045

 あれから数十分後、ここでようやく雪音が目を覚ました。雪音が目を覚ましてからも奏真はアサギの缶詰にやられグロッキー状態で倒れていた。


「……あの、何があったんですか?」


 あまりにも顔色の悪い奏真を見て心配そうな表情をする雪音。そこへあの缶詰を携え悪い顔をしながら雪音に近付くアサギの気配を感じ取った緋音は無言でアサギの首元の襟を引っ張り雪音から引きはがす。


 何も知らない雪音の表情はキョトンとしているがその正体を知る緋音はアサギに対し無言の圧をかける。

 緋音の顔に「絶対にやめろよ?」と怒りの文字が浮かび上がっているのを目の当たりにし同じく無言で「了解」の意を示す。


 そんな二人のやり取りを見ながら雪音は姉から受け取った朝ごはんを口にする。


「………美味しい!」


 思わず声が出るほどの美味しさだった。

 食パンのみみのような見た目にパンの硬さはフランスパンのまさにそれで味のしなさそうな乾燥した色合い。本来は水に溶かしてから食べる方法をとるがそれを説明し忘れていたため雪音は知らずにそのまま口に運んだ。

 最初は硬くて噛めないため口の中で遊ばせていると急に溶け出した味。ジャムとマーガリンの味が口いっぱいに広がる。


 緋音もこれを最初に口にしたとき目を見開く美味しさだった。人にゲテモノを食べさせてニコニコしている人からは想像も出来ない意外性から若干アサギに対しての評価が上がるそれと同時に「なぜその缶詰は生まれてしまったのか」を思う。


 あっという間に完食した雪音は缶詰の正体を聞いてゾッと背筋を凍てつかせる緋音の横で出発の準備を済ませる。目的地はまだ雪音は聞いてはいないがあの悪魔が嗤いながら「苦労するぞ」と他人事のように囁いているのを聞いて長旅になることを想像する。


 雪音の準備が終わったところで出発するわけだが先頭を行く奏真は未だに体調が戻らず千鳥足で息づかいもぜえぜえと苦しそうだ。

 雪音や緋音が大丈夫かを奏真に尋ねると………。


「……………………………………ダイジョウブ………うっ」


と、まるでゾンビのような声でとても大丈夫そうには見えない。

 その後ろではゲラゲラと腹を抱えて笑うアサギ。


 アサギは決して料理が下手な訳ではない。


 アサギの作るご飯はとてもうまいと評判でアサギのその腕の良さを知るものは食事を全てアサギに任せるほどだ。それは奏真も例外ではなく評価をしている。ただ、少し変わっていてあれこれすぐに試作を試すのだが九割は成功する。残りの一割は奏真の様子を見れはお察しいただけるだろう。九割の成功と引き換えに残りの一割にとんでもない物を生み出すのは知り合いの中では「外れたら死ぬ」とまで言われる味の悪さ。


 その新作として朝飯に渡された奏真は何の疑いもなく口にする。まさか今日外すことはないだろうと、そう思って。それがこのざまだ。ただ今回は軽傷の方でこれまでに奏真は三回外れを引いているがその三回とも意識を失っている。酷い時には記憶障害も見られるほどに。


 ちなみに姉妹二人が食べたのは過去作の大当たり。

 奏真に毒見させて良かったら二人にも食べさせようというアサギの心遣いだが決して自分自身では味見しないので試作をもらった人は博打となる。


 それから奏真はずっとそんな調子でふらふらと歩く。よたよたと覚束ない足取りは非常に遅く数十分経過しても十数メートル進んだか進んでないかのその程度。だが本人の奏真は悪くはないので結局アサギが奏真のことを背負いそのままアサギが先頭を行くこととなった。


 アサギにおんぶされている奏真はぐったりとしていて意識が混濁しているのかぶつぶつと何かを呟いている。


「………本当に大丈夫なんですか、それ?」


 奏真の反応から見るにあまり大丈夫なようには見えないがアサギは軽い口調で問題ないと言う。

 アサギに背負われる奏真に時折雪音が声をかけるが反応はなく半開きの目は焦点があっていない。雪音に憑りつく悪魔は「死んじまったのかもなぁ?」と笑いながら縁起でもないことを言うが無視して根気強く声をかけ続ける。


 進むペースが上がりやがて景色が変わり始める。


 昨夜は雨が降っていないのにも関わらず湿り気の多い地帯にやって来る。

 生える植物も見た目が変わり緩い地盤は足元を滑らせる。奏真に声をかけ続け前を見て歩かずにいた雪音の足が滑りやすくなった地面に取られる。


「………っ!」


 バランスを崩すがアサギに支えられ転倒は免れる。


「気を付けろ。転んだら泥まみれだぞ?」


 奏真を担いでいるかつ先頭を歩いているはずなのに後ろで転びそうになる雪音の体を支えるアサギ。奏真を担いでいる分の重さも換算されているのにも関わらずぬかるんだ地面には足跡ひとつすらない。

 そんな常識外れのアサギの動きを緋音は見逃さなかった。


(やはりアサギさんこのひとも………)


