三、静かな街の駅

 さっきまで車窓には草原しかなかったのが、徐々に人の作ったものが増え始める。それは家だったり、農場や牧場だったりと形は様々で、国の情報を喧伝する看板のようななものもあった。

「ルナさん、御気分は如何ですか?」

 車掌さんは、私が外の景色に見惚れている間に入ったのだろう。座席のすぐ横にニコニコしながら立っていた。

「とってもいい気分です」

 昼下がりの世界は、なんだか美しく見えるのだ。もう街の中に入りかけているみたいだけれど。

「間もなく最初の停車駅に着きます。この列車、停車駅では半日から二日ほど停車します。その間はご自由に街を観光していただいて構わないということになっているんですが、如何なさいますか?」

「うーん、どうしようかな」

 勿論、観光というのは目的とは外れる。第一に私は終着駅に用事があるのであって、途中の駅に用事があるわけじゃない。それに、もし列車に乗り遅れてしまったら大変なことだ。切符はあるけれど、まずそこまで行ける列車が来るまでに月単位で待たされることになってしまう。そういう風に考えれば、あまり降りるのはよくないのかもしれないけれど。

「降りてみたいです」

 私はそう言った。リスクが伴うのは解っている。でも、本当の両親に会う前に、ちゃんと世界を見ておきたい。

「それはいいですね」

 なんとなく、笑ってしまう。

「旅というのはいいものですよ」

 車掌さんも、ハハと笑った。

「あ、そうだ、忘れてました。さっき食堂車で言ったパスのことなんですけど、駅で用意してくれるそうです。あとでお渡しします」

「あ、ありがとうございます」

 車掌さんが車両の前の方に歩いていったくらいで、列車は減速を始めた。辺りの景色にもう草原の面影はなく、石や煉瓦で出来た建物が立ち並ぶ街に入っていた。線路からそう遠くない位置に建物が建っているから、妙にひやひやしてしまう。

 減速を始めてから三分もすれば、列車はホームに突入する。少しの振動と共に列車は完全に止まって、それからすぐに車掌さんが扉を開けて回るのが見えた。

 手荷物と貴重品だけを持って、車両前側の扉から列車を降りる。尤も、手荷物と言っても何があるわけでも無い。

 降りてすぐ右には機関車が居て、前の方の煙突からは煙がゆらゆらと立ち上っていた。小さくだけれど、カラカラと音が聞こえるのは、多分石炭にスコップを入れているのだろうと思う。

 前から降りたはいいけれど、出口があるのはホームの真ん中あたりらしく、車掌さんがそこから私に手を振るのが見えた。

「ルナさーん! パスをお渡しするのでこちらへ!」

「はーい」

 少し小走りで車掌さんのとこへと急ぐ。近くまで行くと車掌さんはゆっくり歩きだして、改札の横の扉の中に入った。

「これがパスです。ここに記名をお願いします」

「えーっと…………これでいいですか?」

 机で名前を書いてパスを見せると、車掌さんはうんと頷いた。

「では、あとはお帰りの際に駅員にそれを見せれば改札に入ることが出来ますので」

 財布の中にパスをしっかりと入れて、ズボンのポケットに仕舞う。

「外のホテルに泊まられるようでしたら、九時発車ですのでそれに間に合うようにお戻りください。列車の方で寝泊まりするということなら、駅は日付が変わる頃まで開いています。じゃあ、行ってらっしゃい」

「行ってきます」

 私は車掌さんにお辞儀をして、入ってきたのとは反対側の扉から出た。


 駅前に出ても人は居ない。辛うじて駅前通りに面したお店は開いているけれど、開いているだけで声なども聞こえてこない。なんというか、静かな街だった。

 ひとまず、駅前を右に曲がった。なんとなく、だ。

 右には線路があって、左には建物が立ち並ぶ。静かだからこそ、靴で地面を鳴らす音がよく聞こえてちょっと楽しい気持ちになる。元々住んでいた街の地面は踏み固めただけの土だっただけに、石畳を踏む音が心地よいのだ。天気も良くて風も気持ちがいいから、鼻歌を歌いながらゆっくり歩いた。


