しょうかくしけん 2


 試験開始のチャイムが鳴った。

 早々に音々は掴んだばかりの鉛筆を卓上に置く。

(案の定ひとっつもわかんない)

 言葉や文字は何故か見聞きしても理解出来るのだが、肝心の内容がまったくもってわからない。

 おそらくはこの世界にまつわる知識が必須なのだろうが、もちろんそんなものは音々には無い。

(…まぁ、それはあっちも同じか)

 階段状に広がる試験会場の下の段に目をやれば、ぴょこぴょこと動き跳ねる元気な金のツインテールが見えた。なんなら「うあー」とか「あうー」とかいう唸り声も聞こえる。

 向こうも相当難航しているようだ。

 しかしこのままでは双方点数無しで失格どころか勝敗すら決着に至らない。ドローの場合はどうなるのだろうか。

(もし違う勝負をさせられるのだとしたらかなり面倒臭いわね)

 何がなんでも白黒はハッキリさせねばならない。勝つにせよ負けるにせよ。

(そうなるとやっぱこの試験、正攻法でやるのはむしろ悪手か)

 全体をゆっくり見回してみれば、悩み熟考しているのは異世界出身の二名だけではない。この世界に住んでいると思しき他の忍者受験生も難儀していた。

 インチキが容認、あるいは推奨されている。そう考えなければ突破は極めて困難ということだ。

(ふむん。それならそれで)

 わかりやすくてやりやすい。

 音々はすぐさま実行に移した。

「すいませーん、ちょっとトイレ行きたいんですけどー」

 人外とはいえ仮にも大人の女性が、臆面もなく生理現象を訴えるその声は何人かの受験生の注目を集めていた。




「はー危なかったわー」

 用便を済ませ、鼻唄混じりに手洗い場で水を流す音々の気楽な様子を鋭く見据える忍者が一人。

「無駄口を叩くな。済んだのならさっさと戻れ」

 カンニング対策か、トイレに行くだけでも試験会場の要員が注意深く後を付いてきていた。もちろん女性の忍者だ。

「まあまあ。スッキリしなきゃ解ける問題も解けないでしょうに」

 普段あまり見ないほどご機嫌な音々はじゃばじゃばと両手にまみれた石鹸の泡を落としながらハミングを奏でる。

「…今すぐ戻らなければ規則違反とみなしこの場で失格にする」

「怖いわねー。ていうかあの問題難し過ぎじゃない?あなたは知ってるの、あれの答え」

「……、知っていたら、なんだ」

「お、当たり引いたか」

 妙に長々と洗っていた両手をハンカチで拭きながら振り返る。

 忍者はもう疑問にすら感じなかった。

 呑気に話す最中も、ハミングは重なってその喉から奏でられていたことに。

 会話と同時に鼻唄など口ずさめるはずがないのに、もはや忍者はその思考すら奪われていた。

 魔声、魅了の調べ。洗脳の調律。

 鼓膜を通し脳を侵す魔獣の唄声は甘やかに人の意識に干渉する。

「じゃ、最後に出てくるっていう十問目以外の答えを教えてちょうだいな」

「…………ああ、わかった」

 いくら黙認されているとはいえ、ここまで深く意識を乗っ取られことになるとは流石の忍者にも予想できたかどうか。

 あえなく監視に付いてきた女忍者は知り得る解答の全てを吐いてしまった。




     ─────


「さって。あとは答えを書いて出すだけねー」

 洗脳した用済みの忍者はトイレで少しの間眠っていてもらう。

 元来た道を引き返しながら、思う。九問正解が確定した今、とりあえずあの金髪少女には勝っただろう。向こうがどんな手で事態を打開しようとしているのかはわからないが。

 なんて思っていた矢先のこと。

「ん」

 廊下の先に佇む舩坂静を見つけた。

「なにしてんの。あんたもトイレ?」

「……Falsch」

「んん?」

 やけに流暢な発言で返されたが、生憎と音々の知らない言語だ。

「あたしね、出自はギリシャに端を発する存在モノなんだけど日本語しかわかんないの。そっちの世界に日本があるかもわからないけど」

「うーん、私ね!思ったんだ」

 音々の言葉を遮って静は意気揚々と語る。

「この勝負は正攻法じゃないよね。それでやろうとするとぜっっったい負ける!」

「…まあ、そうね」

 やはり行き着いたか。となると九問正解では些か心許ないかもしれない。

 ラスト十分で開示される最後の問題もどうにかして───、

「だからこういうことだと私は思ったんだ!」

 ドムッ!!

「…んんー?」

 正面にかざした手から仄かな光が漏れ、次の瞬間に超重量の何かが廊下に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせた。

「解答できないならゼロ点で落第になればいい!一番大事なのは相手よりまともな成績であること!!つーまーりぃー」

 それは巨大な鉄の塊で、砲塔のようなものが伸びていた。その口は音々へ向いている。

退!!それって私の勝ちじゃない!?」

「うわ考えうる限りで最悪の発想!」

 その最悪の発想を真っ先に考えついた自分のことは棚に上げて、音々は火を噴く鉄の化け物の射線から全力で跳び退いた。


『なんだなんだ!?』

『誰か室内で豪火球の術を!!?』

『いやそんなレベルじゃなかったぞ!!』

『であえであえ!他里の忍が攻めてきたぞー!』


「大惨事なんだけど!?」

「あははこれこれ!これぞ剛よく柔をぶっとばーすっ!」

 ハチャメチャなことをのたまいながら砲弾で建物内を破壊していく静。アルであれば大喜びで真っ向から受けて立っているところだが。

「助けて上忍のみなさーん!あの女全てを破壊するつもりですよー!!」

 音々は戦闘狂とは程遠い。それにあんな物量に勝てる性質でもない。全力で加勢を呼びながらダッシュで逃げた。




 最終的には騒乱の中で自分の答案用紙にひとまず九問の解答を書き殴ったことと、インチキだのカンニングだのの領分を大きく逸脱した静の極大ペナルティによって音々の勝利と判定された。

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