第14話 アタシとコッペパンと美女と野獣と ①
その上級生に話しかけられたのは、北校舎にある階段の一番上。滅多に人の来ない踊り場で、誰も見てないと思ったんだもん。んがーっと大口開けて、コッペパンにかぶりつこうとした時だった。
ちなみに言っておくけど、アタシは食いしん坊ではない。
これは、あれよ。朝から猛ダッシュしたからかもしれない。だって、アイツがもたもたと玄関から出てこないもんだから、――ふと見たスマホの時刻表示は、狂っているのかと疑うほど未来へと進んでいて。
『ほら! 走れ走れ走れっ!! 怒られるぞっ! 怖いぞっ!! 』
『これで、もう、ぜ、全速力よっ!! 』
決して運動が出来ないわけじゃないけれど、危うく遅刻するかと肝を冷やした。
アイツに引っ張られながら、というか最後は引きづられるように、泣きべそかきながらもなんとか校門という名のゴールテープを切ったけど、もう、足はガクガク、肺は爆発四散したかと思ったわ。
まぁ、アタシの鞄も持ってくれてたんだもんね。アイツのほうが、死にそうな顔をしていたけど、そんな、朝から寿命を削るような距離を駆けたのだから、そのせいで、余計なカロリーを使ったのよ、きっと。
お昼休みも半分くらい過ぎた頃、どうもお昼が足りなくて、困ったことにお腹がエンプティマーク。朝はいつもと同じくらいしっかり食べたし、お昼のお弁当も普段と変わらない量なんだけどね。
周りの友人達は、シルバニアファミリーかと目を疑うほどに小さなお弁当箱で満足している手前、それの1.5倍くらいある弁当箱に箸を突っ込み、モッサモッサと白米を食べていたアタシが、お腹減ったねとは口が裂けても言えない。
当然、悩んだわ。久しぶりに。
だって、今月のお小遣いはあまり残ってはいないもの。でも、授業中にお腹が鳴るよりはましだ。あぁでも、このお金は放課後用の虎の子だし。アイツはすぐアタシの分まで払おうとするからさ、いつも甘えてばかりじゃダメだし、そのためにも彼と買い食いする為に残しておくべきなのだけど、でも、だけど、だからといって――背に腹は代えられないか。
そうね。パンひとつくらいならお財布的にもどうにかなる。腹持ちの良い惣菜パンが残っていれば御の字だ。
ああだこうだと悩みはしたけれど、恥ずかしいかな食い気が勝った。アタシは友人の輪から言葉巧みに抜け出して、そそくさと購買へと足を向けたわけ。
ちなみに費用対効果からいくと、友人の話を集約するに学食の方が満腹度は上みたい。だけど、アタシの家は決して裕福ではない。もちろん学生用の値段設定なのだけど、それでも我が家にとっては少し厳しい。
そもそもアタシは少し人見知りの気があるもんで、ああいう不特定多数の人たちの中で昼食をとるなんて、心の底から遠慮したい。しかもクラスの友人曰く、手当たり次第にアプローチをかけてくるとんでもない上級生がいるだのいないだの。
いわゆる噂だから、そんなヤツいないとは思うけど、もし居るのなら、相当ヤバい生き物だ。学校でナンパとか何考えているのだろう。ぶっちぎりで頭がおかしいとしか思えない。
まったく、いつもながらにイヤになる。あの手の人間は、本当に鬱陶しいからキライだ。
だって、隣にアイツがいても、お構いなしに声かけてくるような奴らなんだもん。
ほんの一週間前もそうだった。せっかく、あの朴念仁が珍しく遊びに誘ってくれたのよ?
まぁ、遠回しにせがんだのはアタシだったけど。駅前に、可愛いカフェがオープンしたみたいなのよねぇ、なんて少し露骨なアピールだったのは否定しないわ。
でも、休日に外で二人っきりよ? そんなのアレよ、デートでしょ。もはやデートよね?
