第一章 ~『逃げる方向とハイゴブリン』~


 アルドとカイトの二人は鬱蒼とした森を進む。彼らの視線の先には逃げていくハイゴブリンの背中があった。


「この先に癒しの血を持つ龍がいるんですね」

「ハイゴブリンたちの逃げる方向がすべて同じだからな」


 弱者は強者に救いを求める。二人の間に共有されている理解が歩みに迷いをなくしていた。


「おかしいですよ、アルドさん……このまま進むとランド村なんです」

「もしかすると村に龍が現れたのかもしれないな……」

「まさか、ありえませんよ。ランド村に入り込んできた魔物なんて今までいなかったんですから」


 人が魔物を恐れるように、魔物も人を恐れる。大勢の人で賑わうランド村に足を踏み入れる愚かな魔物は過去に例がない。


 それは祖父が討伐した龍でさえそうだ。商路を進む村人を襲ったが、村にまで侵入することはなかった。


 だがその考えこそが間違っていると、アルドは否定する。


「過去百年無事だとしても、その次の日には平穏が崩れることもある。俺もそうだったからな」


 アルドは生まれ育った村を襲撃された日のことを思い出す。同じ苦悩をカイトに味合わせたくはない。その願いが歩みを早める。


「村に急ごう!」

「は、はいっ」


 ハイゴブリンたちを追いかけていては手遅れになるかもしれない。彼らを追い越し、ランド村へと急行する。


 森を抜け、見慣れた景色が姿を現し始める。だがその光景はどこかいつもと違っていた。


「アルドさん、あれ!」

「予想は的中したようだな」


 夕焼けが照らすように、ランド村は赤く燃え、たなびく白い煙が空を染めていた。


 煙の向こう側では巨大な影が蠢いている。揺れる尻尾と、羽ばたかせる翼。近づくことで輪郭が鮮明になり、深紅色の鱗の赤龍が露わになる。


「やっぱり別種の龍がいましたね」


 龍の爪は鋭く尖っている。体躯は森の中で倒した緑龍よりも小さいが、それでも人と比較すれば見上げなければならないほど巨大だ。


 さらに赤龍は口から炎を吐いている。広範囲に殺傷能力の高いブレスを放つのは、それだけで脅威となりえた。


「だ、誰か、助けてくれ!」

「こっちで人が倒れているぞ!」

「あっちの家は倒壊だ!」


 悲鳴と狂騒が村のあちこちで響き渡る。声に反応したアルドは、いつの間にか動き出していた。


「大丈夫か?」


 アルドは倒れている子供に駆け寄って声をかける。逃げる途中に転んで怪我をしたのか、膝を擦りむいていた。子供は泣くのを必死に我慢しているが、目尻に涙が浮かんでいる。


「我慢できるなんて偉いぞ。一人で逃げられるか?」

「う、うん」

「森には魔物がいるから、街へ向かって走れ」

「わ、分かった」


 アルドの助言に従い、子供は森とは逆方向へ駆ける。その背中を心配そうに見つめていた。


「本当は一緒に付き添ってあげたかったがな」


 被害の原因である龍を倒さなければ、この地獄は終わらない。少年の無事を祈りながら、龍のいる村の中央広場へと急ぐ。


「アルドさん、ゴブリンが!」

「俺に任せろ!」


 アルドが腰から剣を抜き、ハイゴブリンの首を刎ねる。舞う血飛沫を浴びながら、彼の眼が苦悩に染まる。


「どうかしたんですか?」

「村の様子を見てみろ」

「あっ!」


 ハイゴブリンは逃げ纏う村人を襲っていた。龍が起こしたパニックのせいで、正常な判断力を失っている村人たちは、戦うことをせずに、ひたすらに逃走を選択する。


 その逃げこそが間違いだった。背中を見せる弱者をハイゴブリンは放っておかない。纏わりつくように、村人の身体に牙を突き立てていた。


「ハイゴブリンの魔の手から村人を守らなければならない。俺は龍を倒すから、君はゴブリンを――」

「いえ、僕が龍と戦います」

「だがそれは……」


 ハイゴブリン相手ならカイトでも十分に戦えることは証明してきた。しかし相手が龍となると話は別だ。


 強固な鱗で守られ、口から火を噴く赤龍を一人で相手できるのか。無理だと、アルドの直観が告げていた。