「ふざけんじゃねぇお前!」


 街が保っていた静寂は、一瞬にして消え去った。

「なんだお前クソこの野郎が!」

 二人の男の罵声が街に響いて、静かで誰も居なかった街に人が出始める。その殆どは、部屋着だったり、そもそも下着のままだったりと外に出るような恰好はしていない。

「黙れ! お前のせいでこちとら死にかけたんだぞ!」

 少し先まで歩くと徐々に音源に近づいて、大きな人だかりに当たった。猶も喧嘩は続くけれど、周りの人達がそれを止めることは無い。ただみんな、茫然と二人が言い合い、そして殴り合い始めるのを見ていた。私とて、何もすることは出来ない。

「お前たち! やめなさい!」

 二人が顔から血を流し始めた頃に漸く警察が到着して、二人は互いを殴り合うのを止めた。けれど、警察に抑えられても相手を睨むことは止めない。ただ、辺りは静かになった。

 少しずつ、喧嘩を見ていた人が散り始め、それと同時に喧嘩をしていた二人も連れていかれ、最後に残ったのは私と、白髪のおじいさんだけだった。

「お嬢ちゃん、見ない顔だね。さっきの列車で来たのかい?」

 おじいさんは、私の方を見ていなかった。そのしわがれ掠れた声を聞いて、どうしてか私は少しだけ安心した。

「はい」

「そうかい。君は、武器を持っていないね。女の一人旅は危ないものだよ」

「武器、ですか?」

「ああ、そうだ。今見ていただろう? 人間というのはああやって、他人を簡単に傷つける。物理的にも、精神的にもな」

 ゆっくりと、おじいさんは腕を持ち上げた。手を、拳銃の形にして、何もない道のどこかに狙いを付けているらしかった。

「相手が武器を持っていたら、自分を明確に傷つけようとする誰かが武器を持っていたら、君はどうする?」

 拳銃は、次の瞬間私のこめかみに向けられた。

 ――そうなったら、私は死ぬしかないだろう。

「死にたくは、ないだろう?」

「はい」

「……そうだろうなぁ。私もそうだった。すまないね、楽しい旅行だったかもしれないのに」

 楽しい旅行では、ないと思う。楽しくない旅行かと言われると、それもまた違うけれど。

「お詫びと言ってはなんだが、儂の家でお茶でも飲むかな」

「いただきます」

「では、行こうか」


「お嬢ちゃんは、どうして旅を始めたのかな」

 道は緩いカーブを描き、やがて川と合流する。線路から少し離れただけなのに、さっきまでの石畳は無くなり、土手の上に作られた道は他人があるいて踏み固められただけのもののようにも見えた。

「本当の両親と会いたいんです」

「そうか、君には、目的があるんだな」

 川の流れは、平地だと言うのに早かった。

「儂には、目的が無かった。ただ、旅をしていたんだ。明確な目的も無いのに、邪魔をする奴は殺した。時には、女子供もな」

 ゆっくりと歩くおじいさんの背中は、そんな風には見えなかった。

「あるとき、女が出来た。それから、儂はもっと人を殺した。でも、彼女は殺されてしまったよ。儂に殺された人間の家族にね」

 目には、涙が浮かんでいた。

「儂は、とんだ殺人鬼だ」

 私は、何も言えなかった。ただ、おじいさんの後ろを、同じペースでゆっくりと歩いた。それしか、出来なかった。

「どうしても、人間ひとを殺さないといけなかったんですか」

「殺さねば、殺される。この領内なら、そんなことにはならないかもしれんがな。だからこそ、儂はここに住んでいる。でも、この領を出たら、社会が変わる。文化も、価値観も、みんな変わってしまう。そうしたら、お嬢ちゃんにも解る日が来る。…………そこが儂の家だ」

