3 伊吹は関を懐柔する

 伊吹の治療と着替えが終わったため、

 車は席を乗せて走りだした。


「養護施設の玄関で伊吹、思いっきり名乗っていたわよねえ……」


 絵理子は行く当てもなく、運転をしていた。

 自宅から離れる方向へそのまま進んでいる。


 伊吹は後部座席に深く身を沈めながら、

 助手席の関に気易い口調で声をかける。


「関、貴方はもうアイさんを誘拐するつもりはないわよね」


「……元から誘拐をするつもりはない。

 津久井たちに狙われていたから、保護しようとしただけだ」


「どうしてアイさんが狙われたの?」


「知らん。

 俺は、イレーヌさんの遺志に従って、

 アイーシャを護ろうとしただけだ。

 津久井が組織の意向を無視して、

 何か企んでいるらしいという情報を得て内偵を進めていた。

 そうしたら奴らの狙いがアイーシャだと分かったから、妨害した」


「私を津久井の仲間だと勘違いしたのね?」


「最初はな。

 だから他の仲間と合流するかもしれないと思って、暫く泳がせた」


「本当に泳いで溺れそうになったわ」


「俺が組織から受けた任務はあくまでも津久井の暴走を止めることだ。

 組織はアイーシャになんの関心も持っていない。

 俺は、いつでもアイーシャを護衛できるとは限らない。

 だから、津久井の目的がはっきりするまでは、

 見知らぬ奴に任せるより、自分の手元に保護しておきたかった」


 柚美がおじおじと「そ、組織って何」と口にしたので、

 伊吹は

「私たちには関係ないこと。知らない方が良い」

 と、深みに嵌まらないように釘を刺しておいた。


 物騒な話は関や津久井たちの間で収め、

 自分は関わりあいたくないというのが伊吹の本音だ。


 右腕が大蛇になる男や、円形の物体を発火させる男のような、

 少年漫画みたいな人間が所属している組織になど、関わりたくもない。


 伊吹は少年漫画よりも少女向け小説の方が好きだ。


「関、貴方がイレーヌのためにアイさんを護ろうとしているのなら、

 アイさんを包む世界の全てを護るべきだと思うわ。

 なら、貴方は津久井から私たち全員を護りなさいよ」


「……俺は組織の命令で動いていると言っただろ。

 離反した津久井の行動を阻止する任務だ。

 アイーシャの護衛を優先することはできない」


「同じことでしょ。

 アイさんを護れば、津久井の目的は阻止できるわ。

 そのついでに、私たちを護ってと言っているだけ。

 か弱い女子を護るのは、男の義務でしょ」


「……何処にか弱い女子がいるんだよ」


 関の態度が煮え切らないので伊吹は手を叩き、

 強引に「交渉成立ね」と纏めた。


 関が本当に自分たちの護衛をするとは限らないが、

 利害が一致する限りは助力を頼めそうだ。


 軽く安堵のため息をもらしつつ伊吹は柚美に肩を寄せて耳打ちする。


「怖い人だと思っていたけど、なんとかなりそうで良かったわね。

 こういう時に男の人は頼りになるわ」


「伊吹ちゃん。

 最後の一言はひそひそ声じゃなくて、もう少し大きい声で、

 あいつにも聞こえるように言ってよ。

 そうしたら、ますます協力的になるかもしれないし……」


「……言っておくが、

 俺の目と耳と鼻は普通の人間よりも優れているからな」


「あらそう」


 伊吹は両手でアイの耳を覆ってから囁くように声を小さくする。


「津久井の目的はアイさんの人体実験なんでしょ。

 同じようなことをもう一度聞くけど、

 アイさんの護衛が津久井の目的を阻止することと同義ではないの?」


「そうとは言い切れない。

 吸血鬼の研究は既に終了している」


「そうなの?」


「ねえねえ伊吹ちゃん。そもそも吸血鬼って何?

 なにかの例え? 漫画に出てくるあれ?

 不老不死で十字架やニンニクが苦手で、

 血を吸われた人も吸血鬼になっちゃうっていう、あれ?

 アイちゃん昼なのに外に居ていいの?」


 柚美が伊吹の腕の中にいるアイの頬を鷲づかみにし、

 口の中を覗き込んだ。


 伊吹はやめさせたかったが、

 変な誤解は解いておいた方が良いので、

 アイに「あーん」と口を開くように促しておいた。


「アイーシャは成長しているから不老ではないし太陽も平気だ。

 組織が言う吸血鬼とは、吸血鬼のような性質を持つ者という意味だ」


「牙は生えていないんだ?」


「生えているわけないでしょ。

 いま関が言っていたでしょ。

 アイさんは人よりも怪我の治りが早いのと、

 少し陽が苦手なくらいよ。

 ただの特異体質。

 ちょっと珍しい血が流れていて、

 その体質が血液や唾液から感染するから、

 吸血鬼と呼ばれただけよ」


「組織が吸血鬼だと認めたのだから、

 大人になれば、姿を変えたり、

 霧になったりする能力くらいは使えるようになるかもしれない」


「まーくんじゃないんだから、

 ならなくていいわよ、そんなの」


「なんか、伊吹ちゃん、ほんとにイレーヌって人の記憶があるの?

