタシは吹き出してしまった。
つられるように先輩も吹き出して、ほんと、美人の笑う姿はとても魅力的ね。
「怖かったでしょ? 彼」
「はい。泣きそうになりました」
危うく助けを呼ぶところで。まぁ特に何かされたわけではないけれど。
苦笑いで頬をかくアタシに、先輩は少しだけ何かを考えるそぶりを見せ、ここだけの話ですけど、なんて掃除用具を置くとアタシの隣へ座り直し、――耳元で囁いた。
微かに香る石鹸の匂いに、同性ながらドキリと心臓が跳ねる。
「……彼に初めて会ったとき、私は気絶しそうでした」
こういうのをウマが合うというのだろうか。美人な先輩と、その他大勢のアタシ。立ち振る舞いから伝わる育ちの良さまで正反対。だけど、アタシはとても親近感を覚えた。
「その時もね、最後にガハハって笑ったの」
何度見ても面白い。先輩みたいな人が大口を開けて真似するのだから。またもや吹き出したアタシに、彼女も嬉しそうに笑みをこぼした。
ひとしきり二人で笑い合うと、楽しい時間は経つのが早いものね。昼休みが残り少ないことを告げる予鈴が鳴り響いた。……名残惜しいけどそろそろ解散する時間みたい。
先輩も、どこか残念そうな顔を見せてくれて、――「それでは」当たり前のように巾着袋を拾い上げた。
だから、
「それは触らないほうが……」
その光景に、アタシは、あ。っと思わず声をあげてしまう。
だって、それは例の不良熊の物だから。
でも、先輩は一瞬何か言おうとして、少し口をとがらせると、仕切り直すように伏し目がちにつぶやいたの。
「いいんです。だってこれ、」
――私の私物ですから。
もうそこで、アタシはピンと来たわけ。何かを隠すような、ごまかすような先輩の仕草で、あぁ、はいはい。なるほどってな感じね。
ビキリと、こめかみに青筋が走ったのがわかる。
どうりで、まるっきり住む世界の違う二人だろうにさ、妙にあの上級生について詳しいなって思っていたのだ。アタシの中にあった違和感の元、その点と点が音を立てて繋がった。同時に、心底、腹が立った。
先輩、まさか。
「――脅されてるんですか? 」
「ど、どうしてそうなるの? 」
時すでに遅しか。あの男、許せない。あの巾着袋の中身が何かはわからないのだけど、とにかく彼女の私物をあの不良がまるで自分の物かのように持ち歩いているなんて、おかしいじゃない。
まさにふたりは美女と野獣。あれは物語だからあそこまで美しく描かれているけれど、実際は、普通に生活をしていく上で、そんな二人に接点なんてあるわけが無い。
あの巾着袋も、そうね。もしかすると、何か高価な物が入っていて、それが周りにバレないようあの袋でカモフラージュした上で、泣く泣く脅し取られているのかも。
あの様子だと、巾着袋を使っての受け渡しは今日がはじめてじゃなさそうね。となると、とっくの昔に例の不良からなにかしらの弱みを握られているのだろう。きっと先輩も諦めてしまっているのね。高校を卒業するまでの辛抱だと、今だけ耐えればなんて考えているのかも知れない。
でも、甘いです先輩。あの手の不良は、いつまでもつきまといますよ。特に先輩みたいな美人をみすみす逃すわけがない。骨の髄までしゃぶられます。
昨日の晩に、たまたま見たTVドラマがまさにそんな泥沼な内容だったのを思い出し、ますます腹が立ってきた。もしかすると、すでに人には言えないような事をさせられているのかもしれない。こんな素晴らしい先輩が、そんな酷い目に遭わされているなんて許せない。どうにかして助けてあげないと。
きっとアタシが何かを察したような顔をしたのかもしれない。聡明そうな彼女のことだから、目の前の下級生が言わんとしたことを理解したようで、もしかすると全てを白状した上で、黙っていてと懇願されるのかもしれない。先輩は、言い聞かせるように、『あのね』と口を開いた。
「単にお弁当を作ってあげているだけです」
「やっぱりそうなんですね! 許せない!! 」
やっぱり思ったとおり。あの袋には、えげつないほど金目の物が――