 川沿いの道と、川から離れる道の叉になっている部分に、小さな小屋が建てられていた。木造で、壁には至るところに隙間があいている。言ってしまえばオンボロな家なのだけれど、どこか暖かさのある不思議な家だった。

「さあ、お入り」

「お邪魔します」

「土足で構わないよ。そこの椅子に座っていておくれ」

「ありがとうございます。……旅は、楽しかったですか?」

 私はおじいさんにそう聞いた。

「ああ、旅は楽しかった。一人で気楽に旅をするのも、この人だと決めた女と旅をするものね。本当に楽しかったさ。仮令、他人ひとと殺し合わなくてはいけないものだとしても、な」

 薬缶を火にかける音で、部屋の中は満たされる。外からは、鳥の鳴く声ばかりが聞こえて、人が居る様子は全く感じられない。やはり、静かな街だった。

「紅茶でいいかな」

 おじいさんの方を見て、頷く。

 狭い部屋の壁は棚で隠れて見えない。旅のことを記した本や、古い小説みたいな本、それ以外にも大きな箱、小さな箱、或いは鞄のようなものまで、色々なものが一緒くたに置いてある。

「旅は、楽しかったなぁ」

 おじいさんは、もう一度、独り言のようにそう言った。


「老い耄れに付き合ってくれたお礼に、こいつをやろう」

 私がカップを洗う後で、おじいさんはそう言った。

 手を止めて振り返ると、おじいさんはさっきまで棚に置いてあったやや小さめのトランクケースをテーブルの上に載せていた。

「なんですか?」

「これは、儂が愛した女が持っていた銃だよ」

 カチャリと音がして、トランクケースが開く。中には、確かに銃が一丁収められていた。

「そんな、頂けません」

「そう言わないで、持って行ってくれ」

 おじいさんの目には、また涙が浮かんでいた。

「でも、どうして……愛した人の銃なら」

「儂がどうしてお嬢ちゃんに声を掛けたか解るかい?」

「え?」

「君はな、似ているんだ。あの人にな。遂に儂はあの人を守れなかった。だからこそ、あの人に似ているお前さんがもし死んでしまったらと考えたら、な。儂はもう老いてお嬢ちゃんを守ることは出来ない。――だが、守る手段を与えることなら、出来る。頼む、持って行っておくれ」

 机には、小さな染みがいくつも出来ていた。

 私は、黙ってその銃を手に持った。初めて手に持った銃は、とても重かった。

「頼む、彼女の分も、生きておくれ」


 駅に戻る頃には日は暮れかかっていた。途中、大衆浴場に寄ったからというのもあるのだろうけれど。

 駅員さんにパスを見せて駅に入る。列車は、ちゃんと止まっている。ただ、機関車だけは少し離れたところに止まっていた。

 プラットホームの前の方に歩いて、一番前の扉から列車に乗り込む。

 車掌室と書かれた扉の窓は磨硝子すりがらすになっていて、中に車掌さんがいるかどうかを確かめることは出来ない。

 ひとまず、客室に入って、自分の座席のところに銃の入ったトランクを置いた。

「ああ、ルナさんでしたか。おかえりなさい」

「ただいまです」

「おや、そのトランクは……? 先ほどは持ってらっしゃいませんでしたが」

 トランクの蓋を開けて、車掌さんに中を見せる。

「おや、銃ですか。そう言えば、持っていらっしゃらなかった。お買い物ですか?」

「いえ、貰ったんです」

「貰ったぁ? そりゃまたどうして」

 私は、色々あるんですよ、とだけ言って一緒に貰ったベルトを腰に巻いた。特に長さを調節したりもしていないけれど、一番使っていたらしい、少し草臥くたびれた穴のところでピッタリだった。

「なんだか、嬉しそうですね」

「嬉しいのかなぁ」

 嬉しいのとはちょっと違うような気もするけれど。

「生きる理由が一つ増えたんです」

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