Crisis

 茉莉は目を見開いた。目の前の存在は以前に羚衣優と付き合っており、なにより彼女をあれほどまでに追い詰めてしまった存在。羚衣優の悲しみようを間近で見てきた茉莉にとって、初対面とはいえ、琉優子に対する印象はかなり良くなかった。


 「上手くいかないあたしたちを笑いに来たんですか? 言っておきますけど、あたしはあなたとは違って羚衣優せんぱいを理由もなく捨てたりしませんからね!」

 「だから、そんなんじゃないって言ってるでしょう? それに私だってあの子にわけもなく別れを切り出した訳ではないわ」


 ムスッと言い返した茉莉に、琉優子はあくまでも落ち着いた口調で語りかける。


 「ではその理由を聞かせていただけますか? あなた、羚衣優せんぱいがどれだけ悲しんでいたか分かってるんですか?」

 「もちろん、私が振ればあの子が荒れることくらい分かってたわよ。私たちは二年も付き合ってたのよ?」

 「だったらどうして……!」


 茉莉は琉優子に食ってかかる。誰よりも羚衣優を理解していたはずの琉優子が何故彼女を捨ててしまったのか、茉莉にはよく分からなかった。


 「今の副会長さんなら私の気持ち、わかると思ったんだけどなぁ……」

 「どういう意味です?」

 「あなた今、あの子を諦めようとしてたでしょう?」

 「──!」


 そう言われて茉莉はハッとした。さっき生徒会長の絢愛の前で、弱音を吐いてきたばかりだったのに、何故自分は琉優子に対してここまで熱くなってしまうのだろうか。それは未だに羚衣優のことを諦められない証なのではないだろうか。


 動揺する茉莉に、琉優子はフッと笑みを浮かべる。


 「──どうやら気づいたようね」

 「そう、そうですよ……あたしは本当に羚衣優せんぱいのことが好き。だけど、あたしの『好き』はせんぱいには届いていなくて……」

 「届いてるわよ」

 「えっ……?」


 琉優子は念を押すように繰り返した。


 「届いてるわ。でもあの子は不器用だから、副会長さんを想う気持ちが拒絶という結論に繋がってるのね」

 「どうして……」

 「そりゃあ、自分がどれだけめんどくさい性格なのか、あの子も知ってるからよ。だから遠慮してるの」


 琉優子を問い詰めていたはずの茉莉は、気づくと彼女から羚衣優に対する接し方を教えられていた。もしかしたら、琉優子が茉莉の前に現れたのは、茉莉を笑うためではなく茉莉を助ける為なのかもしれない。そう思い始めた時、茉莉の心の中で何か大きなものが生まれそうになっていた。



 「じゃあどうすればいいか、頭のいい副会長さんなら分かるわよね?」

 「せんぱいに……せんぱいにはあたししかいないってことをわからせてやります」

 「そう。そしてよそ見させないくらい夢中にしてあげなさい。私にはできなかったけど、副会長さんならできるはずよ」


 そう言いながら、琉優子は屋上から立ち去ろうとした。まるで、すでに自分の役目は終わったとでも言わんばかりだった。


 「待ってください。まだ質問には答えてもらってませんけど……そんなに羚衣優せんぱいのことを理解していた琉優子さんがどうして……」

 「あー、それはね……私が不器用だから……かな」

 「不器用……ですか?」

 「ええ、私にはあの子の真っ直ぐな愛を真っ直ぐに受け止められるのほど真面目でもなければ、あの子の重すぎる愛を上手くいなせるほど不真面目でもないのよねぇ……これが」


 でも、と琉優子はくるっと振り返りながら無邪気に笑った。その笑顔が眩しくて、茉莉は思わず目を伏せてしまった。


 「副会長さんはみんなから頼りにされるくらい真面目だし、こうして屋上でダメな先輩とだべっちゃうくらい不真面目だもんねぇ?」


 「それはっ……!」


 目を上げた時、すでに琉優子の姿はなかった。茉莉は狐につままれたような不思議な感覚に陥りながらも、抱えていたモヤモヤした気持ちはすっかり晴れていた。


 「あたしにしかできない……かぁ。そうか、そうだよね。なんてったってあたしは頼れる生徒会副会長様で……羚衣優せんぱいの……カノジョで……」


 ギュッと両拳を握りしめた茉莉は、夕焼けで真っ赤に染まった屋上を後にした。



 ♡ ♡ ♡



 一方、時は遡って一時間ほど前。

 神乃羚衣優はというと、こちらもこちらで精神的にどん底状態だった。

 当たり前だが寮に戻っても茉莉の姿はない。朝どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと羚衣優は激しく後悔していた。

