第十三話 困難に負けない


 翌朝、俺は正装に当たる近衛騎士の制服を着て、張り切ってティユール通りの指定の住所に向かった。それは中上流階級が住む閑静な地区にある煉瓦造りの一軒家で、ダフネが以前住んでいたというあの長屋よりはずっと立派な家である。


 俺は彼女が在宅していることを切に願った。しかし扉を開けたのは三十過ぎと見られる男だった。


「こちら、ゴティエさんのお宅でしょうか?」


「はい。ゴティエは私ですが?」


「私が、その、用事があるのは女性のゴティエさんの方でして……」


「私も心穏やかではいられませんね。私が存じ上げない貴族の若い男性が妻を訪ねて来られたのですから」


「は? 妻ぁ?」


「私の愛妻に近衛騎士の知り合いはおりません。お引き取り下さい」


 慇懃無礼とはこのことだろう。その商人らしき男は俺の鼻先で扉を閉めようとしている。


 ここまでやっと辿り着いたというのに、ダフネが既婚者だとは実の姉も誰も教えてくれなかった。俺は混乱していた。


 それにしても二十歳前のダフネとこの男はかなりの歳の差婚と言える。ダフネに良いようにもてあそばれたのは俺の方なのだろうか。とにかく今更引き下がるわけにはいかない。俺は閉まりかけた扉の前に体をねじ込んで押さえた。


「待って下さい! あ、貴方はダフネさんのご、ご主人なのですか?」


 その男は俺の顔を無言でしばらくじっと見つめてからおもむろに口を開いた。


「いいえ、ダフネの父です。それにしても私が心穏やかで居られないのは同じです。我が家の大事な娘に貴族の男性が何の用事があるというのでしょう」


「娘ぇ?」


 彼はどう見ても十九、二十の娘を持つ父親にしては若すぎるので思わず素っ頓狂な声が出てしまった。


「私はダフネの母親の再婚相手ですからね。それにしても、そちらから名乗りもしないお方に我が家の事情をどうして説明しないといけないのですか? それとも私は不敬罪でその腰にお帯びになっている剣でたたっ切られるのでしょうか?」


 昨日慌てていたせいで、俺は母親の言葉をろくに聞いていなかった。母親が再婚して、ダフネもその結婚相手の苗字を名乗っていることも知らなかったのだ。とにかく彼女に会わせてもらえそうな雰囲気には程遠い。俺は慌てて頭を下げた。


「大変失礼いたしました。ジュリエン・クイヤールと申します。ダフネさんは以前我がクイヤール家の厨房に勤めておいででした。彼女は御在宅でしょうか?」


「ほう? 娘の元雇い主のお宅の方でしたか。ダフネは留守にしております」


 早く帰れと言わんばかりである。


「あの、では今日の夕方出直しても宜しいでしょうか?」


 嫌な沈黙が流れた。


「クリスチャン、どなたがお見えなのですか?」


 そこで男の後ろから女性の声がし、彼女も玄関先まで出てきた。ダフネの母親に違いない。


「キャロリン、貴族の若い男性がダフネに会わせてくれとおっしゃっているのですけれども……」


「ジュリエン・クイヤールと申します、ゴティエ夫人」


「クイヤールさま、夫が何か失礼なことを申したのでしょうか? この人、ダフネやクロエのことになると少々過保護になるきらいがございますから」


「だって、ダフネは私達の大事な娘なのですよ。確かに新米の男親としてはまだ至らない私です。彼女はもう成人しているとは言っても、みすみす薄情な男にもてあそばれて捨てられるのを、指をくわえて見ているわけにはいかないのです」


 俺のことを軽薄な男と決めつけている……それにしても、ただの親バカに新米もベテランもあるもんか。


『この私が容易に攻略できたからといって鬼の首を取った気になるのはまだまだ早すぎますわよ』


 昨日クロエさんは俺にダフネの住所を教えてくれた後こう言っていた、その意味が今分かった。あの後クロエさんはこの若い継父に早馬でも送って俺に対して鉄壁の守りで備えるようにとでも連絡していたのかもしれない。俺はまた新たなボスキャラに対峙しないといけなかった。


