日曜日

第2話 僕は、無様な負け犬だけど、ほんの少しだけ悪あがきしてみた。①



 あれは、ほんの数日前の事だった。


 ……ふいにスマホが手から滑り落ちることはよくあることで。


 休日の昼、しかも自室のベッドで寝転がり、ぼんやりと画面を眺めているのだから仕方ない。

 するりと我が手から逃れたスマホさん。いつもなら痛烈な一撃を顔面に見舞ってくれるのだが、今日は僕の方が一枚上手。とっさに首をひねり、すんでの所で回避成功と相成った。

 と、――鈍い音がした。


 「ぐぇっ! 」


 同時に僕の隣で声が上がった。車に轢かれたカエルもかくやといわんばかりの見事な断末魔。


 「ぁ痛っつつ……、痛ったいわね! このバカっ!! 」


 寝転がった目と鼻の先、形のいい瞳を潤ませながら彼女はそう言った。

 ダボダボのパーカーに、くたびれたハーフパンツ。いつものことながら、The部屋着な格好でせっかくのスタイルの良さを殺している。さらに、痛みをごまかすためか、ワシワシと頭をかいているものだから、細く柔らかな髪すらも台無しである。

 それにしても我がスマホながら、なんともまぁ見事な挙動を見せた。布団に着地後、シーツの上をするりと滑り、そのまま彼女の頭にクリーンヒット。


 「もうっ! コブになったらどうすんのよっ!! 」


 こんな近距離で、ベッドに頭を預けていた方が悪いのではと、少しだけ出かけた言葉を飲み込んで、


 「すまん」


 とりあえず謝ることにしておこう。イヤミのおまけ付きで。


 「空っぽだから良い音したな」


 「あんたねぇ! 」


 ますます鼻息の荒くなる彼女だが、ここまではいつもの光景である。今年の春に高校へと入学したから、もう10年近い付き合いになる。

 クラスでは読書三昧の器量よし、大和撫子ともてはやされてはいるが、蓋を開ければこの通り。さっきまで僕のベッドにもたれて、鼻歌交じりで漫画やファッション雑誌を読みふける、そんなどこにでもいる流行やオシャレ好きの女子高生なのだ。


 「あぁもうっ!! 」


 数回からかったところで、彼女がついには布団に八つ当たりを始めた。

少し意地悪しすぎたか。

 こうなると後がたいへんなのだ。へそを曲げ、布団に潜り込み小一時間は出てこないだろう。もちろん僕はベッドから追い出され、途方に暮れるわけで。

 やれやれと、寝転がったまま彼女の頭に手を乗せ、優しくなでる。ついでに余計なおまけ付き。


 「イタいのイタいのとんでけ~」


 不思議とこの少女、昔からこうすると機嫌が良くなるのだから変わっている。

意識している訳ではないが、なぜか自分自身笑顔になってしまうのは条件反射というものだろうか。

 当の本人は、おまけの一言にご立腹なのだろうか、頭上の手をはたき落とすと、何か言いたそうな顔を真っ赤に染めて、寝転がった僕の胸に頭をこすりつけてきた。

 いやはや、感情豊かなお日様のような少女だ。

 教室では静かな奴だから、せっかくの元気印、クラスでもこの快活さを出せばいいのにと僕は思う。

 以前、その件についてどういう意図なのかと彼女に尋ねたことがある。そのときは、


 『女の子にはね、いろいろあるの』


 なんて、訳のわからない理由ではぐらかされた。

 要するに、男の子である僕には考えてもわからない部分なのだろう。それにしても、


 ――本当に、可愛い奴だ。


 泣き虫で意地っ張りで、外面の良いこの少女を、僕は愛おしく感じている。

 この気持ちに気がついたのはいつの頃か、そんな昔の話は覚えていない。覚えているのは、この恋心が彼女に届かないと知ったあの日のこと。

 今思い出しても、心臓が鉛を呑んだように重くなる。

 ほんの数ヶ月前の中三の冬、失恋を経験したあの苦い記憶を、僕は未だに忘れることができそうにない。

 そう、あの日、『彼女には好きな人がいるらしい』そんな噂を僕は耳にしたのだ。

 一瞬だったが、突如として、目の前の風景が色を失ったのを覚えている。

 なにせこの噂には続きがあり、『いつも一緒にいるアイツではない。先日告白して玉砕したヤツが彼女からそう聞いたらしい』

 頭の中で、何かが崩れる音まで聞こえた。

 今思えば、この手の噂はいろいろな尾ひれがつきやすい。それに、今まで何度もその手の話は耳にしてきた。だが、タイミングとでもいうのだろうか。受験勉強の疲れや、合否に対する緊張感。いささか感覚的な話になるが、不思議とその時ばかりは妙に納得してしまって。


 ――学年の美姫と、一山いくらの自分。


 確かにそうだ。その通りだなと、僕は気がついてしまったのだ。

 正直、僕はうぬぼれていた。小さな頃からずっと一緒で、家もすぐ隣。周りの友人からもお似合いだとはやし立てられていたもんだから、僕は勝手にその気になっていた。

 当の彼女も、何人もの告白を断ってきたという事はそういう事なのだろうと、今になって考えると顔から火が出るほどに恥ずかしい身勝手な勘違いである。

 それなのに、僕は高校入学の前日に、どんな形であれ告白しようなんて大それたことを考えていたのだから呆れてものも言えない。

 絶対に一緒の高校に行くんだからと受験勉強に付き合ってくれたのも、高校の合格発表で嬉しいと手を握って泣いてくれたのも、幼なじみという特殊な関係性故だったからだ。

 彼女にそれ以上の感情なんてなかった。そういうことなんだ。


 ……自室のベットの上で、思わず溢れ出そうとする感情を抑え、僕は零れそうになる言葉を飲み込む。


 「――どうしたの? 具合悪い? 」


 ふと、何かが僕の額に触れた。それが彼女の手のひらだと気づくのに時間はかからなかった。

 目を開けた先には、僕の好きで好きでたまらない大好きな彼女の顔があった。

 僕が目をつぶり、急に押し黙ったせいで、不安に感じたのだろう。声色も優しくなり、どこか不安げな顔。

 あぁ、やめてくれ。僕は叫びそうになる感情を抑えるのに必死で言葉が出ない。彼女に恋愛感情なんて微塵も無いことをイヤというほど思い知ったはずなのに、その声が、顔が、仕草が、僕の隠してきた傷だらけの感情をかきむしる。

 あぁ、自分という人間は本当に情けないヤツだ。

 きっと、そんな傷の隙間からほんの少し零れてしまったのだろう、なんて、これは言い訳だな。


 「……やっぱり、可愛いなぁ」


 わずかに、溢れた女々しい感情が、気づかせてくる。僕はやはり彼女への思いを、簡単には断ち切れそうにないみたいだ。




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