非日常的な学園のアイドル
無理だ。不可能だ。
鈴木は一人、校舎裏で愕然としていた。たとえ、第二ボタンを曽良から受け取ったとして、それをどう三人の少女に渡すというのだ。どうせ、「一個じゃ足りないわよ」とか難癖つけられるに決まっている。いや、もしかしたら「学ランじゃなくてもいいから、第二ボタンをもっともらってきなさいよ」とか無茶な注文を突きつけられるのかもしれない。
どうあっても再びあの三人にたかられるのは目に見えている。気が重い一日になりそうだ。
卒業式の朝、校舎裏で、一人のいたいけな少年が重いため息をついた。
そのときだった。
「あんたってさ、絡まれるのが趣味なわけ」
突然、鈴木の放つ負のオーラをかき消すような明るい声が響き渡った。
鈴木はぎょっとしてあたりを見回す。が、あるのは桜の木と焼却炉だけ。まさか、妖精?
「そこで待ってなさいよ」
ざあっと桜の木が騒ぎだし、花びらが渦となって空へと舞い上がっていった。まるで鈴木の視線を誘導するかのように――。
鈴木はハッと気づいて背後を見上げた。
「今、行くから」
「!」
校舎の二階の窓に、一瞬だが、はっきりとその姿を見た。花びらが舞う中、ウェーブがかった黒髪をなびかせ、身を翻す少女の姿が。
鈴木は呆然と立ち尽くす。
夢うつつをさまよっているかのような気分だった。今なら幽体離脱もこなせる気がした。
木々の騒ぐ音が遠のき、やがて鼓動が聞こえてきた。トクン、トクンと胸の奥で静かに脈打つ心臓。緊張感が身体に絡みつく。
夢ではない。現実。現実に、彼女が自分に声をかけてきたのだ。想い焦がれた、あの学園のアイドルが。
そして、今、ここに向かっている。自分の元へ――。
鈴木は頭を振って、あたふたとし始めた。右に飛んだり左に飛んだり、傍から見れば挙動不審である。
「な……なんで? 何の用件で? って、あ!」
浮き足立ったのもそこまで。鈴木は急にぴたりと動きを止め、目を見開いた。
ほんのりと春色に染まっていた鈴木の顔が、一気に青ざめる。そりゃそうだ、と鈴木は自分を殴りたくなった。なにをどう勘違いして、浮かれていたんだ。彼女が自分に用があるとすれば、昨日のことしかないだろう。
「謝ろう。謝るんだ!」
それしか無い。鈴木はぐっと両手を握り締めた。
いや、しかし……。
――頭を下げたところに踵落としがきそうだけどね。
「パンチラも割に合わないー!」
「うるっさいわね。なに意味の分かんないこと叫んでんのよ?」
「!」
心臓が一際大きな脈を打った。
鈴木は息を呑み、ゆっくりと振り返る。
きりっとこちらを見つめる大きな瞳は、映りこむのが畏れ多くなるほど澄んだ、まるで水晶のよう。ひらひらと舞うスカートからのぞくほっそりとした白い足。さくさくと草を踏むたびに揺れる黒髪。悪戯好きの天使のような、あどけない顔立ち。
鈴木は呼吸も忘れて、彼女に魅入っていた。
学園のアイドル、藤本砺波。やっぱり、可憐だ。歩いているだけで、絵になってしまう。桜の花さえ、彼女のために天が用意した飾りに思えてしまう。
彼女のためなら散れる。――男なら誰でもそう思うことだろう。彼女を一目見ただけならば、だが……。
「で!?」鈴木の前で立ち止まるなり、さっそく砺波は高飛車な態度で訊ねるのだった。「何の用だったわけ?」
「は!?」
ここで待ってろ、と言ったのは彼女のほうだったはずだが。
「話、あったんでしょ? わたしに」
「話……ですか?」
「昨日よ!」怒声を上げたと思ったら、砺波は急に勢いを失くしてばつが悪そうに視線を逸らした。「悪かったわよ。わたしの早とちりで、蹴り倒して」
謝られているのだろうか。高圧的な口調のせいで脅されているようにしか感じないのだが。
ぽかんとしていると、砺波は呆れたような笑みで肩をすくめた。
「本当に『気合い』いれてもらってたらしいじゃない。曽良から事情は聞いたわ」
鈴木は思わぬ名前に目を丸くした。
「藤本くん?」
「そ。真夜中に押しかけてきて、何の話かと思えば……」
鈴木はぽかんとしてしまった。真夜中ということは、映画のあと。誤解を解きに行ってくれていた? 頼んでもいないのに……。
「だから、チャンスをあげる」
「チャンス?」
「言っとくけど、これ……最後のチャンスなんだから!」
「あの、なんの話を……」
「わたしだって、ずっと気になってたのよ」
恥ずかしそうに頬を赤く染め、地面に絵でも描くようにもじもじと脚を動かす砺波。――可愛すぎる。
鈴木の顔は真っ赤に染まっていた。
「たぶん……あんたから言ってくるの、待ってた」
「待ってた、て……」
なんだ、この展開は?
嵐を予感させる激しい風が校舎裏を駆け抜けていった。
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