第五章 嵐夜

第1話 再会


 清楓さやかはネットの検索でも万策尽きて、少し外を歩いて心を落ち着かせ、改めて考えようと思い立った。煮詰まった時は散歩に限るというのが、彼女の持論である。


 パタパタと外に出られる服装に着替え、重々しくゆっくりと開く扉をイライラして待つ。そして、パッと外に出た時、自動運転なのに運転手のいる、高級車がマンションの前に止まった。


 その車から、ゆっくりと少女が降りて来る。長い黒髪、意思の強そうな瞳に不釣り合いな、おっとりとしたお嬢様の顔立ち。


真友まゆ……」


 玄関の前で、久々の邂逅。


 清楓さやかは彼女にどういう態度を取ればいいのかわからず、立ち尽くしてしまったが、真友まゆはくしゃっとその表情を崩したと思うと、走り寄って少女に抱き着いて来た。


「ごめん、ごめんね清楓さやか

「何? 何に謝ってるの」

「お父さんの事」

「あれは正当防衛だよ、事故でしかない。真友まゆのせいじゃないよ」


 久々の親友の声。嬉しくて清楓さやかは抱きしめ返した。


「だが、娘はおまえの父親のせいで人殺しだ」


 車から、身ぎれいな五十手前の紳士がゆっくりと降りて来た。丁寧に撫でつけられた髪には白髪が混じるが、その顔にシワは少なく、細い銀色のフレームの眼鏡が知的。

 すぐに彼が、真友まゆの父であると直感した。

 長髪の少女は頭だけで振り返って叫ぶ。


「だからといって、それが清楓さやかに一体何の関係があると言うの!?」

「日夏だけは許せん」


 自分の言葉を聞く気すらない父親に、真友まゆは怒りの目線をぶつけると、再度、清楓さやかに向き直る。


「私、携帯も取り上げられて、連絡できなかったの。それなのに三学期前に転校させられるって。あなたと二度と会えないようにされるって! 最後になるならって、やっと連れてきてもらったけど最後になんかしたくない」


 男はその紳士的な見た目に似合わぬ乱雑さで、清楓さやかにすがりつく真友まゆの肩を強引に引き、清楓さやかを突き飛ばした。


「二度と娘に近づくな」


 そう吐き捨てたが、少女の様子のおかしさに気付く。それほど強く突いたつもりではなかったが、彼女は踏みとどまる事ができず、手をついて受け身を取る事もなく、不器用に背中から地面に倒れ込んでしまったのだ。


「パパ! 何するのよ」


 肩を掴んでる父親の手を振り払い、慌てて真友まゆは親友に駆け寄り、抱き起す。


清楓さやか大丈夫? パパがごめんね! ……清楓さやか?」


 倒れた少女の目が少し虚ろで、しかもどんどんその体の力が抜けて行く。


「何をしているんだ!」


 少女が突き飛ばされるのを見て、叫びながら駆け寄って来たスーツ姿の男は富沢とみざわだった。彼はライザの件で清楓さやかに会いに来て、偶然その場面に居合わせる事になったのだ。

 慌てて真友まゆの腕の中の少女の様子を見る。

 もう完全に目を閉じてぐったりとしている事に彼は衝撃を受け、怒りを持って突き飛ばした男を睨みつけた。


「あなた、こんな子供に何て事を」

「いや、私は、そんな強くは」


 茫然と立ち尽くす役立たずの中年の紳士に、富沢とみざわは舌打ちをすると、急いで救急車の手配をし、十数分後には少女は一番近い救急病院に搬送された。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「随分と進行しています」


 真友まゆは検査室の外の椅子に座って、しくしくと泣いていた。

 立っている二人の大人を前に、医師が説明をする。


「彼女はヴィルケグリム症候群ですね。埋め込まれているICチップの処方箋データを見ましたが、一番強い薬を使ってそれでも進行が止まってない様子かと」


 それを聞いて、富沢とみざわも、真友まゆの父である新里にいざとも言葉を失う。


「ヴィルケグリム症候群は、今は、命に関わらない病気ではななかったのかね」

「それは薬で進行が止まった場合ですよ。多くはありませんが、進行が止まらない重症患者もいますので。完治手段は移植手術のみ。今はその手術の許可も下りない状況ですから、彼女のようになっている患者は他にもいるでしょうね」

