6 伊吹は試着室に隠れる

 伊吹と柚美は額を付き合わせてヒソヒソと話す。


「ちょっと柚美さん、なんで同じ試着室に入ってくるのよ。

 隣に入りなさいよ」


「やだよ。ひとりなんて怖いよ」


「靴。中にしまってよ。

 外に三足もあるなんて不自然でしょ」


 伊吹は柚美が靴を中にしまうのを確認すると、

 口にチャックのジェスチャーをする。


「アイさん、静かにしてね。急にかくれんぼが始まったの」


「ウイ」


 狭い試着室の中にいるから、

 デパート内で放送している音楽よりも、

 三人分の息づかいの方が大きく聞こえてくるくらいだ。


 カーテンの隙間から外をうかがうと、下着売り場の外に津久井がいた。


 対面にある幼児服売り場を覗いているらしく、背中を向けている。


「あの、カフェにいそうな意識高い系っぽいスーツ男が津久井?」


「そうよ」


「ぜんぜん動かないね」


「ええ。不自然、よね。

 幼児服売り場を探しているというより、

 私達がここにいることが分かっているけど、

 視線を向けるのが気まずいから背中を見せている感じよね……」


 伊吹は知らないし、イレーヌの記憶にもないが、

 津久井には何かしらアイの居場所を知る手段があるのかもしれない。


「映画だと小型の発信器をつけることがあるけど、

 私もアイさんも着替えたわよね……」


 伊吹はアイを抱く腕に力を込める。


 アイが不安そうに見上げてきたから、

 伊吹は微笑み、頬をすりつけた。


 暫く観察していたら、津久井が下着売り場を向いた。


 伊吹たちが潜んでいる更衣室に視線を向けている。


「ねえ、伊吹ちゃん、あいつこっち見たよ。

 やっぱり気づかれてる?」


「だとしても、このまま隠れているわよ。

 いくらなんでも下着売り場に男が入ってくれば、目立つわ。

 誘拐なんて馬鹿な真似はできないはず」


「絵理子さんに頼んで、関さんに来てもらおうよ」


 柚美がスマートフォンを取りだすと、

 不意に外で硝子が割れるような小さな音がした。


「ノン」


 アイがギュッと抱きついてきた。


 伊吹は慌ててカーテンの隙間から外を確認する。


 フロアが微かに暗くなっていた。

 

 破裂音が連続し、だんだんと周囲が暗くなっていく。


 津久井が天井を指し示すようにして腕を上げると、

 天井の照明が割れた。


 客たちが異変に気付き、騒ぎながら下着売り場から離れていく。


「ど、どうしよう。伊吹ちゃん。

 あいつ、私達がここにいるって分かっているんじゃないの?」


「騒ぎを起こしてどうするつもりなのかしら?

 防犯カメラだってあるんだから、警察に追われることになるのに」


 伊吹がカーテンの隙間から目だけ出して外を覗くと、

 津久井は明らかに、試着室へ向けて声を出し始める。


「かまいたちという妖怪を知っているか?

 鎌のように鋭い爪を持つイタチだ。

 画図百鬼夜行など見たことはなくとも、

 フィクションで一度くらいは目にしたことがあるだろう」


 伊吹は歯がみする。


「最悪だわ。輪入道は知らなかったけど、

 私はかまいたちを知っている。

 柚美さん、貴方は」


「え。どうしたの。私も知ってるけど?」


「残念なお知らせよ。

 アイツらが使う不思議な力は、

 『それを知っている観測者』がいる場合のみ、効力があるの」


「え? え?

 どういうこと?」


「私達がかまいたちを知っているから、

 津久井は手から風の刃を飛ばせるのよ」


「なにそれ、酷い」


「まずいわ。柚美さん。

 出るわよ。津久井が来る」


 伊吹はアイに「しー」とジェスチャーをしてから、

 手を引いて試着室から出た。


 すぐに、離れたフロアでも騒ぎが起きているのが分かった。


 伊吹は念のために、気付かれていない可能性を考慮し、

 目立たないように歩きだす。


 チラリと窺えば、疑いの余地なく、

 津久井は伊吹たちの方へ視線を向けている。


 まだ距離はあるが、

 明らかにライオンの着ぐるみがアイーシャだと気付いている。


 伊吹が歩を早めると同時に、

 不快な声が背を打つ。


「隠れるなら目立たない格好をすべきではないのかね?」


 伊吹は駆けだしながら、挑発に乗ることにした。


「目立って困るのは貴方でしょ。

 女の子には、たった一言で助けを呼ぶ魔法の言葉があるのよ」


「その時は近寄る奴らを全部、切り刻む」


「能力を使って一般人を殺傷すれば、組織が貴方を許さないわ。

 非合法な実験が世間に知られて困るのは、貴方たちでしょ。

 関がすぐに来るわ。いたちでは大蛇に勝てない」


 伊吹は関や津久井の事情を詳細に把握しているわけではないが、

 相手の動揺を少しでも誘えれば良いと思い、推測を並べた。


 津久井が一瞬だけ沈黙したのは、一定の効果があったことの証左だろう。


「……俺の名前を知っていることといい、

 能力を目にしても落ち着いている態度といい、

 お前、何を知っている」


 伊吹が落ち着いていられるのは、

 単に、何度も大蛇を見たせいで感覚が狂っているだけだ。


 また、伊吹は除神経心を持つため、

 動揺しても心拍が変化しない体質をしている。


 それと……。

 自分の余命を知っているから、

 生への執着が人よりも少ないのかもしれない。


「柚美さん。痴漢が追いかけてきているわよ。

 さあ、叫んで」


「分かった」


 準備万端とばかりに柚美が大きく息を吸い込み、

 伊吹もタイミングを合わせて一緒にふたりで叫んだ。


「きゃあっ、ちかあああああああああああああああああああああんっ!」


 理想はメンズ服売り場にいる男性客の興味を引くことだが、

 女性用下着売り場からは離れている。


 伊吹はアイの背中を押して、柚美に任せる。


「先、行って」


「ノン!」


「我が儘は駄目」


「伊吹ちゃんはどうするの?」


「少し時間稼ぎするだけ」


 伊吹はふたりが先に行くのを見届けると、振り返る。


 伊吹に戦うつもりはない。

 足の遅いアイのために、一分でもいいから時間を稼ぐつもりであった。

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