第7話 僕は誰?

 僕と春海さんは、暫く夜を眺めた。屋上のコンクリートに仰向けになって、星の静かな動きを見守っている。

 空には灰色の雲が漂っていて、その後ろで星々がいくつもの線を描いた。月は遠くて、空は広かった。

 僕は不思議と落ち着いた感じがして、目を閉じる。夜の音が子守唄になって、僕を夢へと誘った。


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 僕は暗い路地裏にいた。街灯が等間隔に果てしなく続いていて、コンクリートの道は何処をとっても少し汚れている。道の先は闇の中で、目を凝らしてもよく見えない。ただ薄暗い直線が続いていることは、何となく、わかる。

 僕は怖くなって、佇んでいると、遠い遠い闇の中から啜り泣く声が聴こえた。

 身体が自然と動く。闇の中に吸い込まれるように足が歩みを進める。僕は何となく、誰の泣き声かわかっていた。

 

 歩く。歩く。歩く。


 進めば進むほど、光は薄く、道はひび割れていく。そうして、光がしぼんで、道が道じゃなくなった向こうに彼がいた。


 僕は訊く。

 

「君は、誰?」


 彼は涙を含んだ声で答えた。


「僕は、僕」


 彼は幼い僕の姿をしていた。まだ新しいお気に入りのシャツと短パンを着ている。やっぱり、と僕は思った。

 僕は「そうだね」と返して、彼に近づいた。彼はまだ、泣いている。


「君も、僕が嫌いなの」


 彼は尋ねた。哀しみと怯えが混在した声だった。


「いや、僕は……僕も、君と同じだから、だから……」


「本当に?」


 不意をつかれた気がした。息が詰まる。


「本当にそう思ってる?本当に僕と君が同じって?だったら何で……」


 彼は一泊置いて、言う。


「『サタン』って呼ぶの」


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 夢から覚めた時、フェンスの間から朝日が差していた。隣を見ると春海さんはいなくなってた。

 僕はとぼとぼと家に帰り、「ただいま」と言う。返事はなかった。

 

 リビングにはお母さんがテーブルの上に寝ていた。安らかな吐息と優しい寝顔をしている。

 毛布をかけると、お母さんの袖が濡れているのに気づいた。僕を想ってのことだと思う。

 嬉しいことだった。しかし、どこか素直に取れない自分がいる。捻くれた自分が、さっきの夢を掘り返してくる。

 お母さんは、誰のために泣いているのだろう。誰のために心配して夜遅くまで起きていたのだろう。僕の思う僕と、みんなの思う僕。そして、お母さんの思う僕。そこに、彼はいるんだろうか……。

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