六、近代化の街の駅(2)

「二人じゃ狭いね」

 エミリが隣で小さくそう言った。

「私が来なかったらこんなことにはならなかったのに」

 ご飯を頂いた居間の隣の部屋に布団を敷いて、私とエミリは一緒に寝ていた。

「別に私が呼んだんだもん。それより、こんなところで寝れる?」

「全然寝れるよ。寧ろ普段より快適」

 普段只のボックスシートで毛布を被って寝ていることを考えれば、布団があるだけで何百倍と快適になる。

「旅って大変なんだね」

「工場で働くほどじゃないと思うな」

 どっちもどっち、とエミリは言った。電気は消してあるけれど、窓からは淡く月の光が差し込んでいた。おかげで、横を向けばエミリの顔ははっきりと見える。

「前はお客さん用のお布団、あったんだけどな。売っちゃったんだ」

「そうなの?」

「うん。どんどんお金が無くなっていくの。私も働いてるけど、工場は給料が少ないし、働いても働いても最低限生活する費用くらいしか手に入らない。だから、誰も外に逃げられない。地獄みたいな場所だよ、ここ。変わるといいな」

 私は、黙って聞いていた。

「領主は真ん中でふんぞり返って工場から出る煙を眺めてるだけ。私たち領民のことなんてどうでもいいんだよ」

「ひどいね」

「本当に。このままじゃみんな死んじゃうよ。でも、どこもそんなものらしいよ、この国。ウトピアとか、ね」

「らしいね」

 国王の統治なんて、もはやあって無いようなものだった。領主と名乗る人たちが乱立して、国を実質的に統治しているのはその人たち。その誰もが、独裁的で、民衆のことを一切鑑みない。学校の先生は、そんなことを言っていた。こんな辺境の学校じゃなきゃこんなこと言えないな、なんて冗談を混ぜながら。

「どこまで行くの?」

「ウトピア」

「一番ひどいところじゃん」

 私はうんと頷いた。

「そこに両親が居るらしいんだ」

 私は目を閉じた。目を閉じて、顔も知らない両親のことを想う。

「じゃあ、お父さんお母さんに会うために旅をしてるの?」

「うん。会えるかわかんないけどね」

 それっきり、私たちは何も話さなかった。


 日が出たころ、私は目を醒ました。エミリはもう布団から出ていて、部屋の隅で大きな鞄に荷物を詰め込んでいるらしかった。

「朝、早いね」

 起き上がり、布団を畳みながら言う。

「ルナだって結構早いじゃん。おはよう」

 伸びをしてから、おはようと言う。

「そんなに早く起きないと間に合わないの?」

「うーん、えっと、遅刻できないから。遅刻すると、酷い目に合わされるんだって」

「やっぱり、大変だね」

 確かに大変かもねと、エミリは他人事の様に言った。

 朝食は、早すぎるからと遠慮した。荷物をまとめて、エミリのご両親に丁寧にお礼を言ってから、お家を出る。

「ルナは、このあとどこかに寄る予定はあるの?」

「ないよ。とりあえず列車に帰る」

「そう、それならいいの。すぐ、自分の列車に乗ってね」

 エミリは、私より少し前を歩いている。工場に働きに行くには大きすぎる鞄を背負って、ニコニコしながら歩いているのだ。

 大衆浴場の前を通り過ぎ、駅に入る。私は昨日買った往復乗車券を、エミリは定期券を見せてホームに入った。それからすぐに、列車が滑り込んでくる。ホームは、その列車が殆ど見えないほどに人で溢れかえり、その三分の一くらいが、エミリと同じような大きな鞄を背中に背負っていた。

「タイミングはバッチリだね」

 エミリはそう言って、電車に乗り込んだ。私も、その後ろから乗り込む。短く汽笛が鳴らされて、大きな音を立てながら列車は出発した。

「工場ってどんなものを作ってるの?」

 私はそう、何の気なしに聞いた。

「うーん、例えば電球を作ってる工場もあれば、真空管を作ってるところもあるし、私が働いてた工場は武器を作ってる。武器って言っても、ルナが持ってるみたいな銃とかじゃなくて、手榴弾とかそういうの」

「そんな工場もここにあるんだ」

 なんでもあるよ、とエミリは言った。

「その鞄は? 他にも持ってる人が沢山居るけど」

「これは、まあ、大したものじゃないよ。色々必要なものを詰めたら、こうなるの」

「そっか」

 列車は各駅に止まる。その駅ごとに人を下ろして、客車の中は例の鞄を持っている人ばかりになった。

「どこで降りるの?」

「ルナが降りるのと同じところだよ」

 あの屋敷が集まる中に、武器工場があるのだろうか。

 列車は雑なブレーキで止まった。

「じゃあ、ここでお別れだね」

「うん。またね、エミリ」

「またね。お父さんお母さんに会って、帰りにも必ず寄ってよ。その時には、もっといい街になってるからさ」

 私は、エミリの目を見てしっかりと頷いた。

 列車の車掌によって扉が開けられて、私たちは雪崩のように外に出た。私に手を振るエミリの後ろ姿が、どうしてかくっきりと心に残った。後に止まっていた列車が、ゆっくりと動き出した。