飛び上がるほど喜んで、眠れないほど楽しみで。もちろん当日はバッチリおしゃれして、今できる最高のアタシで挑んだのよ? ねぇ、見てわかんないの? アタシは、今、全力で楽しんでるでしょ? そんな中、空気が読めないのってもはや犯罪だと思う。
挙げ句の果てには、アイツのことバカにする輩もいるのよね。
『ウェーイ。そんな冴えないヤツとじゃつまんないでしょ』
『は? 』
『はいストップ。まぁ、落ち着け。僕は全然気にしてないから』
『何よオマエ? ブサイクはさっさと消えろヨ? 』
『あ? ――今なんつった? 』
『だから、落ち着けって! 』
ほんと、とんでもなく酷い事言うのよ。いっきにスイッチはオン! 怒りゲージはMAXで、あとはケンカするだけよ。
普段人見知りで口下手なアタシだけどね、アイツに対する嘲笑はNGなんだから。そういうヤツを、何度、張り倒してやろうと思ったことか。
まぁ、こんなアタシの性格を知ってるから、プライベートでは、そういう手合いは彼が上手く対処してくれるからこれっぽっちも問題ないのだけど、……学校内ではそうもいかないのよね。
心の底から口惜しいことだけど、こればっかりは仕方がない。
理想を言わせてもらえるなら、本当はお昼もアイツとふたりで食べたい。もちろん友人達とのお昼も楽しいけれど、やっぱり、ねぇ。憧れってあるじゃない。
だけど、どうやらアタシは少し目立ちすぎるらしいから、性格上、お互いに注目されるのが苦手だしね。それに、小学生の時に酷く冷やかされた苦い経験も相まって、それ以来、あまり学校内では接点を持たないように気をつけるようになった。
もう、だいぶ前の話なんだけどね、未だに思い出すと瞳が潤む。
『なんだ、お前らイチャイチャしやがって。結婚するのかよ』
なんて、今考えれば悪ガキ特有の鼻で笑うレベルの軽口だけど、当時は今以上に素直じゃないアタシだ。無視すれば良いのにね、あのクソガキめ。わざと教室中のみんなに聞こえるように言うんだもん。自分へと集まる視線と、同時に沸き立つクラスの雰囲気に、
『な、なんで。なんでアタシがこんなヤツなんかと。そうよ、キライよキライ。アタシはもっと格好いいヤツとしか結婚しないわ! 』
とっさに出た照れ隠しだけど、こういうのって言って後悔するの。“ しまった! ” そう思った時にはもう遅い。アタシは今でも胸が痛む。だって、アイツってば、本当に悲しそうな顔で笑ったんだもん。
『うん。そうだね。……ボクも大嫌い』
きっと、小さいなりに今後アタシが冷やかされないよう一生懸命考えたんでしょうね。
……でも、初めて目の前が歪んで見えたわ。
本気で心をケガすると、涙って出ないものね。ちなみにアタシは、その日の晩から丸二日、突発的な高熱で寝込んだ。
アイツもその日、帰って来るなり布団にくるまって朝まで泣いていたらしい。アイツのおばさんからそれを聞いたのは何年も後なんだけど、もう、自分の愚かさと器の小ささ。そして、アイツを傷つけてしまったという事実に、『合わせる顔がないわ』そう言い残して、アタシはもう一度寝込んでしまった。当然その理由を彼には内緒のまま。
季節外れの高熱に、何やってんだ、なんてプリン片手にアイツは笑いながらお見舞いに来てくれたんだけど、その笑顔がしみるのよね。顔を見るなりアタシがメソメソ泣くもんだから困り果てていたのを覚えている。
「うげげ……」
今頃になって、その時の罰が当たったのかも知れない。もしくは過去の苦い記憶が贖罪しろと叫んでいるのかも知れない。着いた先の購買部には、なんというか、妙なモノしか残っていなかった。
その名も、『クリームたっぷり、でっかいあんパン』。それと、ふつうのコッペパンがひとつ。
もちろん焼きそばパンとかサンドイッチとか、そんな人気商品が余っているかもなんて、そんな幸運は期待していなかったのだけど、それにしてもこれかと、頭を悩ませる。
もちろん、あんパンは好きだ。クリームも好きだ。もし家にこれがあれば、きっと妹と壮絶な争いになることだろう。だけど、目の前のパンは一つだけ難点があった。
『1個 280円』
……金持ちの道楽か?
人っ気の無い購買部で一人、思わず愛用のがま口を握りしめてしまう。
たぁっかい! 高すぎる!!