 なんか、知っているようなしゃべり方だし」


「そう言っているでしょ。

 本で読んだ記憶みたいに、我が身のこととは思えないし、

 思い出そうとしないと分からないことも多いけど、

 さっきから、古いアルバムを見つけた時みたいに、

 不意に記憶がよみがえるのよ」


 自動車の速度が遅くなってきているから、

 絵理子も聞き入っているのだろう。


 伊吹は最も情報が不足しているであろう絵理子への説明を兼ねて、

 いったん状況を整理する。


「アイさんが生まれて数ヶ月のことね。

 イレーヌが少し目を離していた時に、

 アイさんがアイロンを触って火傷をしてしまったの。

 でも、泣きやむ間もなく、

 あっという間に火傷が治ってしまった」


 伊吹はアイの小さな掌を広げ、

 ぷにぷにと押して火傷の跡が全くないのを確認する。


「目の前で治るのを見ても、信じられなかったわ。

 イレーヌはもちろん、病院に連れて行った。

 けど、医師の診断でも怪我ひとつしていない。

 不安に思ったイレーヌは、アイさんの体質について調べていくうちに、

 当時医学界で話題になっていた津久井の論文に辿り着いたの」


 伊吹は後悔するように、ゆっくりと溜め息をつく。


「津久井を頼ったら、人体実験されそうになって……。

 イレーヌはアイさんを連れだして逃げたのよ。

 逃走中にイレーヌの記憶は終わっているわ」


「……記憶の続きが蘇ることはない」


 伊吹が「死んだ」や「殺された」という言葉を避けたのはアイへの配慮だ。

 関も同じようにしたのは、

 もしかしたらアイへの配慮ではなく、

 イレーヌの死を未だに認めたくない思いの表れかもしれない。


「津久井は今更、何をしたいのかしら。

 アイさんを狙うのに、三年も待った理由は?」


「さあな。当時から奇妙といえば奇妙だったんだ。

 組織では身体能力や再生能力の強化は早い段階で実現している。

 既に吸血鬼みたいな特異体質は、

 俺みたいなのがいる以上、研究対象ではない」


 関は後部座席に見えるように右腕を掲げて動かす。

 包帯があまり汚れていないので、血が止まっていることが分かる。


「まだ完治はいかないが、骨が露出していた怪我が、こうさ。

 血は止まっている。肉も再生している。

 少なくとも、吸血鬼の治癒力を研究したいという理由はない」


 関は右手で、空のスチール缶を軽く握りつぶす。


 金属のひしゃげる鈍い音が、随分と小さく聞こえた。


 スチール缶は、あっという間に手のひらの中で小さな金属塊になってしまう。


「津久井の部下たちは、俺ほどではないが再生能力を持っている。

 わざわざアイーシャを研究して、人工の吸血鬼を作る必要はない」


「でも、さっきの話だとアイちゃんは火傷が一瞬で治ったんでしょ?

 関さんの腕は治るけど、遅いよね」


「貴方、本当に妙なことには鋭いわね」


「えへへ」


「再生速度の差か……。

 確かに致命傷からの復帰という点でいえば、

 吸血鬼は一瞬だから便利かもしれない。

 だが、それはあくまでも吸血鬼本人の場合だ。

 感染者の場合は吸血による感染から発症までに数時間かかるうえ、

 効果は持続しない。

 俺たちのような存在が使うには不便すぎる」


「大蛇マンがいるから、

 三年も待って吸血鬼を研究する理由がないってことだよね。

 うーん……。津久井が外国人少女が好きな変態って可能性は?」


「その可能性は大きいわね」


「……ないだろ。

 俺のような追っ手が来ると分かっていて、

 変態性癖を優先するか?」


「津久井の目的が分からないというのは、すっきりしないわね。

 けどいいわ。

 関、少なくとも貴方の目的はアイさんを中心にして、

 私たち全員を護ることなんだし」


「勝手に決めるな」


「何が不満なの。

 アイさんは可愛いし、

 絵理子さんは美人、

 私はイレーヌの心臓を持っている。

 ほら、護りがいがあるでしょう。

 男として命を賭けるのに、

 これ程素敵なシチュエーションは滅多にないわよ」


 伊吹が「ねー」とアイの頬を挟んだら、

 よく分かっていないであろうアイも「ねー」と笑った。


「アイさんの幸せ全てを護りなさいよ。

 だいたい、まーくん、『俺がお前たちを護る』って男から言うべきよ。

 貴方、折角、不思議な力があるのだから主人公になってみせなさいよ。

 たった一言で貴方は私たちを取り巻く世界の主人公になれるのよ。

 男の子でしょ。

 そういうの好きでしょ?」


「ちっ」


 伊吹は舌打ちの理由が、

 不機嫌になったのか、照れたのをごまかそうとしているだけなのか、

 判別がつかない。


 とりあえず後者であることを期待する。


「もう。しょうがないわね。

 私のことイレーヌさんって呼んでもいいわよ。

 貴方、イレーヌさんのことが好きだったんでしょ?

 アイさんを護りきったら、

 まーくんえらいって頭を撫でてあげる」


 見ていないとは分かっていたが伊吹は関の背中に、

 イレーヌになりきったつもりの笑顔を向けた。


 関は黙り込んでしまったが、

 気を緩めたアイがすやすやと眠りにつくくらい、

 車内の空気は軽くなっていた。

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