「ルナさん! 出発します! 早くこちらへ!」


 線路を二本隔てる向かい側のホームから、車掌さんが大きな声が聞こえた。

「どうしたんですか?」

「説明はあと! 早く出発しますから急いで渡ってきてください! 線路降りてもいいから!」

 車掌さんは、よほど焦っているらしかった。私は急いで跨線橋を渡り、一番後ろに繋がれた緩急車の後ろ側にあるスペースに乗り込んだ。

「ふぇ⁉」

 私が乗り込むと同時に、列車は汽笛も鳴らさずに荒々しく動き出した。金属同士がぶつかる大きな音と、強い衝撃が同時に身体を襲う。何とか、すぐ近くにあったハンドルを掴んでバランスを保って、すぐに扉を開けて私は車掌室に入った。

 貨車を抜け、食堂車を抜け、客車二両を抜けて、いつも乗っている一番前の客車に入る。外に持ち出していた荷物を座席に放り、前の扉を開けた。

「どうしたんですか⁉」

「そ、それが、反乱が起きるとかなんとかで、ルナさんが帰ってき次第すぐに出発しろとの指令が……」

「反乱?」


 ――大きな爆発音が列車の窓硝子を震わす。


「ああ! 始まった‼」

 車掌さんが窓を開けて外を見ながら叫ぶ。

 爆発が起こったのは、駅前――領主が住むという屋敷の辺りらしい。工場が上げるそれとは違う黒煙が、そのあたりから上がっている。

「エミリ!」

 窓を開けてうしろを見たって、エミリがどうなっているかなんてわからない。

 小さな爆発音が何度も何度も窓を震わせた。黒煙が上がるのは、一箇所だけではなくなっている。一つ、また一つと煙は増える。少しずつ街から遠ざかり、地平線に沈んでも、昇り続ける煙だけが見えていた。


 列車は街から数キロ離れた信号場に停車した。車掌さんは車掌室にこもってずっと管理局と連絡を取っているらしい。時々声が大きくなって、外にまで聞こえてくるのだ。

 外の景色は、長閑のどかそのものだった。止まっている線路の脇からは雑草が生い茂り、辺りには木々が緑の葉を広げ太陽をいっぱいに受けている。何も止まっていない行き止まりの線路はすっかり錆び付いてしまっていた。

 ――エミリは、反乱のことを知っていたんだ。

 いや、知っていただけじゃないんだろう。あの鞄の中身は多分。

 でも、今は祈るしかない。反乱が成功することを。縦しんば失敗したとしても、エミリが無事で居ることを。

 遠くで友達が戦っているかもしれないというのに、時間ばかりが過ぎた。何が起こることもなく、ゆっくりと、けれども確かに、時間は進んだ。次第に日は落ち、辺りは暗くなる。それでも列車は動かないし、反乱がどうなったのかに関する情報も入ってこない。

「ルナちゃん、ご飯食べなくていいの?」

 ソフィアさんが心配そうに声を掛けてくれる。

「あんまり食欲が無くて」

 でも、私はそう言って食事を断った。とても、食べる気分にはなれないのだ。

「でも、ここで食べないでいざってときに力が出なかったらどうするの?」

 死んじゃったら意味ないでしょ、とソフィアさんは言った。

「でも」

「食べれるだけ食べておきな。今、サンドイッチ作ってきてあげるから」

 サンドイッチを食べて、少し仮眠を取って、そうして空には再び太陽が戻ってくる。

 ――ああ。

 反乱は――いや、革命は、どうなったのだろうか。成功していて欲しい。

 ゆっくりと車両前側の扉が開いた。

「今、管理局から連絡が入りまして……」

 車掌さんの表情は暗くて見えない。

「その、反乱は、鎮圧されたと」

「反乱を起こした人たちは、どうなったんですか」


 ――全員が、射殺されたそうです。


 静かだった。朝日に照らされた草木は何も言うことなく、ただそこに居た。

 本当は違うと信じたい。でも、私には確信に近いものがあった。エミリなら、きっと未来のために戦ったんじゃないか、という。

「反乱を起こした人たちは、年齢の性別も働く先もバラバラだったそうです。実際に反乱に使われた爆弾や手榴弾、銃などはそれぞれの工場から参加した人間がこっそりと盗み出していたと……。みな、大きな鞄に手榴弾を一杯に詰めていたそうです」

「そう、ですか……」


 ――突然爆発音がして、大きく車両が揺れた。

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