 スマートフォンを取り出して茉莉に電話をしようとする。だが、すぐに首を振って茉莉に甘えようとする自分を叱りつけた。


 「だめだめ……まっちゃんにはもう迷惑をかけないって決めたんだもん……その方がお互いのためなんだよ……お互いの……」


 自分に言い聞かせようとする度に胸が痛くなり涙で視界が霞んでくる。弱い羚衣優のメンタルはすでに崩壊寸前で、このままでは取り返しのつかないことをしでかしてしまうのは時間の問題のように思えた。


 こんな時、羚衣優には一つだけ対処の方法があった。

 冷蔵庫から取り出したのは精神安定剤の代わりに羚衣優がいつも保管しているマヨネーズのチューブ。その注ぎ口を直にくわえ、まるで母乳を吸う赤ちゃんのようにちゅぱちゅぱとやり始める。誰かが見ていたらついに頭がおかしくなったと思って病院に運び込まれそうな光景だったが、羚衣優にとってこれが一番落ち着く行為なのだった。


 口でチューブをくわえながらマヨネーズの柔らかくほんのり酸っぱい味を味わっていると、羚衣優は幾分か落ち着きを取り戻した。


 「わたしは……わたしはどうすればよかったんだろう……」


 朝方に羚衣優が出した結論は、これ以上自分が傷つきたくないという気持ちと、茉莉の今後の人生を考えた上で、あえて突き放したというものだったが、本当は彼女だって茉莉と一緒にいたかった。そして今、これ以上ないほど傷ついているということは、本末転倒であるとも言えた。

 端的に言うと、羚衣優はすごく後悔していた。でも今更引き返すことはしたくない。なにより、自分が拒絶した相手にどんな顔をして会えばいいのだろうか。そしてどんな面を下げて「やっぱり付き合ってください」と言えばいいのだろうか。


 いつも基本的に受け身な羚衣優には自分がどのように動けばいいのかさっぱり分からなかったのだ。


 彼女の出した答えは、『結論を出すのを先延ばしにする』というものだった。

 具体的には、寮から外に出てできるだけ茉莉と顔を合わすまでの時間を稼ぐ。そしてその間になんとか事が運ぶのを願う──つまりは現実逃避だった。



 学園内の広い敷地をあてもなく歩きながら人気の少ない場所──茉莉に遭遇しなさそうな場所を探す。

 すると、曲がり角を曲がった拍子に、物陰から飛び出してきた誰かと肩がぶつかってしまった。


 「はわっ……ごめんなさ……い?」


 顔を上げた羚衣優は表情を強ばらせた。ぶつかった生徒が明らかに威圧的な見た目をしていたからだ。

 髪を羚衣優と同じように派手な金髪に染め、切れ長の瞳から鷹のような鋭い眼光で羚衣優を睨みつけている。制服は星花女子学園の高等部──つまりは先輩だった。

 羚衣優はまるで蛇に睨まれた蛙ように身動きが取れなくなってしまった。


 「あぁ? んだよてめぇ……」

 「ご、ごめ──」

 「ちょっとこっち来いよ」


 外見から想像に難くないような乱暴な言葉遣いでそう口にすると、有無を言わさずに羚衣優の腕を掴み、物陰に引きずり込んだ。絶体絶命だった。羚衣優はきっとこの不良じみた生徒を怒らせてしまったに違いない。そしてここは人気のない場所。助けを求めたところで誰かが来てくれるとは限らない。ただでさえ夕暮れで学校に残っている生徒の数も少なくなっている。


 羚衣優は死を覚悟した。絶望的な状況の中で脳裏に浮かんだのは茉莉の姿だった。


 「まっちゃん……たすけて……!」

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