 学院の際に奏真の戦いを真近で見ていた緋音。どこか奏真に近いでたらめさを感じざるを得ない。一体どんな生活を送ったらこんな達人のような動きが出来るのか。かという緋音も自分の立場的にも生半可な生活はしていない。しかしそれでもアサギの動きは異常に見えるほどに。


 しかしそれだけでは終わらない。


「…………」


 無言でその場に立ち尽くすアサギ。

 進む足を止めたアサギに二人は何かと声をかけようとした瞬間だった。


 突如としてアサギの足元が凍てつき始める。一瞬敵の攻撃かと身をこわばらせる雪音と緋音、だがその魔法は攻撃によるものではなかった。

 

 アサギの足元から凍り始める氷の魔法。あっという間にアサギを含め雪音と緋音も共に周囲を囲んだ。

 三人の周りを壁のように覆い聳える氷。魔法を放った本人であるアサギは何食わぬ顔をして、いまだグロッキー状態の奏真を背中から下ろす。


「い、一体何を!?」


 あまりにも流れるように、その行動があらかじめ決まっていたかのような行動をするアサギにただ茫然としていることしか出来なかった緋音だったがここでようやく我に返る。

 その声に雪音も触発される。緋音にピッタリと体をくっつけ辺りを警戒する。だがアサギには警戒の色はない。


「………いや、そういえばこの先湿地てか、沼だったことを思い出してさ。うろ覚え何だけど確かこの先のその沼に厄介なモンスターいたなー、って」


 奏真を下ろし戦闘の準備を進める。


「だからちょっと様子見てくるよ。俺は奏真みたいにアドリブで作戦立てられるわけじゃないし。ちょっとしたら戻って来るよ」


 それだけを言い残すと二人と死んだ顔をしている奏真を置いて氷の壁から一人出て行ってしまう。


「え、ちょ………!?」


 二人の反応はお構いなし。氷の壁を超えるとすぐに姿は見えなくなってしまう。

 置いていかれた二人はなかなかに勝手な行動にどうしたものかと立ち尽くすばかりだった。






 ぬかるんだ森の地面は滑りやすい。それでもかまわずに全力疾走するアサギの行く先に見えてくるのは見立て通りの沼地。


 徐々に地面のぬかるみが酷さを増し、さすがのアサギでも地面に足を取られる。生えている森の木は背が高く幹の太い樹木から背が低く幹の細い垂れ下がった葉の特徴の木へと変わり、草木の色はやや緑が深くなる。


 地面はぬかるんだ土と水溜まりが見えるがそれははまれば抜けぬ底なし沼。更に奥へ視線を向ければ湖のように溜まった水が広がる沼地。水は浅いように見えるがあくまで水だけでその下にある土は見える天然の罠。


 アサギはその湖状になった沼までは行かず、その手前のぬかるんだ地面の上で走るのを止める。

 止まるとすぐに地面は沈み始めしみ込んでいた水がすぐにあふれ出してくる。徐々に沈みゆく足は時間が立てば抜けなくなるのは当然、しかしそれよりも恐ろしいのがこの沼地に潜んでいる。


 アサギの足が沈み始め、抜くのに苦労しそうなほど沈んだ時にそれはやって来る。


 ピュンッ、と風を切る音。


 それよりも先にアサギはしゃがんで何かを回避する。しかし、完全には避け切れていなかったようで頬に赤い線が出来る。そしてその場から離脱。


 足元を瞬間的に凍らせぬかるみに足を取られないよう硬い足場を造り素早く跳躍。ぬかるんだ地面から即座に離脱し幹の太い木のところまで一気に戻る。


「あぶねぇ、いきなり首切りに来やがったな」


 もともと自分がいたぬかるんだ方、その上を見る。

 目線の先、木の葉の隙間から空が見えるが注目するのはそこではなく空中に浮遊する黒い影。モヤのように黒く渦巻くその正体はアサギに飛来したものと同じ。ひとつの陰ではなくそれは群れで行動し、連携を取る魔物。


「うーん、どうしよ………」


 的が小さくアサギの持っている銃では非情に倒しにくいその形状はトンボ。大きさこそただのトンボだがその攻撃力は恐ろしいもの。ただのトンボと舐めてかかれば今のアサギのように首を狙われ最悪その首は宙に飛ぶ。

 武器は音速の羽ばたきをする羽根と鋭い牙をもつ顎。その武器を携えて初速から見えないほどの速さで飛来する。


 木の陰に隠れるアサギだがその姿を捉えたそのトンボ群は矢のように上空から障害物などお構いなしに突っ込んでくる。


「奏真の援護なしか。これは………」


 アサギに飛来してくるのは七匹のトンボ。若干の時差と角度を変えながらアサギ目掛け一直線に降りて来る。


 ゆらりと身構えもせずにただ立ち尽くすだけ。


 だが。


 迫るトンボが一匹、アサギの顔面に突き刺さる、その瞬間に目にも止まらぬ速さで体を逸らし、更に反撃。通り過ぎるトンボを即座に凍らせ絶命させる。それを七匹連続で行うアサギ。


 凍らされ一瞬で命を刈り取られたトンボたちは地面に落ち、砕け散る。


「ごり押しで行こうか」

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