「僕一人ではきっと勝てません。でも時間を稼ぐくらいはできます」

「だが……」

「アルドさんの方がより早く村に蔓延るハイゴブリンたちを処理できます。一人でも多くの命を救うために、僕が龍の足止めをするのが最善なんです」


 カイトは超えてきた死闘のおかげで覚悟を瞳に宿すに至っていた。頼り甲斐さえ感じる瞳を前に、アルドは仲間を信じることに決める。


「龍の相手は任せた。何とか時間を稼いでくれ」

「はいっ」


 アルドと別れたカイトは一人中央広場へと向かう。噴水の置かれた広場には赤龍を取り囲むように人混みができていた。


「どうして逃げないんだ……」


 人混みを掻き分けて、中央の見える位置へと顔を出す。人々の視線の先には、赤龍と対峙する見慣れた男の顔があった。


「ヤマトッ」


 裏切り者の幼馴染であるヤマトが額に汗を流しながら、赤龍と刃を交わしていた。群衆は彼の勝利を信じているのか、キラキラと期待の眼を向けている。


「ヤマトさんなら勝てます!」

「ランド村の希望はあんただっ!」

「さすが次期村長のヤマトさんだっ!」


 応援を受けて、ヤマトは剣をさらに強く握りしめる。赤龍の振り下ろした鋭い爪を、白銀の刃で捌いていた。


「ヤマトさん、炎が来ます!」

「分かっている!」


 炎のブレスを防ぐために、ヤマトは赤龍の懐に入り込む。遠距離の敵を薙ぎ払える必殺の攻撃も、触れられる距離では意味をなさない。


「でやあああっ!」


 ヤマトは剣を振るう。しかし龍の鱗は鋼のように硬い。彼の剣の腕では傷一つ負わせることができなかった。


「クソッ」


 悪態をつくが、そんな暇はすぐに無くなる。天高く振り上げられた爪が再びヤマトへと振り下ろされたのだ。


 白銀の刃で再度受け止める。だが衝撃を逃し切ることはできなかった。吹き飛ばされたヤマトは地面を転がって、土埃をあげた。


「ヤマトさん、立ち上がってくれ!」

「あんただけが村の希望なんだ!」

「次期村長の威信を見せてくれ」


 声援を受けて、ヤマトは立ち上がる。しかし彼の膝は受けた衝撃が原因で震えていたし、それに何より唯一の武器である剣がポッキリと折れていた。


 武器がなくとも素手で戦えると、村人たちは無責任な声援を送る。だが声援はヤマトの心に勇気を沸かせるどころか、闘志を崩壊させる結果に至った。


「はははっ、む、無理だ。俺は戦えない……」

「ヤマトさん!」

「だって仕方ないだろ。武器もないし、身体もボロボロ、おまけに相手は火を噴く龍だ。こんな怪物に敵うはずない」


 心を折られたヤマトは逃げ出そうと背中を向ける。


 期待が高ければ高いほど、裏切られた時の失望は大きくなる。声援を向けていた観客たちは、逃げ出そうとする背中に心無い声をかける。


「この卑怯者!」

「最低、クズ、弱虫!」

「次期村長のくせに村人を見捨てるのかよ。死ぬまで戦え!」


 一度火の点いた中傷は止まらない。言葉の棘はドンドンと鋭くなり、逃げ出そうとするヤマトを追い詰める。


「うるせええええっ」


 だがヤマトにとって村人たちからの失望よりも、目の前で聳え立つ巨大な赤龍の方が恐ろしかった。この生物から逃げられるのなら、誰に何と言われても構わないとさえ思えていた。


「いてっ!」


 村人が投げた石がヤマトの頭に当たる。その衝撃で転んだ彼は迫ってくる赤龍を怯えた目で見上げた。


「か、神様……」


 死を覚悟したヤマトは祈りを捧げる。振り下ろされようとしている龍の爪を前にしては、恐怖を耐えるように目を瞑ることしかできない。


 だが衝撃は襲ってこない。ゆっくりと瞼を開けると、ヤマトの視線の先には、見慣れた男の背中があった。龍の爪による攻撃を彼が庇ったのだと知る。


「久しぶりだね、ヤマト」

「カイトッ!」


 龍の爪を受け止めながらカイトは不敵に笑う。その凛々しい顔つきは、まるで別人のような頼もしさを感じさせるのだった。


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