bloom ~高校生が江戸の植木職人に~

bloom ~高校生が江戸の植木職人に~

著・とまと

https://kakuyomu.jp/works/1177354054917253923


 雪姫の願いにより享保二十年にタイムスリップした高校生の真と一樹は、植木職人として奮闘しながら雪姫に笑顔を咲かせた物語。


 読後は面白かった。

 時代考証は、こだわればいくらでもこだわれる。厳密に細部まで書き込めばいいのか子供が読んで楽しめる時代劇レベルのもので良しとするのか、その判断は作者がするところだろう。人物描写は少なく、話の中心となる染井村の霧島屋についてはこだわって調べていると思った。

 プロローグはあるけどエピローグがない。内容としては「ブラックコーヒーとイチゴパフェ」がエピローグにあたる。現代に戻ってきたんだということがわかるサブタイトルをつけたかったのかもしれない。プロローグも、「甕の底」みたいなサブタイトルをつけてよかったのではと考える。

 現在過去未来の流れでお話は作られている。この順番は読みやすい。

 高二になったばかりの四月にタイムスリップした一樹と真が、江戸時代の染井村の植木商「霧島屋」で働く様子からはじまる。

 職人頭の亀吉に、花卉の苗が植えられる予定の筒状の甕の底に水はけ用の穴を開けるよう言われ、どうやって穴を開けるか考えながら一樹が、江戸時代に真を連れてきたことを謝るのだ。

 植木鉢のように花の苗を甕に入れるには、水はけを考えて穴をあける必要があり、その穴のことを後穴という。江戸時代の遺跡からも発見されているから間違いない。

 どうやって江戸時代にきたのか読者に興味を抱かせながら、物語が始まっていく。 

 東京在住の彼らは同じ高校に通っている。普通科で目立つタイプの一樹とは違い、特進クラスの真はあまり目立たない。接点のない二人だが、帰宅時に会うと一樹は真をさそって寄り道をするという。どうしてそんな関係になったのかは書かれていない。

 一樹の家は父が植木屋、母が花屋の園芸一家。話すことの九割が花や草木のことだという。そういった話は書かれているが、彼らの容姿の描写がないのでイメージしづらい。

 一樹に公園からつながる林道で花の撮影をするから付いてきてほしいとお願いをされ、断ったはずなのに真は連れて行かられる。一眼レフで植物の撮影をはじめてること三十分。天候がかわって雨が降り出す。木々の鬱蒼の中に小さな祠と岩穴を見付け、二人は岩穴へ雨宿りをする。

 学校帰りに寄り道できる場所に公園からつながる林道があるというのは、東京のどの辺りなのだろう。染井村があったのは東京都豊島区駒込辺り。江戸の大名庭園の一つである六義公園あたりか。

ここではツツジの原種や様々なツツジの品種を四月から五月上旬にかけて観賞できる。

 岩穴の奥へと入り込み、ぐらりと揺れて体制を崩して倒れるも、地面につくことはなかった。タイムトラベルの始まりだ。

 真は染井の霧島屋の座敷で目を覚ます。一樹をカピタンさんと呼ぶおばあさんは、一樹の話す言葉がわからなかったのか、真を通詞さんと呼んでいた。

 カピタンとは江戸時代、マカオ~長崎間のポルトガル貿易に最高の権限を持ち、マカオ滞在中は同地の最高行政官、長崎ではポルトガル人代表を務めたカピタン・モーロことだ。

 ただ、カピタンの名称は他の外国人にも用いられ、中国人の代表をカピタン、オランダ商館長もオランダカピタンとも呼んだ。つまり、二人を外国人と呼んだのだろう。

 真が「今って何年ですか?」とおばあさんに尋ねれば、「今ですか? 享保二十年でございますよ」と答えている。

 はたして当時の人は正しく何年と答えたのだろうか。古くから使われてきた干支歴と併用して年号と干支で年を表記する言い方が、少なくとも幕末の江戸期では普通だったようなので、それ以前の時代に生きるおばあさんも同様に年号と干支を使って「享保卯年」と答えたかもしれない。ちなみに翌年には元号が「元文」に変わる。

