26話 ドレスに着替えて

「えーと……クラリスさん……お待たせしました……」

「はい。では浴室に! ミルク風呂をご用意しておりますのでよく浸かってください」


 気合いがすごい……。これはピカピカになっておかないと怒られそうだ……私はこっそりとミルク風呂にハーブパウダーを足して置いた。

 それからオイルをすり込まれ、爪をやすりで整えられ、髪にこてをあてられて文字通りつむじからつまさきまでクラリスにお手入れをされた。


「ふう……あとはドレスですね」

「お手柔らかにお願いします」

「ふふふ……真白様の好みはもう把握しております。どうです! これなら!」


 ひらり、とクラリスが出したのは深い森のようなグリーンの絹に薄いレース生地が幾重にも重なった、落ち着きと華やかさのあるデザインのドレスだった。


「わぁ……素敵……」

「真白様の髪色に合わせて特急でオーダーしました。アクセサリーはこちらの真珠を」


 ドレスを身につけた私に、クラリスが真珠のネックレスとイヤリングをつけてくれた。小粒な真珠が大袈裟過ぎないで可愛らしい。


「ありがとう……クラリス……」

「フレデリック殿下の前で恥ずかしい格好はさせられませんから。少なくとも私の目の前で……」

「ク、クラリス……その事なんだけど……クラリスはフレデリック殿下の事が……その……」


 す、好きなのかしら……? という言葉を思わず飲み込む。


「誰かに聞いたんですね?」


 ぎらりとクラリスの目が光る。


「……この白薔薇の館に配属された時から、実はワクワクしっぱなしでした。殿下が時々ここに出入りしている事は知ってましたから」

「そうなの……」

「出来る事なら私は……」


 ごくり。私は息を飲んでクラリスの告白を聞いていた。


「殿下の部屋の壁になりたい……」

「壁……? 壁でいいの……?」


 壁じゃなにも出来ないよ? 大丈夫?


「ええ、殿下のおはようからお休みまでをただ見守っていたいです……」

「ああ……そう……」


 私も殿下の事は尊敬しているけど……クラリス……。


「なんですかね。憧れというか、関わりがあればいいなとは思いますけど……恋い焦がれたところで私は爵位もないですし、お妃にはなれませんからね。だったら壁がいいなと」


 壁の方が非現実的だと思うけど。と、私は思ったがクラリスは真剣な顔をしているのでこれ以上ツッコむのはよそうと思った。


「さ、そろそろお迎えの準備に入りませんと殿下がいらしてしまいます」

「そうね」


 私達はこの東の離れ……通称・白薔薇の館の玄関で殿下が来るのを待った。


「やあ、お待たせしたかな」


 時間ぴったりにフレデリック殿下は現れた。いつもの群青に金糸の隊服に勲章やサッシュを身につけている。そんな出で立ちも自然に着こなしている様はなるほど生まれながらの王子様、といった所である。


「いえ、殿下」


 私が笑顔で殿下を迎えると、じっと明るい空色の瞳が私を捉える。


「今日の装いはとても似合っているね。その色のドレスは真白らしい。優しい色で君に良く似合う」

「……ありがとうございます」


 ああ、こう臆面もなく褒められると照れてしまう。顔を赤くする私の横でクラリスは小さくガッツポーズをしていた。こらこら……。


「お言葉に甘えて来てしまったけれど、迷惑じゃなかったかな」

「いえ、とても楽しみでした。まずはお食事までこちらで」


 私とフレデリック殿下は一旦応接室へと向かった。


「今日は私の国の料理を中心にご用意しました」

「真白のいた国、か」

「ええ、海に囲まれた島国です。ですから海産物を良く食べますね」

「海か……ここから一日ほど馬車を走らせた所が我が国唯一の港になるのだが……」

「ええ。街で聞きました。一度行ってみたいですね」

「ああ、とても賑わいのある街だよ。この港の貿易も国の一大事業なんだ」


 フレデリック殿下はにっこりと微笑むと自分の手のひらを私に差し出した。


「ここが王都だとする。ここが港街エンブイユ。元々はここまでがルベルニアの国土だった」

「今より随分北側ですね」

「この港を手に入れる為に魔物の出る不毛の地に国土を拡大し、開拓していったんだ。それでこの……」


 説明しながらフレデリック殿下の一方の手が私の指を掴んで引き寄せた。手のひらの中央をなぞらせて私の顔を覗き混む。


「このあたりがロイン河。国土を縦断する大河だ。この河を通じて……どうした」

「あ……あの……手……」


 私は震える声でそう答えるのがやっとだった。だってこれ、まるで手を繋いでるみたいで……。


「す、すまない!」


 真っ赤になった私を見て、フレデリック殿下はバッと手を引っ込めた。


「あのだな……その……」

「分かってます。あのっ、大丈夫です……」


 殿下が説明に夢中になっただけでこれに深い意味はない。それは分かってる……分かってるけど。


「あの……」


 何とか弁明を重ねようとして口を開いた瞬間、扉がノックされて私は飛び上がった。


「ひゃいっ!?」

「お食事の準備ができました」


 扉を開いて顔を出したのはクラリスだった。


「あ、本当!? じ、じゃあ……殿下、こちらに……」

「あ、ああ……」


 互いにギクシャクとソファーから立ち上がった私達を見て、クラリスの目が細められた。やめなさい、にやにやするのは!

 そんなクラリスに先導されて私達は食堂に向かった。いけない。切り替えなくちゃ。私は気分を落ち着かせる為に一度大きく深呼吸をしたのだった。

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