悲しいかな最後にお札が入っていたのは何日前か。硬貨のこすれる音だけがわずかに聞こえてくる。
いやはや呆れるわ。超がつくほどの高級品じゃん。
そりゃ売れないでしょうね。四つほど残っているのも納得である。高校の購買部でパンがひとつ280円。確か食堂のうどんが200円くらいだって聞いたから、よっぽどの貴族か王族でないとこのパンを買わないだろう。
そして、もう一つのコッペパンがこれまた難ありで。何を隠そうこのパンこそ、かの悪名高い、最強の不人気パンなのだ。
価格としては、60円ほどの非常に安価ではあるが、当然この値段だから、中に何か入っているわけではない。そしてなによりも、口の中の水分が全部失われるほどに、ありえないほどパッサパサなのだ。量を食べたい一部の運動部に人気があるらしく、そのせいでラインナップからはずれないのだろうけど、本当にただのコッペパンなのだ。
一度食べたあのとき、二度と買わないと心に決めたんだけど……。
絶望的である。どうしようもない現実に、なんだか、余計にお腹が減ってきた。
午後の授業でお腹でオーケストラを奏でるか、それとも喉に詰まらせながら拷問のような食事をするか。
彼に電話して、かくかくしかじか説明すれば、お金くらい貸してくれるだろうし、解決する話だけど、でも……まちがってもお金にだらしないヤツだとは思われたくない。
だからといって、授業中にお腹が鳴るのは恥ずかしいなんてもんじゃないし、少し大袈裟かもしれないけれど、それが長い人生で、アタシの恥は彼の恥にもなり得るわけで。
アタシの個人的な意見だけど、これから先、生活していく上で、そういう所は大切だと思う。ほら、そのうちアタシってば、そういうの考える立場になるだろうし。
そうね、赤い屋根の真っ白な家とか憧れるわね。そこでアタシが家計簿を睨みながら電卓をたたいて頭を悩ませているのよ。すると彼が『ごめんな』って謝るの。でも、アタシは言うの。『アナタと暮らせるだけで幸せだから』……にへへ。なんちゃってね!
「コッペパンで良いのかい?」
「え! あ、あぁ……はい、スンマセン」
コッペパンを握りしめて、ニヤニヤしてるんだもん。そりゃ購買のおばちゃんも、この子大丈夫かしらと、声をかけざるをえないか。
自分でもわかるほど真っ赤な顔で、えー、話を戻しましょうと、咳払いをひとつ。
まぁ、仕方ないかとニヤつきながらアタシは購買部のおばちゃんにぺこりと頭を下げた。そして、おばちゃんの手にお金を乗せると、もう一度頭を下げる。
「美人が嬉しそうだとこっちも嬉しくなるね」
「そんな……にへへ」
まったく、こんなアタシが美人だなんて、恐ろしくお世辞が上手い人だ。あやうく例のクリームあんパンまで買ってしまいそうになるじゃない。きっと接客業のテクニックだろうけど、笑顔に不思議な力を感じるのよね。こういう人を人心を誑かす、傾国の美女……は少し言葉が悪いわね。そうね、美魔女と言うのが正しい気がする。
アタシは失礼しますと一言その場を後にする。美魔女が、またおいでね、って手を振ってくれるから、もちろんこちらも小さく手を振った。
さてと。
アタシは鼻歌交じりで北校舎へと足を向ける。後はパンを食べて教室に戻るだけだ。
こういうときに行くところは決まっている。そこは偶然見つけたとっておきの場所。誰も来ない北校舎の最上階、なぜか綺麗に掃除が行き届いている階段の踊り場が、アタシのお気に入り。
家庭科の授業で作ったりするのかな。手作りっぽいクッションまであるし、これがまたとてもお尻に具合がいい。
今度アイツにも教えてあげようかな。そうよ、良い考えね。それに、あそこなら周りを気にせず、アイツと二人でお昼を楽しめる。
料理は得意じゃないけれど、お弁当とか作っちゃったりして。そして、食べさせあいっこしちゃったりして。 『あ~ん』とかしちゃったりして!
きゃぁもう、やっぱりたまらない。夢が膨らむわね。
ほんとアタシにとって、あそこは最高の癒やし空間みたいだわ。
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