第6話 手負の獣


 一人暮らしにしては広い部屋。


 普通のファミリー層向けの間取りで、キッチンとダイニングも別。広いリビングにはソファーとガラスのローテーブルがあるのみで、他に家具はない。

 三部屋あるうちの二部屋は、未開封の段ボールがいくつか放置されているだけで一切使用されている気配はなく、彼女は一番小さな部屋だけを寝室として使っている感じだった。


 お洒落さ優先のリビングの灯りは、オレンジに近い色で薄暗い。


 ソファーの上に体を横たえる男の傍に、清楓さやかはしゃがみ込んだ。


「この怪我、どうする?」

「おまえ、超能力は?」

「自身テレポート一メートル、念動力テレキネシス推定二キログラム、Cランク」


 もう暗記してしまった自分の能力を告げる。

 男は少し、鼻で笑ったが、それは彼女の能力をけなすものではなかった。


「俺は運がいい。手伝ってくれ」


 ぱっと男は清楓さやかの左手を自分の右手で掴んだ。清楓さやかの手に比べると、大人の男性である彼の手は大きく、完全に包み込まれてしまう。

 突然の事に少女の体がビクっと反応したため、男が少しその手を緩めた。


「すまない、粗雑で」

「いきなりで、びっくりしただけだから。何を手伝えばいいの」

「弾を抜く」

「え!? もしかして私が抜くの?」

「頼む」


 突然、清楓さやかの脳内に、弾の位置が伝わって来る。

 弾はぎりぎり当たってしまったという位置で、脇腹で止まっている。内臓を傷つけるような位置ではないが、このまま体内に残っているのは良くないというのは、特に医学知識のない彼女にも理解出来た。


「あなた、接触テレパスなのね」

「そうだ。見えたか?」

「うん」

「そのまま、念動力テレキネシスでゆっくりまっすぐ抜いてくれ」

「怖いよ、出来るかな……」

「おまえ、シートの紐をそれで解いたのだろう? 器用だ、いける」


 体の動かし方は不器用そのものだったが、彼女の超能力の使い方は上手かった。重量は二キロまでという制限があるが、それ以下の物なら細やかに動かす事が出来ている。幼い頃に、自分の髪にリボンを結んだり解いたりをして培った技術。

 超能力診断では、そのような部分まではわからない。


 少女の左手は男に掴まれたままだったので、残った右手で男の服を胸のあたりまでまくり上げると、頭に入って来る映像と、今、目の前に見えてるイメージをそのまま重ね、慎重に弾を動かしていく。

 特に何も言わないが、やはり痛むのか男の握力は徐々に増す。


「……っ!」

「抜け、あっ」


 抜けた瞬間、傷口から血がグワッと溢れ出しそうになり、彼女は超能力を使うのをやめて弾を床に捨て、男の手を振り払うと、傷口を反射的にタオルで抑え込んだ。


「……いい判断だ」

「何で、こんな事してるの私」


 しばらくの時間そのままでいたが、そっと力を抜く。タオルをどけると、血は滲みだして来るが、溢れ出すという事はなくなっていた。

 彼女は走って洗面所の戸棚から救急箱を出すと、中から取り出したボトルから直接、ばしゃっと音を立てて消毒薬をかけ、ガーゼを取り出し、切らずに分厚い束のまま傷口に押し当てると、ダクトテープで抑え込んで貼り付けた。


「おまえ、戦場の兵士みたいな事をするんだな」

「包帯がないの、ごめんね! 剥がす時、痛いと思うけど」


 少女は救急箱の中身を再び覗き込む。


「痛み止め、飲んでおく? でもさ、やっぱ、病院に行った方がいいよ」

「……ロキソプロフェン辺りが入ってる薬をくれ」

「もうっ」


 鎮痛剤の錠剤を出すと、コップに水を汲んで来て手渡した。


「ねえ、名前を聞いてもいい?」

「ポチでもジョンでも、好きにつけるといい」

「ほんとに、犬扱いするよ?」


 薬を飲む男を見下ろしながら、腰に手をやってぷんすかしてる仕草が子供のようで、男は笑った。笑うと傷が痛み、反射的に左目だけ細める。コップを彼女に返すと、一呼吸置いて表情を戻し、改めて彼は自己紹介をした。


窪崎くぼざきだ。窪崎匡裕くぼざきまさひろ

「私は日夏清楓ひなつ さやかよ」

「日夏? こういう部屋に住んでるし、家族は医者か何かか」

「おじいちゃんが千葉区で小児科の病院をやってるよ」

「……俺は本当に運がいい」

「何が?」


 男は目を閉じ、口の端だけで笑った。


「可愛い天使に拾われて、運が良かったと言ってる」


 いきなり臭い台詞を言われ、反射的に清楓さやかは赤面した。


「うるさいわね、ポチ!」

清楓さやか

「な、何よ」

  

 低音気味のちょっといい声で、名前を呼ばれると、なんともくすぐったくなって、彼女は更に赤面してしまった。


「少しの間、飼ってくれ」


 清楓さやかは流石に躊躇した。だが放置もできず、怪我人を外に放り出す訳にもいかない。始めてしまった事は、終わりまでやるしかないのだ。

 

「いいよ。何かペットを飼いたいとは思っていたから」

「ここは、ペット可なのか?」


 男はキョロキョロと部屋の周囲を見渡す。何もない殺風景な部屋が、彼の視線の先に広がっていた。


「吠えたりしなきゃね」

「任せろ」


 男はそう言うと目を閉じた。

 少女は、何でこんな事になったのかも聞きたかったが、自分も疲れていたし、彼もこれ以上は無理をさせない方が良さそうだった。


 清楓さやかはローテーブルをソファーに近づけるように押してずらすと、男が手を伸ばせば届く場所に、コップとポットに水を入れて置いた。痛み止めがまた必要になるかもしれないので、救急箱はそのままに。

 そしてソファーの背側から、自室から持ってきたタオルケットを男の上にかける。

 彼はすでに寝息を立て始めていたので、清楓さやかは音を立てないようにシャワーを浴びにバスルームに行き、フリースのもこもこパジャマを着て歯を磨き、自室に戻ると机の上の薄いモニターに出ている表示を覗き込む。続けてキーボードをパカパカ叩いて、メッセージを送信。


『今日は超能力診断の日でした。結果は従来と変更なし。それ以外はいつもと変りない一日です』


 画面に残る自分のメッセージに、数秒後にはポコっと音を立てて既読のマークが付く。


 何の感情も伴わない冷たい目で少女はそれを確認すると、ベッドに身を投げてしばし転がっていたが、やはり疲れていたのかほんの数分で眠りに入ったようで、静かな寝息を立て始めた。


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