「――って、え? お弁当? 」
想像の遙か斜め上、妙な話が唐突に降って湧いたもんだから、アタシの脳は混乱を来してしまう。
なんで、どうして、なんの意味があってアナタがそんなことを。あの不良のために、なぜ先輩がお弁当を作るのか。漫画やアニメなら、今のアタシの頭上には、たくさんのクエスチョンマークがうかんでいることだろう。
だって、女子が男子の為にお弁当を作るなんて、そんなの、
「……めっちゃLoveじゃん」
「違います! 」
するりこぼれたアタシの一言に、先輩は、しくじったといった類の表情を見せると、巾着袋を胸に抱えたまま、空いた方の手を眼鏡のつるに当てた。そして、
「い、いつもコンビニのお弁当や購買部のパンを食べていらして、ほら、出来合いの物ばかりでは栄養が偏るではないですか。ですが、彼のお母さんはお忙しいようなので、それに比べて私はヒマですし、お弁当なんて一つ作るのも二つ作るのも手間はさほど変わりません。料理の練習になるので私にも利点があります。それにですね、今日も水筒を渡し忘れたからここに足を運んだだけです。他意は無いです。えぇ、ありませんとも」
え。あぁ、はい。
突然早口でまくし立てるものだから、アタシは圧倒されてしまう。
「別に、掃除を理由に定期的に彼に会いに来ているわけではないですから! 」
はぁ、そうなんですね。どうりで、この場所がキレイなわけだ。
アタシの方なんかこれっぽっちも見やせずに、虚空を凝視したまま先輩はまるで自分に言い聞かせるよう言葉を発し続けている。
美人が景色を見ながら物思いにふける。もしこれがサイレント映画なら、それはずいぶん絵になることだろう。だけど、
「今日も二人きりでお話しできれば嬉しいなとか、考えていたわけではないですから! 」
あの、もう、その辺にしといたほうが。
内容が内容なだけに、ここまでくると、さすがに理解できない方がおかしいというもので。どうしよう、それでも気づかないふりをした方が良いのかしら。
「決して、知らない女生徒がいたから、彼とはどんな関係なのかなとか知りたくなったわけではないですから! 」
聞いてもいないことをぺらぺらと。もはや、アタシは口の端を上げ、引きつった笑みを見せるばかりで。
「くれぐれも邪推しないでください! 彼とは、そのですね」
墓穴を掘るとはこのことか。目前で起きた見事な自爆に、アタシは「あー、そうなんですねー」とヘタクソな返答しかできようもなく。
だって先輩ったら、何か言いたそうに言葉を探しているんだけど、上手く出てこないみたいだし、何よりも、
「と、とにかく、あなたが今思っていることは全て間違っていますので、あしからず」
――これほどまでに分かりやすい人がいるのか。
あのね先輩。そっぽを向いて、平静を装っているつもりだろうけど、それじゃダメですよ。流暢に否定の言葉は出たけれど、それが今みたいに矢継ぎ早に出るようじゃ、いろいろと自白しているような物だ。
経験者は語るではないが、ほんの一両日前に、アタシは似たような目にあったのだからよくわかる。こちとら本人が目の前にいる超高難度な場面で、いろいろと勇気を振り絞ったのだ。
「……えーっと」
この場に、相手がいなくて良かったですねと、アタシは目線を外した。
なんせ、わなわなと震える唇と眼鏡の奥の充血した目が如実に物語っている。
間違いなくそれは、
「恋する乙女の顔になってますよ、先輩」
「――もういや、死にたい」
ふにゃっと顔をゆがめると、うわーん。声を上げ、先輩は両手で顔を覆い、ついには両膝へと伏せてしまった。
でも、もう何もかも遅いです。
彼女のまとめた髪からのぞく、綺麗なうなじまで真っ赤に染まっているのだもん。そんなんじゃ、『別に、彼のことはそれほどでも』なんて、口が裂けても言えるはずがないのだから。
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