「それでもクイヤールさまがこうして頭を下げておいでなのですから……」


「都合が悪くなるとすぐに頭を下げ、許してもらえるとすぐに調子に乗って同じことを繰り返すのが不誠実男の常套手段です」


 この男の言う事はもっともすぎるくらいだが、俺は決してそんな人間ではない。しかしそれを証明する手段がない。


「それもそうでしたわ……」


 お母さんの方が攻略し易いかと思ったが、そうでもなさそうだった。


「新婚の私たちや結婚間近のクロエに心配を掛けないように一人で孤独と喪失感に耐えていたダフネの気持ちを考えると、不憫でしょうがないのです。今になってダフネに会わせてくれと言われても、虫が良すぎるとしか……」


「それでも、私は一度だけでもダフネさんに会って謝罪をしたいのです。私がいかに愚かだったか十分身に沁みて分かりました」


「では彼女に文でも書きなさい。流石にこの私もそれに目を通すことはあっても、内容によっては破り捨てるなんてしませんから」


 しっかり読むんじゃねぇか……


「……出来れば会って彼女の目を見て謝りたいのです。それに私は明日にはペンクールへ発たないといけませんから、時間もあまりないのです」


「クリスチャン、もうそのくらいにして差し上げたらどうですか? クイヤールさまがお気の毒だわ」


「キャロリン、貴女がそうおっしゃるなら……しょうがないですね。私の優しい妻に免じてダフネに会うことを許しましょう。彼女は早番で今朝はもう出勤しました。昼過ぎには帰って来ます。その頃出直してきて下さい」


「あ、ありがとうございます。王宮の厨房ですね?」


「これからそちらに向かわれるおつもりですか? ダフネは仕事中なのですよ」


「まあ、本当に一刻も無駄にされたくないのですね。若いっていいですわね、クリスチャン」


「若さだけで突っ走るのが良いとも限りませんけれど」


 まだブツブツ言っている親バカ継父とキャロリンさんに俺は更に深く頭を下げ、喜び勇んで王宮へ向かった。




 さて、王宮に着いたのはまだ朝早い時間帯だった。王宮の厨房という厨房をしらみつぶしに調べるとしても、そもそも俺はどこにその厨房があるのか知る由もない。ということで人事院に向かった。


「ジュリエン、また君か? 君が探していたマドレーヌさんは見つかった?」


「いや、マドレーヌはもういい。今探しているのはダフネ・ゴティエという料理人だ。どの厨房か分かるか?」


「……ジュリエン・クイヤール、流石だよな。君って肉食の大食漢な上に料理人まで片っ端から食うんだね。コック専か?」


 何か大きく誤解されているが、それを解くために説明している時間も惜しい。


「とにかく、ダフネの居場所を教えてくれ、頼むよ。この通りだ」


 頭を下げる俺に、頼もしい友人は名簿を見に行ってくれた。


「今度は見つかったよ。本宮の大厨房だ」


「ありがたい。それって本宮の何処だ?」


 本宮一階北側裏口から入ったところにあるという大厨房にやっと俺は辿り着いた。ストーカーのごとく窓から覗いてみると確かにダフネが居た。やはり彼女は白いエプロン姿が良く似合っていて無茶苦茶可愛い。


 今まで長い道のりだったがあともう少しだ。直接乱入するよりも、もっと確実に動くことにした。厨房の入口には案の定、関係者以外立ち入り禁止の表示がある。


 俺は廊下を歩いていた下働きらしい女性に料理長に会いたいと告げた。近衛の制服を着ているとこういう場面で役に立つのだった。すぐに彼の執務室に案内してくれた。


 男の料理人というものはやたら恰幅のいい奴が多いな、というのが俺の感想だ。痩せている料理人の腕を信用するな、という言葉があるが本当だ。


「それで、クイヤール殿は明日からペンクールに戻られるのですか?」


「はい、ですから何としてでもその前にダフネと会って話がしたかったのです。仕事中お邪魔して大変申し訳ありません」


「ペンクールに彼女を連れて行かれるとか? ゴティエにいきなり寿退職なんてされると困るんですがねぇ」


「いや、それはまずありません。折角就けた王宮の厨房の仕事を辞めて俺について来いなんて言い出そうものなら彼女に包丁で刺されかねません」


「はっはっは! それもそうですな」 


 料理長が話の分かる男で良かった。そしてすぐに大厨房へ案内してくれたのだった。




 やっと見つけたダフネは調理台で大きな器にクリームかソースを泡立てている。彼女の背後から声を掛けた。


「何かき混ぜてんの? ちょっと味見させろよ」


 俺達の関係が始まった懐かしいあの夜の記憶が蘇ってきた。




***ひとこと***

クリスチャンとダフネの仲良し親子は事情を知らない人間が見たら歳の差カップルに見えるでしょうね。


困難に負けない ツワブキ

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