「何故、手術の許可が下りないんだ? 一度はあったのだろう?」


 富沢とみざわは疑問を口にする。


「ドナーが少ない事もありますが、倫理的にどうなんだという意見も多いですから。とにかく当院では彼女に出来る事はないですね。今の状態は一時的なものなので、目が覚めれば回復していると思います。主治医がいるはずなので、そちらに相談されるのが良いでしょう」


 立ち去る医師の背中を、男二人は言葉なく見送るしかなかった。

 富沢とみざわはしくしくと泣いている少女に目を向けると、その隣に座った。


「もしかして、日夏君の一番の親友というのは貴女かな」

「はい、新里真友にいざと まゆです」

「そうか、貴女が」


 富沢とみざわは前で両手を組み、再び優し気な目線を少女に向けると、その瞳には元気で性格の良さそうな女の子が映りこむ。自分の妹の欠片をその身に持つと思うと、妹がまるで生きてここにいるようにすら思えた。

 立ち尽くしていた中年紳士も、少女を挟み込むような形で俯いたまま座り込んだ。


真友まゆちゃんのヴィルケグリム症候群は完治したんだね」

「君、何故それを!?」


 新里にいざとがバッと顔を上げて、娘の隣に座る青年に驚きの目線を送る。富沢とみざわは腕を組んで天井を見上げる。


「僕は、そのドナーの兄です」


 真友まゆは、眠そうな顔の青年が、遠い目をし、上を向いて涙が落ちないように耐えている姿を見た。


「妹さんは、あなたの事を何て呼んでおられましたの?」


 真友まゆはそっと、彼に質問を投げかけた。思いもよらぬ質問に富沢とみざわは狼狽えたが、目を閉じてゆっくりと過去を思い出し、甘えるように微笑みながら、自分に向けて呼びかけて来る顔に重なる言葉をを口にする。


「おにいちゃん、と」


 少女は、身体全体で彼の方を向くと、少し恥ずかしそうに、彼に呼び掛けた。


「おにいちゃん」


 驚いた顔をした富沢とみざわの目から、涙が伝い落ち、慌てて拭おうとした時、真友まゆの父からハンカチが差し出された。躊躇とまどいつつそれを受け取り、使わせてもらう。涙が留めなく溢れて来るからだ。


「良い子に、命を使ってもらって、妹は、満足していると、思います」


 それだけを精一杯、言い切った。


 今もなお、提供する事を妹が本当に承諾したのか、気にはなる。だがそれを今更知っても、妹が生き返る事はもはやないのだ。それを改めて実感し、辛くてたまらないが、妹の命が無駄にはなっていないその結果が、今、この目の前にある事が彼の心の慰めになっていた。


 紳士は愛娘の肩に手をまわして、涙する男性を見てはいけないというように、自分の方にその顔を向けさせる。


真友まゆすまない、私はとんでもない思い違いをしていたようだ」



 ずっと、不要な手術を強行されたと思っていた。

 世界的に見てもそれほど行われていない手術で、調べるには限界もあったし。

 だが、娘には必要な手術だったのだ。


 手術が決まった事を周囲に告げた時、皆が口々に忠告をして来て。


「社長、今は良い薬があって、そんな危険な手術は必要ありませんよ」

「先例がろくにない手術なんて、人体実験ではありませんか」

「一部とはいえ、脳の移植でしょう? 手術後はお嬢様と言えますかしら」


 ……。

 医師の言葉より、まわりの意見と忠告の方を優先してしまった。そちらの方が、受け入れやすかったから。


 日夏は、娘を実験台にしたのではない。



 自らの孫娘を優先する事無く、その信念でより重症の患者の完治のみを目指したと知った。もし手術を受けていなければ、ベッドに横たわるのは我が娘だったのだ。

 あの日、日夏が「重症順」と言った事を思い出す。


 そこに看護師が歩みより、清楓さやかが目覚め、状態も落ち着いているようなので連れて帰っても構わないと告げた。


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