 おばあさんとのやり取りで、一樹の髪の毛はカリスマ美容師の手で染められていることがわかる。紅毛といことは赤いのだろう。

 濡れた学ランが竿に通して干されている場所はどこだろう。そもそも二人はこのとき、どんな服装なのかもよくわからない。

 真は、自分たちはカピタンではなく、カピタンに憧れてオランダ式の着物を作って髪を染め、長崎屋のカピタンに会いに行くところ雨に降られ、あとはおぼえておらず、雷に打たれたのかもと説明した。

 教えてもらった年号から、二百八十五年前にタイムスリップしたことに気づくと、法被姿に鉢巻を巻いた植木職人の亀吉がやってくる。古着を貸してやると言って取りに行っているあいだ、二人は霧島屋の庭を眺めているとここでようやく、学ランは庭に干してあることがわかった。

 万年青の描写と説明は忘れず書かれている。植木関連とそうでないところの書き込み具合に差を感じる。興味を持って調べた植木については書きたいけど、それ以外は書きたくないのかもしれない。

 二人は霧島屋で働くことになり、「明後日、一樹と真には、あっしと江戸城のツツジの剪定せんていに行ってもらう」と亀吉にいわれる。

 当時の人は「江戸城」という呼び方をしていたのだろうか。江戸時代に一般的に広く用いられたのは「江城」だったらしい。千代田城という呼び方もある。時代劇なら公方様のお城と表現されることもある。亀吉のような植木職人がどのように呼んでいたのかしらん。

 一樹が雪姫に会ってから話が大きく進んでいく。

 ツツジが人気となったのは、現在の宮崎県と鹿児島県の県境付近に広がる霧島山から出たとされる「本霧島」からだと言われている。

 他のツツジにはみられない、燃えるような深紅の花だった。

 正保年間(一六四四~四八年)に薩摩から大阪へ伝わった一株を五本に増殖、そのうち三本が明暦二年(一六五六年)に江戸へ運ばれた。

 染井の植木屋、三代目伊藤伊兵衛三之丞が自宅の庭にこの三本を飾り「霧島屋」を名乗った。以来、全国から様々なツツジを集め、元禄五年(一六九二年)には三三五品集成した「錦繍枕」を刊行し、江戸中期(一六八〇年)には元禄一大ツツジブームが起きる。一七〇〇年にはツツジブームは一旦終わる。

 多くのツツジが大久保百人町に移され、百人町のツツジの名所としての発展するのは幕末の天保年間(一八〇〇~四三年)であった。

 城内のツツジは真紅とあるので、キリシマツツジだろう。

 染井村にお忍びで雪姫がやってきて、紫苑の花を見たいという。彼女は徳川吉宗の養女として西国よりきたが、国元で災害が起き多くの民が亡くなっているという。その時の悔しさや悲しさを忘れぬよう、忘れず草の紫苑を飾るのはそのためだという。

 一樹が雪姫に、岩穴の前で倒れていて霧島屋の人たちに助けられた話をした。すると彼女は、西国から江戸にきたとき不安を抱えていたため、そこにあった祠に「誰か私をどこか遠くに連れて逃げて欲しい」と願った事があると話す。

 なぜこの時代にタイムスリップしてきたのか、理由らしきものがみえてきた。二人は彼女のために、過去へとやってきたのだ。

 のちに雪姫は、祠に帰れるよう願掛けをした。おかげで二人は元の時代に帰れたのだろう。

 徳川吉宗がお供を一人つけて、馬に乗って雪姫に会いにやってきた。ここまで読めば、このお話は時代劇で、NHK大河ドラマや朝ドラのように史実を取り扱いながらも事実とはちがい、ストーリーを楽しむものだとわかる。

 徳川吉宗には養女は二人いたが、もちろん雪姫という名前はない。西国から養女にされたのは竹姫で島津家に嫁ぐも六十八歳まで生きている。利根姫は紀州の生まれで仙台藩の伊達宗村との縁談が勧められ、享保二十年に吉宗の養女となって将軍家に入り、同年五月に宗村と婚約、同年十一月に婚礼を挙げている。雪姫の嫁ぎ先の佐根藩はどこかわからない。

「姫君様は輿入後、お庭で花を愛めでられた。特に淡い紫の花、紫苑を二十七で亡くなるまで大切に育てられた」とある。

 今昔物語の最後には「嬉しいことのある人は紫苑を植え、いつも見るように。また憂いのある人は萱草を植えて、いつも見るべきであると語り伝えられている」とあるので、雪姫は一樹と話した嬉しい時間を忘れないように紫苑をみていたのかもしれない。

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